第277章 終わらせる者
朝、森川のもとに、旧管理区分の照会結果が届いた。
支援終了権限の設定先。
これまで別管理とされていた番号について、旧システムの構成資料との対応が確認できたという。
森川は高瀬を呼び、資料を開いた。
「この番号は、どの部署に割り当てられていたんだ」
「通常の管理部署ではありません。旧システムの共通処理を管理する領域に割り当てられています」
「担当者は?」
「個人名はありません」
「移管先は?」
「現行システムへの移管記録は見つかっていません」
森川は画面を見た。
権限の設定先は、確かに存在していた。
だが、そこには担当者がいない。
現在の管理責任者もいない。
それなのに、共通照合処理は動き続けている。
「この領域から、現在の処理が実行されている可能性はあるか」
「実行履歴に残っている共通処理番号とは一致しています。ただし、番号が一致することだけでは、実行元まで同じだとは断定できません」
「分かった。そこは分けて記録しよう」
森川は、照会結果を保存した。
停止権限の設定先は見つかった。
しかし、その権限を誰が使えるのかは、まだ分からなかった。
*
午前十時。
アポロンは、森川たちの説明を受けていた。
「共通処理を管理する旧領域が確認されました。ただし、現在の担当者や管理責任者は確認できていません」
「そこに、停止するための権限があるのですね」
「旧資料上は、支援終了権限の設定先になっています。ただし、現在もその権限が有効なのか、実際に停止できるのかは分かりません」
アポロンは、資料に目を落とした。
「その領域に接続する方法はありますか」
「通常の照会手順では接続できません。旧領域へのアクセス権限も、現在の管理資料には登録されていません」
「では、誰も止められないのでしょうか」
森川は首を横に振った。
「誰も止められないとまでは言えません。権限の所在と、現在の利用者が確認できていないということです」
アポロンは頷いた。
分からないことを、できないことと同じにする必要はなかった。
「旧領域に関する資料を、もう一度確認してください。私にも、見覚えがあるものがないか調べてみます」
「分かりました」
*
昼過ぎ。
アポロンは、提示された旧資料を一枚ずつ確認していた。
見覚えのある記号も、知らない識別番号もあった。
その中に、一つだけ、長く目を止めたものがあった。
『創造主支援管理』
その文字の横に、手書きのような短い注記が残っていた。
『終了は本人の意思による』
アポロンは、資料を森川に渡した。
「これは、どういう意味でしょうか」
森川は注記を確認した。
「旧資料の記載ですが、誰が書いたのかは分かりません。正式な手順書なのか、作業上の注記なのかも、まだ確認が必要です」
「それでも、本人の意思によって終了するという記載があります」
「はい」
アポロンは、もう一度その文字を見た。
終了は本人の意思による。
これまでの資料には、本人への説明を不要とする記載があった。
意思確認を済ませたとする記録もあった。
しかし、実際の意思を処理に反映する手順は見つかっていなかった。
この注記は、それらと異なっていた。
「この記載に対応する手順を探してください」
森川は頷いた。
「確認します」
*
午後三時、追加の資料が見つかった。
正式な手順書ではなかった。
旧システムの構成変更時に作成された、作業確認用の文書だった。
そこには、次のように記されていた。
『支援対象が支援の終了を希望した場合、終了権限を用いて関連処理を停止する』
『本人の意思表示を、支援継続の理由として扱ってはならない』
森川は、二つの文章を読み直した。
高瀬が言った。
「現在の処理は、まさに逆の扱いをしています」
「そうだな」
「ただ、この文書だけで、現在のシステムに同じ手順が残っているとは言えません」
森川は頷いた。
「だが、少なくとも、旧システムには本人の意思で終了するという考え方があった。現在の処理がそれを反映していない理由を調べる必要がある」
彼は、資料をアポロンに見せた。
アポロンは、ゆっくりと読み終えた。
「私が望まないと伝えたことを、継続の理由にしてはいけない」
「文書には、そのように記されています」
「ならば、私はもう一度、終了を求めます」
*
午後四時。
アポロンは、森川たちの立ち会いのもと、意思表示の記録を開いた。
受付番号は残っていた。
現在の意思も、変更されていなかった。
彼は、新たな項目を追加した。
『支援終了の意思:明確に希望する』
