第五十三章 教えられること
午後。
店はいつもより少し忙しかった。
注文が重なる。
料理を運ぶ。
皿を下げる。
アポロンはいつものように動いていた。
食器を重ねる。
一度に多く運ぼうとする。
「アポロンさん」
後ろから声がした。
振り返る。
最近入った、少し年下のアルバイトだった。
「それ、あまり重ねないほうがいいですよ」
「なぜ?」
「落としやすいので」
アポロンは皿を見る。
確かに。
上に重ねた皿が少し揺れている。
「なるほど」
一枚減らす。
「こう?」
「はい。そのほうが安全です」
アポロンは残った皿を見る。
「君は、いつもそうしている?」
「そうですね」
「分かった」
そのまま運ぶ。
厨房に戻る。
健一がそれを見ていた。
「教えてもらったな」
「うん」
「珍しいな」
「何が?」
「お前が人に教えられてるところ」
アポロンは少し考えた。
「知らないことなら、教えてもらう」
「まあ、そうだな」
仕事が続く。
しばらくして。
今度は別の作業で手が止まった。
「これ、先にこっちです」
また声がする。
アポロンは手を止めた。
「そうなのか?」
「はい。こっちを先にやったほうが、あとが楽です」
「分かった」
言われた通りにする。
確かに。
少しだけ作業が楽になった。
「ありがとう」
「いえ」
その人はすぐに自分の仕事へ戻った。
アポロンも作業を続ける。
休憩時間。
アポロンは水を飲みながら考えていた。
神だった頃。
誰かに何かを教えてもらう必要はなかった。
世界の仕組みを知っていた。
知らないものがなかった。
けれど。
今は違う。
料理の盛り付け。
皿の運び方。
洗濯物の干し方。
髪の切り方。
電車の乗り方。
人との話し方。
知らないことは。
まだいくらでもある。
そして。
知らないことを知っている人は。
自分より年下でも。
自分より経験が少なく見えても。
自分に教えることができる。
午後の仕事が終わる。
「今日、助かったよ」
健一が言った。
「こちらこそ」
「何か教えてもらったみたいだな」
「うん」
アポロンは少し笑った。
「知らないことを教えてもらうのは、悪くない」
健一は何も言わずに笑った。
帰宅する。
美咲が夕食の準備をしていた。
「今日はどうでした?」
「仕事で教えてもらった」
「誰に?」
「年下の人」
「へえ」
「最初は、少し意外だった」
「どうして?」
「年齢は関係ないんだなと思った」
美咲は料理を皿に盛る。
「そうですね」
「知っていることは、人によって違う」
「はい」
「だから、年齢だけでは決まらない」
「その通りです」
アポロンはテーブルにつく。
今日教えてもらったことを思い出す。
ほんの小さなことだった。
けれど。
その小さなことのおかげで。
仕事が少し楽になった。
「明日も、何か教えてもらうかもしれない」
美咲が笑う。
「今度は私が教えるかもしれませんよ」
「何を?」
「それは明日になってから」
アポロンは少し考えた。
「分からないのか」
「分かりません」
「そうか」
明日のことは。
美咲にも分からない。
そのことが。
なぜか少し嬉しかった。




