第五十四章 知らない料理
夕方。
仕事が終わったあと。
アポロンは健一に呼び止められた。
「アポロン、これ食べてみるか?」
「何?」
健一が小さな容器を差し出した。
「今日、試しに作ったんだ」
アポロンは蓋を開ける。
見たことのない料理だった。
「これは?」
「まだ名前を決めてない」
「名前がない?」
「店に出すかも決めてないからな」
アポロンは料理を見る。
匂いを確認する。
「食べていい?」
「そのために渡したんだよ」
一口食べる。
少し辛い。
そのあとに甘さがある。
アポロンは黙って考えた。
「どうだ?」
「分からない」
健一が笑う。
「正直だな」
「でも、もう一口食べたい」
「じゃあ、悪くないな」
アポロンはもう一口食べる。
今度は少し違って感じた。
最初は分からなかった味が。
二口目には少し分かる。
「最初と違う」
「慣れただけじゃないか?」
「そうかもしれない」
アポロンは食べ続ける。
最後まで食べた。
「どうだった?」
「また食べたい」
健一は少し考える。
「じゃあ、試作としては成功かな」
「そうなの?」
「食べたいと思ってもらえたならな」
アポロンは容器を見る。
まだ料理の名前はない。
店に出るかどうかも決まっていない。
それでも。
今日ここで食べた。
「名前をつけないの?」
「まだ考えてる」
「何か候補は?」
「ない」
アポロンは少し考えた。
「では、明日まで考えてみたら?」
「お前も考えてくれるのか?」
「うん」
「じゃあ、頼む」
帰り道。
アポロンは料理の名前を考えていた。
辛い。
少し甘い。
温かい。
もう一度食べたい。
それだけしか分からない。
家に帰る。
「おかえりなさい」
美咲が言う。
「ただいま」
「何か食べました?」
「健一が料理をくれた」
「珍しいですね」
「新しい料理らしい」
「美味しかった?」
「うん」
アポロンは少し考える。
「名前がまだない」
「名前?」
「そう」
美咲は笑った。
「じゃあ、アポロンさんが考えてみたら?」
「考えている」
「どんな名前?」
「まだ分からない」
美咲は冷蔵庫から飲み物を出す。
「じゃあ、明日までのお楽しみですね」
アポロンは頷いた。
「そうだな」
夜。
ベッドに入る。
料理の味を思い出す。
名前はまだない。
完成するかどうかも分からない。
明日になれば。
健一が別の味に変えるかもしれない。
店に出さないかもしれない。
それでも。
今日食べた料理の味は。
もうアポロンの中に残っている。
名前がなくても。
まだ決まっていなくても。
それは。
今日だけの一皿だった。




