第七十四章 待ち合わせ
仕事が終わった。
アポロンは店の時計を見た。
いつもより少し早い。
スマートフォンを見る。
美咲からメッセージが届いていた。
『駅で待ってるね』
アポロンは返信した。
『分かった』
店を出る。
駅へ向かう。
いつもなら、一人で帰る道だった。
今日は違う。
改札を出ると、美咲がいた。
「お疲れさま」
「お疲れさま」
「思ったより早かった」
「今日は客が少なかった」
「じゃあ、ちょうどよかった」
「何かあるのか?」
「ううん」
美咲は首を振った。
「一緒に帰ろうと思っただけ」
アポロンは少し黙った。
「それだけ?」
「それだけ」
二人で歩き始める。
駅前は人が多かった。
仕事帰りの人。
買い物をする人。
家へ急ぐ人。
待ち合わせをしている人。
アポロンは、駅の隅に立っている人たちを見た。
誰かを待っている。
スマートフォンを何度も見る。
周囲を見渡す。
人が来るたびに顔を上げる。
そして、知っている人を見つけると歩き出す。
「待ち合わせって、不思議だな」
アポロンが言った。
「何が?」
「そこにいない人を、そこで待つ」
「普通じゃない?」
「神だった頃は、待つ必要がなかった」
美咲が少し笑う。
「全部分かってたから?」
「そう」
「じゃあ、待つの嫌い?」
「いや」
アポロンは少し考えた。
「待っている間も、その人と一緒にいるような気がする」
美咲は何も言わなかった。
二人は歩き続けた。
途中でコンビニに入る。
美咲が飲み物を選んでいる間、アポロンは入口近くで待った。
数分後。
「待った?」
「少し」
「ごめん」
「大丈夫」
美咲が笑う。
「じゃあ、行こう」
店を出る。
少し歩いたところで、美咲が言った。
「さっきの話だけど」
「何?」
「待ってる時って、相手が来るかどうか分からないから不安になることもあるよ」
「来ない可能性もある?」
「うん」
「それでも待つのか」
「待つこともある」
アポロンは黙っていた。
神だった頃。
未来は決まっていた。
誰が来るのか。
誰が来ないのか。
何時に現れるのか。
すべて知っていた。
だから、待つ必要がなかった。
今は違う。
美咲が駅で待っていることを知った時。
アポロンはそこへ向かった。
もし少し遅れていたら。
美咲は先に帰っていたかもしれない。
その可能性を、今は完全には否定できない。
「人間は、面倒だな」
「急に?」
「待つ必要がある」
「でも、待ってる間も悪くないよ」
「そうだな」
家に着く。
美咲が玄関の鍵を開ける。
「今日は何食べる?」
「まだ決めていない」
「じゃあ、冷蔵庫見てから決めよう」
「分かった」
冷蔵庫を開ける。
残っている食材を見る。
「これなら、鍋にできる」
「いいね」
二人で準備する。
鍋が煮えるまで、少し時間がかかる。
アポロンは湯気を見ていた。
まだ食べられない。
少し待つ。
それだけの時間だった。
けれど。
その時間も、夕食の一部だった。
食事が終わる。
美咲が片付ける。
アポロンが皿を洗う。
夜が深くなる。
寝る前。
美咲が言った。
「明日も駅で待ち合わせする?」
アポロンは少し考えた。
「明日は仕事が終わる時間が分からない」
「じゃあ、決めなくてもいいよ」
「そうだな」
「会えたら、一緒に帰ろう」
「分かった」
アポロンはスマートフォンを置いた。
約束ではない。
予定でもない。
ただ、一つの可能性だった。
それでも。
明日、駅で美咲を見つけたら。
きっと少し嬉しいだろうと思った。




