第四十八章 誘われた夜
仕事が終わった。
アポロンが帰ろうとすると、健一が声をかけた。
「アポロン、今日このあと暇か?」
「特に予定はありません」
「じゃあ、一緒に飯食わないか?」
アポロンは少し驚いた。
「二人で?」
「他にも何人かいるけどな」
「店の人ですか?」
「そう。たまには仕事じゃないところで話そうと思って」
アポロンは少し考えた。
「分かりました」
「じゃあ、行こう」
店を出る。
駅の近くの小さな居酒屋に入った。
中には、店のアルバイトや健一の知り合いが何人かいた。
「この人がアポロン」
健一が紹介する。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
簡単な挨拶。
それから。
料理が運ばれてくる。
みんなで食べる。
仕事の話。
最近見たテレビ。
近所の店。
休日の予定。
大した話ではない。
アポロンは最初、少し静かにしていた。
何を話せばいいのか分からない。
すると隣の人が聞いた。
「アポロンさんって、休みの日は何してるんですか?」
「散歩したり、本を読んだりします」
「意外と普通ですね」
「普通?」
「もっと何か、変わったことしてるのかと思ってました」
アポロンは少し考えた。
「特にありません」
「そうなんだ」
話はそれで終わった。
しばらくすると。
別の人が最近見た映画の話を始めた。
アポロンも少しだけ参加する。
映画の内容について話す。
誰かが笑う。
別の人も笑う。
アポロンも笑った。
気づけば。
二時間ほど経っていた。
「そろそろ帰るか」
健一が言った。
店を出る。
夜の駅前は、昼より静かだった。
「今日はありがとうございました」
アポロンが言う。
健一は笑った。
「こちらこそ」
「楽しかったです」
「それならよかった」
アポロンは歩きながら考えた。
今日は。
何か重要なことをしたわけではない。
仕事でもない。
契約でもない。
誰かに頼まれたわけでもない。
ただ。
誘われた。
そして。
一緒に食事をした。
それだけだった。
家に着く。
美咲はまだ起きていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「遅かったですね」
「健一に誘われて、食事に行っていた」
「そうなんですか」
「うん」
「楽しかった?」
アポロンは少し考えた。
「楽しかった」
「よかったですね」
「誘われるというのは、不思議だな」
「何がですか?」
「自分が必要だから呼ばれたわけではない」
「でも、来てほしいから誘ったんですよ」
アポロンは黙った。
来てほしい。
必要ではない。
仕事でもない。
それでも。
一緒にいたい。
だから誘う。
「……そういうことか」
「何が分かったんですか?」
「人間は、用事がなくても誰かと一緒にいる」
美咲は笑った。
「そうですね」
アポロンは今日の夜を思い出した。
誰かに誘われる。
その誘いを受ける。
同じ場所に行く。
同じ料理を食べる。
話す。
笑う。
そして帰る。
明日になれば、また仕事がある。
特別なことではない。
けれど。
今日という一日は。
少しだけ違っていた。
「誘ってもらえるのは、悪くないな」
アポロンはそう言った。
美咲が笑う。
「じゃあ、また誘ってもらえるといいですね」
「うん」
アポロンは頷いた。
その夜。
眠る前に。
今日の出来事を思い出した。
そして。
次に誰かから誘われた時も。
行ってみようと思った。




