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神様は、明日を知らない』 ――全知全能の神が、人間になった理由――  作者: 亀


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第五十章 知らない場所へ

休日の朝。


アポロンは目を覚ました。


今日は仕事がない。


美咲も朝から用事があるらしい。


「今日は出かけるんですか?」


「うん。少し用事があります」


「そうですか」


「アポロンさんは?」


「まだ決めていない」


「じゃあ、ゆっくりしてください」


「そうする」


美咲が出ていく。


玄関のドアが閉まる。


部屋が静かになる。


アポロンは窓の外を見る。


いつもの街。


いつもの道。


いつもの駅。


「……」


ふと。


知らない場所へ行ってみようと思った。


理由はない。


目的もない。


ただ。


まだ知らない場所がある。


それだけだった。


服を着る。


財布とスマートフォンを持つ。


家を出る。


駅へ向かう。


いつもの駅とは反対方向の電車に乗る。


車窓の景色が変わっていく。


見慣れた建物が減る。


知らない店。


知らない道路。


知らない駅。


アポロンは窓の外を眺めていた。


「ここには、まだ来たことがない」


電車を降りる。


駅前には小さな商店街があった。


人も少ない。


大きな建物もない。


アポロンは歩き始めた。


パン屋。


花屋。


古い本屋。


小さな公園。


知らない場所なのに。


人がいる。


誰かが買い物をしている。


子どもが走っている。


老人がベンチに座っている。


世界は。


自分が知らないところでも。


普通に続いていた。


アポロンは小さな本屋に入った。


店員が「いらっしゃいませ」と言う。


棚を見る。


知らない本が並んでいる。


一冊の小説を手に取る。


タイトルを見る。


内容は分からない。


裏表紙を読む。


それでも分からない。


「……」


神だった頃なら。


本を開かなくても。


その内容を知ることができた。


けれど。


アポロンは本を開いた。


一ページ目を読む。


二ページ目。


三ページ目。


少しだけ面白い。


全部を知らないから。


次のページが気になる。


「なるほど」


アポロンは小さく笑った。


本を買う。


店を出る。


近くの公園のベンチに座る。


買った本を読む。


しばらくすると。


隣のベンチに小さな男の子が座った。


母親らしい女性が少し離れた場所にいる。


男の子は何かを見ている。


アポロンも同じ方向を見る。


鳩が歩いている。


男の子が笑った。


アポロンも少し笑った。


それだけだった。


知らない人。


知らない場所。


知らない一日。


誰もアポロンを知らない。


アポロンも誰も知らない。


それでも。


同じ時間を過ごしている。


夕方。


アポロンは駅へ戻った。


帰りの電車に乗る。


買った本を鞄に入れる。


スマートフォンを見る。


美咲からメッセージが来ていた。


『今から帰ります』


アポロンは返信する。


『分かった。気をつけて』


少し考えて。


もう一度送る。


『今日は知らない場所に行ってきた』


すぐに返信が来る。


『どうでした?』


アポロンは窓の外を見る。


『よかった』


それだけ送った。


家に帰る。


美咲が先に帰っていた。


「おかえりなさい」


「ただいま」


「どこに行ってたんですか?」


「知らない場所」


「それは答えになってませんよ」


美咲が笑う。


アポロンも笑った。


「電車に乗って、知らない駅で降りた」


「一人で?」


「うん」


「楽しかった?」


「楽しかった」


「何をしたんですか?」


「本を買った」


アポロンは鞄から本を出した。


「へえ」


美咲が表紙を見る。


「知らない本ですね」


「だから買った」


「読み終わったら貸してください」


「分かった」


夜。


アポロンはベッドの横に本を置いた。


まだ読み終わっていない。


結末も知らない。


明日、続きを読む。


それだけのことが。


少し楽しみだった。


世界のすべてを知っていた神にとって。


知らない場所へ行くことは。


かつてなら、意味のないことだった。


今は。


知らないからこそ。


行ってみたいと思う。


それが。


人間になったということなのかもしれなかった。

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