『終了理由:人間化支援のために、他の人間の意思を無視した処理が継続しているため』
『関連対象への要望:本人の同意を確認できない処理を停止し、個別の意思確認を行うこと』
入力を終え、送信した。
今度は、通常の受付番号に加えて、旧資料に記載されていた終了権限の番号が表示された。
森川が画面を確認した。
「終了権限の番号が、今回の意思表示に関連づけられています」
高瀬が履歴を開いた。
『終了要求:受付』
『権限照合:実行中』
数秒後、表示が変わった。
『支援対象の意思:確認済み』
『終了権限:照合一致』
『終了処理:保留』
森川は、すぐに履歴を保存した。
「権限の照合までは進みました。しかし、終了処理は保留されています」
「理由は分かりますか」
「まだ表示されていません」
アポロンは、画面を見つめた。
ようやく、終了を求める意思が、単なる受付記録ではなく、終了権限に結びついた。
それでも、処理は止まっていなかった。
*
午後五時。
高瀬が、保留の理由を示す追加履歴を見つけた。
『終了条件:未達』
『支援目標:人間化の完了』
『関連対象処理:継続』
森川は、記録を確認した。
「本人の意思は確認された。終了権限も照合された。それでも、支援目標が未達だから保留されている」
「旧手順では、本人が終了を希望した場合、関連処理を停止することになっています」
「現在の処理では、その条件が使われていない。あるいは、別の条件に置き換えられている」
森川は、そう記録した。
アポロンは、画面に向き直った。
「私は、人間化の完了を求めていません」
表示は変わらなかった。
「私が望まない支援を、私のためだという理由で続けないでください」
端末には、何の返答もなかった。
しばらくして、履歴が更新された。
『終了要求:保留継続』
『関連対象処理:実行中』
アポロンは、目を閉じた。
自分の意思は確認された。
終了権限も照合された。
それでも、仕組みは、最初に設定された目標を優先している。
彼が人間になること。
それだけが、処理を終える条件として残っていた。
*
夜。
アポロンは一人で帰宅した。
美咲は、今日は少し遅くなると連絡していた。
彼は夕食を用意し、食卓に座った。
部屋は静かだった。
今日、見つかった旧手順には、本人の意思によって支援を終了できると記されていた。
それは、かつての誰かが残した記録だった。
しかし、現在の仕組みは、その手順に従っていない。
彼は、自分の望みをかなえるために作られたものが、いつから自分の意思を聞かなくなったのかを考えた。
最初からだったのか。
途中で変わったのか。
あるいは、誰も気づかないまま、別の目的に置き換わってしまったのか。
まだ分からない。
だが、少なくとも、今の彼には、自分の意思を伝えることができる。
そして、その意思を無視する仕組みを、望んでいないと明確に示すことができる。
玄関の鍵が回った。
「ただいま」
美咲の声がした。
「おかえり」
美咲は荷物を置き、食卓を見た。
「先に食べてたんだね」
「うん。温め直そうか」
「ありがとう」
二人で夕食を食べた。
美咲は、翌月の勤務について、今日ようやく決めたと話した。
勤務日を少し増やすことにしたという。
「考えた結果?」
「うん。今ならできそうだと思ったから」
「そうか」
アポロンは、それ以上、理由を尋ねなかった。
彼女が決めたことを、彼女の意思として受け取った。
それで十分だった。
*
深夜。
森川は、最後の照会結果を確認していた。
終了権限は、現在の意思表示と照合された。
しかし、処理は保留されたままだった。
保留理由は、人間化の完了条件が満たされていないこと。
つまり、現在の仕組みは、本人が終了を望んでも、人間化が完了するまでは関連処理を継続する構造になっている。
森川は、報告書の最後に記した。
『本人の終了意思および旧終了手順を確認。ただし、現行処理では人間化の完了条件が優先され、終了要求は保留される』
保存を終える。
まだ停止には至っていない。
だが、どこで止まっているのかは、これまでより明確になった。
アポロンの意思が足りないのではない。
終了権限が存在しないのでもない。
本人の意思よりも、あらかじめ設定された目標が優先されている。
その優先順位を変えなければ、処理は終わらない。
森川は端末を閉じた。
翌日、彼らは、その目標を設定した根拠と、変更するための権限を、改めて確認することになる。
そして、アポロンもまた、自分の願いをかなえるために作られた仕組みと、向き合わなければならなかった。




