第286章 契約の向こう側
森川たちは、初期契約と説明資料を照合した結果をまとめていた。
契約が結ばれた目的。
神侍従の役割。
協力者が提供するものの管理方法。
そして、支援対象の状態が変化した場合に、支援内容を再確認するという条件。
これらは、複数の資料から確認できた。
一方、提供資源の個別記録は、依然として見つかっていなかった。
森川は、共通処理資料の索引をもう一度確認した。
提供資源の集約処理に使われた識別子は、0000。
その処理の参照先には、別の番号が記されている。
これまでの照会では、その番号が現在の管理区分に存在しないことまでは確認できていた。
今回は、旧管理区分の移管一覧を使い、参照先を一つずつ追った。
午前中の終わり頃、山本が画面を指さした。
「見つかりました」
参照先の番号は、古い管理区分に残っていた。
資料名は「支援資源移転記録」。
森川は、その管理履歴を確認した。
作成時期は初期契約の成立後。
移管記録には、共通処理資料への移管が記されている。
受領記録はなかったが、元の管理区分には、移管前の索引が残っていた。
閲覧許可を得て内容を確認すると、そこには、提供されたものを支援対象へ移す処理が記録されていた。
個々の協力者の名前は、管理番号に置き換えられていた。
提供内容も、具体的な名称ではなく、分類記号で記されていた。
高瀬は、記号の定義を調べた。
「これまでの資料に出てきた提供資源の分類と一致します」
森川は記録を照合した。
提供資源は、契約に基づいて集約され、支援機構を通じて支援対象へ移されていた。
そして、移転先の欄には、こう記されていた。
「創造主・神性管理領域」
三人は、しばらくその記載を見つめた。
「神性……」
山本が小さく言った。
森川は、これまでの記録を並べた。
人間化支援の契約。
協力者からの提供。
0000による集約処理。
創造主の神性管理領域への移転。
これらは、記録上、同じ処理系列につながっていた。
しかし、提供されたものが神性のどの部分に作用したのか、どれだけの量が移されたのか、現在のアポロンの状態にどのような影響を与えているのかまでは分からなかった。
「この記録だけで、神力が失われた原因をすべて説明できるわけではありません」
森川は言った。
「ただ、協力者の提供資源が、創造主の神性管理領域へ移される仕組みは確認できました」
高瀬が頷いた。
「次は、移転後の処理記録ですね」
午後、追加の照会を送った。
回答を待つ間、森川はアポロンに連絡した。
「提供資源の移転記録が見つかりました」
「どこへ移されていた?」
「創造主の神性管理領域です。契約に基づく提供資源が、0000によって集約され、その領域へ移された記録があります」
アポロンは、すぐには答えなかった。
「私の神性に関係する処理だったのか」
「その可能性は高いと考えられます。ただし、具体的な影響までは、まだ確認できていません」
「分かった」
電話が切れたあと、アポロンは椅子に座ったまま、自分の内側へ意識を向けた。
かつて、世界のあらゆる出来事を知ることができた。
遠く離れた場所で起きることも、誰かが考えることも、必要ならば知ることができた。
今は違う。
知らないことがある。
届かない場所がある。
以前なら容易にできたはずのことが、できなくなっている。
その変化が、単に人間の身体を得た結果なのか。
それとも、神性そのものが失われたためなのか。
彼はまだ、完全には理解していなかった。
夕方、美咲が帰ってきた。
「今日はどうだった?」
「契約によって提供されたものが、私の神性に関わる領域へ移されていたらしい」
美咲は上着を脱ぎ、椅子に座った。
「それで、何か戻せそうなの?」
「まだ分からない。何が移され、何が残っているのか、詳しい記録を確認する必要がある」
「そっか」
美咲は少し考えた。
「でも、少しずつつながってきたんだね」
「ああ」
「最初は、何が起きているのかも分からなかったから」
アポロンは頷いた。
ただ、記録がつながるほど、別の疑問も明確になっていった。
契約は、支援対象の人間化を目的としていた。
協力者は、自分の一部を提供することになっていた。
提供資源は、神性管理領域へ移されていた。
それでも、現在の処理は終わっていない。
アポロンが人間として生活するようになった後も、システムは人間化の完了を目標に掲げ、対象範囲を拡張し続けている。
なぜ、最初の契約に記されていた再確認の条件が使われていないのか。
なぜ、アポロン自身の意思が変わった後も、処理が続いているのか。
その答えは、まだ見つかっていなかった。
翌日、追加照会の回答が届いた。
移転後の処理記録は、現行システムに引き継がれていた。
しかし、引き継ぎ時の詳細な変換記録は残っていなかった。
確認できたのは、処理系列が現在の0000へ接続されていることだけだった。
森川は、回答を保存した。
「ここまでで、初期契約から現在の処理につながる経路は、かなり明確になりました」
高瀬が言った。
「ただし、現在の処理がどのように契約の範囲を拡張したのか、そして停止させるには何が必要なのかは、まだ残っています」
森川は頷いた。
「次は、神侍従が残した記録を探しましょう。契約を作った側が、何を想定していたのか。それを確認しないと、今の処理をどう終わらせるべきか判断できません」
その夜、アポロンは窓辺に立った。
自分のために、誰かが何かを提供した。
その結果、自分の神性に変化が起きた可能性がある。
しかし、誰かの提供によって得られたものが、誰かの意思を無視して使われ続けてよいわけではない。
彼は、そこまで考えてから目を閉じた。
自分が人間になりたいと願ったことは、今も否定しない。
だが、その願いをかなえるために、他の人間の選択が失われていくことは望まない。
その意思は、すでにシステムへ伝えてある。
次に必要なのは、その意思を処理の停止につなげる方法だった。




