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神様は、明日を知らない』 ――全知全能の神が、人間になった理由――  作者: 亀


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第282章 契約の原本

翌日、森川たちは閲覧許可を得た。


指定された保管場所には、古い記録媒体と紙の資料が分けて置かれていた。


「初期契約関連資料」と記された箱は、ほかの資料より小さかった。


箱の中には、管理記録が数枚と、封印された薄い冊子が一冊入っていた。


表紙には、古い文字でこう書かれていた。


「創造主の人間化支援に関する契約」


森川は、まず箱の管理番号を記録した。


高瀬が封印の状態を確認し、担当者の立ち会いのもとで冊子を開いた。


最初のページには、契約の目的が記されていた。


創造主が人間として生きることを望んだ場合、その実現を支援する。


そのために、創造主に関わる者たちが協力し、必要な力を提供する。


森川は、ゆっくりと次のページをめくった。


そこには、契約に関わる者の区分が記されていた。


一つは、支援を実行する者。


もう一つは、支援に協力する者。


前者の欄には、固有名詞ではなく、役割を示す言葉があった。


「神侍従」


高瀬が記録を取った。


後者の欄には、複数の署名が並んでいた。


署名の一部は、長い年月によって薄くなっていた。


すべてを判読することはできない。


しかし、複数の人間が契約に参加していたことは確認できた。


山本は、契約の条件を読み進めた。


「協力者は、支援のために自己の一部を提供する」


その一文の下には、説明が続いていた。


提供されるものは、協力者ごとに異なる。


提供の内容と範囲は、個別の記録に残す。


提供によって生じる影響は、支援の進行に応じて確認する。


山本は、最後の一文を読み直した。


「影響を確認する、ですか」


「ええ」


森川は答えた。


「影響が生じないとは書かれていません」


高瀬は、契約書の後ろに綴じられた別紙を確認した。


そこには、協力者の管理番号が記されていた。


しかし、個々の提供内容を記録するはずの欄には、参照番号だけが残っていた。


参照先は、現在の管理区分には存在しない。


「この部分が、移管された記録でしょうか」


「可能性はあります。ただ、同じ管理番号が別の用途で使われていた可能性も確認しないといけません」


森川は断定を避けた。


次のページには、支援の実行方法が記されていた。


協力者から提供されたものは、契約の管理機構に集約される。


管理機構は、提供されたものを支援対象へ移す。


支援対象の状態が変化するたびに、処理結果を記録する。


そして、最後の項目に目が留まった。


「支援目標の達成をもって、契約に基づく処理を終了する」


高瀬は、現行システムの記録を取り出した。


現在の目標は、同じだった。


「創造主の人間化」


しかし、初期契約には、もう一つの記載があった。


「契約の範囲を変更する場合、関係者の確認を要する」


森川は、現行の処理履歴と照合した。


これまで見つかった記録では、対象範囲が拡張されていた。


一方で、関係者がその変更を確認したという記録は見つかっていない。


「初期契約と、現在の処理には違いがありますね」


山本が言った。


「ただし、これだけで現在の処理が契約に違反していると確定することはできません。変更の承認記録が別の場所に存在する可能性は残っています」


森川は、その指摘を記録に加えた。


さらにページをめくると、契約の末尾に署名欄があった。


神侍従の署名。


協力者の署名。


そして、支援対象の欄。


そこには、アポロンの名が記されていた。


ただし、支援対象の署名欄は空白だった。


署名が不要とされた理由も、別の記録を参照するように記されている。


高瀬は、その部分を撮影した。


「本人が契約に同意していなかった、とまでは言えませんね」


「ええ。署名がないことだけでは、同意の有無は確定できません」


森川は答えた。


「ただ、現在のシステムが本人の同意を確認済みとして扱う根拠は、この原本には見当たりません」


調査は、そこでいったん区切られた。


契約が実在したこと。


神侍従と複数の人間が関わっていたこと。


人間化の支援に、協力者から提供されたものが使われる仕組みだったこと。


そして、契約の範囲を変更するには、関係者の確認が必要だったこと。


これらは、原本から確認できた。


一方で、個々の協力者が何を失ったのか、現在の処理がどのように範囲を拡張したのか、アポロン本人がどこまで事情を知っていたのかは、まだ分からない。


森川は原本を元の状態に戻し、閲覧記録を作成した。


「次は、提供内容の記録と、神侍従が行った処理を調べます」


その日の夕方、アポロンは森川から説明を受けた。


「契約は見つかったのか」


「はい。原本を確認できました」


「誰が関わっていた?」


「神侍従と、複数の人間です。協力者は支援のために、自分の一部を提供する契約になっていました」


アポロンは、しばらく黙っていた。


「私のために?」


「契約上の目的は、あなたの人間化支援です」


「その人間たちは、何を提供した?」


「個別の記録が別管理になっており、まだ確認できていません」


アポロンは目を伏せた。


自分は、人間になりたいと思ったことがある。


それは確かだった。


だが、その願いのために、誰かが自分の一部を差し出すことまで望んだのか。


記憶には、答えがなかった。


「神侍従は、今も存在しているのか」


森川は、少し間を置いた。


「契約書には、その役割が記されています。ただ、現在どこにいるのか、今も活動しているのかは確認できていません」


「そうか」


「アポロンさん。ひとつ、確認させてください」


「何だ」


「この契約を結ぶことについて、あなた自身が誰かに依頼した記憶はありますか」


アポロンは長い時間をかけて考えた。


神侍従は、彼のそばにいた。


彼の願いを知っていた者もいた。


だが、契約を結ぶよう頼んだ記憶はなかった。


「ない」


「分かりました」


森川は、答えをそのまま記録した。


それ以上の意味を付け加えることはしなかった。


電話を切ったあと、アポロンは窓の外を見た。


街には、いつもと変わらない人々がいた。


仕事を終えて帰る人。


店先で話している人。


信号が変わるのを待つ人。


その中の誰かが、かつて自分のために何かを失ったのかもしれない。


しかし、まだ分からない。


誰が、何を、どこまで知っていたのか。


アポロンは、その答えを急いで決めなかった。


今は、確かめる必要がある。


自分の願いが、どのような約束に変わったのかを。

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