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神様は、明日を知らない』 ――全知全能の神が、人間になった理由――  作者: 亀


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第八章 人間の休日

「今日は、仕事は休みです」


美咲がそう言った。


アポロンは首を傾げた。


「休み?」


「はい」


「仕事をしないのか?」


「しません」


「なぜ?」


「休日だからです」


「休日なら、仕事をしなくてもいいのか」


「そうですよ」


アポロンは少し考えた。


「では、人間は休日に何をする?」


「人によります」


「美咲は?」


「私は……買い物したり、友達と会ったり、家でゆっくりしたりします」


「目的は?」


「目的?」


「何かを得るためではないのか?」


美咲は少し笑った。


「別に、何かを得なくてもいいんですよ」


アポロンは黙った。


何かを得るためではない時間。


それは、彼には馴染みのないものだった。


神だった頃。


すべての時間には意味があった。


世界を見守る。


人間を観察する。


秩序を維持する。


未来を確認する。


必要なことだけを行えばよかった。


だが。


「何もしない」


その時間を、人間は休日と呼ぶらしい。


二人は駅から少し離れた商店街を歩いていた。


休日の街は、平日とは少し違っていた。


子どもを連れた家族。


買い物袋を持った夫婦。


友人同士で歩く若者。


一人で店を眺める老人。


誰も急いでいない。


アポロンは、その光景を眺めていた。


「平日より、人がゆっくりしている」


「そうですね」


「時間の流れは同じなのに」


「気持ちが違うんでしょうね」


「気持ち」


アポロンはその言葉を繰り返した。


二人は小さな公園に入った。


ベンチに座る。


近くでは子どもたちが遊んでいた。


ボールが転がる。


笑い声がする。


母親が子どもを呼ぶ。


犬を連れた人が歩いていく。


何も特別なことは起きない。


それなのに。


アポロンは、そこから目を離せなかった。


「何を見ているんですか?」


美咲が聞いた。


「分からない」


「また?」


「そうだ」


アポロンは子どもたちを見る。


「何も起きていない」


「はい」


「それなのに、誰も困っていない」


美咲は少し笑った。


「それが平和なんじゃないですか?」


アポロンは黙った。


平和。


その言葉も知っている。


争いがないこと。


危険がないこと。


秩序が維持されていること。


だが。


今、目の前にあるものは。


それだけではないように思えた。


子どもが転ぶ。


泣く。


母親が駆け寄る。


しばらくすると、また走り始める。


その繰り返し。


何も大きな意味はない。


それでも。


そこには生活がある。


「人間は」


アポロンが言った。


「こういう時間を大切にするのか?」


「たぶん」


「何も起きない時間を?」


「何も起きないからこそ、ですよ」


アポロンは空を見上げた。


雲がゆっくり流れている。


風が吹く。


木の葉が揺れる。


その一つ一つを、彼は知っている。


だが。


今日初めて。


それを知る必要がないと思った。


ただ見ていればいい。


ただ風を感じればいい。


それだけだった。


しばらくして、美咲が立ち上がった。


「何か食べませんか?」


アポロンも立ち上がる。


「何を?」


「今日は私が決めてもいいですか?」


「ああ」


二人は公園を出た。


商店街の端に、小さなたい焼きの店があった。


美咲が二つ買う。


「熱いので気をつけてください」


アポロンが受け取る。


温かい。


昨日までなら、温度など気にしなかった。


今は。


手のひらから伝わってくる熱が心地いい。


一口食べる。


外は少し硬く。


中は甘い。


「……美味しい」


「よかった」


「これは何だ?」


「たい焼きです」


「魚ではないのか?」


美咲が笑った。


「形が魚なだけです」


アポロンはもう一口食べた。


「人間は面白いな」


「何がです?」


「魚の形をした菓子を作る」


「そこですか?」


「他に何がある?」


「……まあ、いいです」


二人は歩きながら食べた。


途中で美咲が足を止める。


「ちょっと待ってください」


「何だ?」


「写真、撮りません?」


「写真?」


「今日の記念です」


美咲がスマートフォンを取り出した。


アポロンは画面を見る。


そこには、自分と美咲が映っている。


「……」


自分の顔。


少し疲れている。


昨日より人間らしく見える。


美咲が笑っている。


「どうです?」


「不思議だ」


「何が?」


「今の自分が残っている」


「写真ですからね」


「写真……」


アポロンは画面を見つめた。


神だった頃。


永遠に生きる自分にとって、一瞬を残す必要などなかった。


すべての瞬間を覚えている。


忘れることもない。


だから。


記録する必要もなかった。


だが人間は違う。


時間は過ぎる。


今日の自分は、明日にはもういない。


だから。


写真を撮る。


残す。


覚えておく。


「……なるほど」


「何か分かりました?」


「人間は、なくなるものを大切にするんだな」


美咲は少し考えた。


「そうかもしれません」


アポロンは写真を見た。


今日の空。


今日の街。


今日の自分。


そして。


隣にいる美咲。


全部、いつか変わる。


それが。


少しだけ寂しいと思った。


「アポロンさん?」


「何でもない」


「そうですか?」


「ああ」


アポロンはスマートフォンをポケットにしまった。


そして、また歩き始める。


休日は、もうすぐ終わる。


明日はまた仕事がある。


それを考えると。


ほんの少しだけ。


明日が来るのが待ち遠しかった。

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