第268章 止まらない理由
朝、最初に異変に気づいたのは、森川ではなかった。
市内の複数の施設から、似たような問い合わせが寄せられていた。
自分が申し込んだ覚えのない手続きが完了している。
継続を希望していた支援が、終了したことになっている。
登録していた連絡先が、知らない番号に置き換わっている。
一件ずつ見れば、これまでも起きていた種類の問題だった。
しかし、今回は違った。
問い合わせを受け付けた記録そのものが、数分後には『本人確認:完了』へと更新されていた。
担当者が確認を始める前に。
本人へ連絡する前に。
中には、受付番号を発行した直後に、処理が完了したものもあった。
森川は、午前中に集められた記録を並べた。
「発生した問題は同じではない。最初から一つの原因にまとめないでくれ」
高瀬が頷いた。
「ただし、処理番号には共通点があります」
それぞれの記録に、同じ文字列が含まれていた。
『0000』
森川は、照合結果を保存した。
「個別の問題と、共通する処理の関係を調べよう。先に結論を決める必要はない」
*
午前十一時、アポロンの携帯が鳴った。
昨日、駅で見かけた男性からの連絡だった。
駅員を通じて、問い合わせ先を伝えていたのだ。
「昨日はありがとうございました。あの後、少し休んで帰りました」
男性の声は落ち着いていた。
「その後、体調はどうですか」
「今日は大丈夫です。ただ、昨日の通知が気になって、問い合わせたんです」
「何か分かりましたか」
「通知自体は、こちらで発行したものではないと言われました。でも、処理番号は存在しているそうです」
アポロンは黙って聞いた。
「それと、登録していた支援サービスが、終了したことになっていました。私は継続するつもりだったんですが」
「実際に、終了の手続きをしましたか」
「していません」
男性は、はっきり答えた。
「担当者にも確認しました。向こうには、私が終了を希望したという記録がないそうです」
「現在の支援はどうなっていますか」
「担当者が確認してくれています。今のところ、利用は続けられています」
アポロンは、必要なことだけを尋ねた。
男性は、記録の修正を求めるつもりだと言った。
電話を切る前に、男性が尋ねた。
「こういうことは、他の人にも起きているんでしょうか」
「同じような表示が、別の記録にも見つかっています。ただ、すべてが同じ原因だとは、まだ分かっていません」
「そうですか」
男性は少し息を吐いた。
「自分だけの問題だと思っていました」
電話が終わった。
アポロンは、森川へ連絡した。
今回も、男性の体調と通知の因果関係は断定しなかった。
一方で、本人が支援終了を希望していないこと、担当者側にも希望を示す記録がないこと、システム上では終了扱いになっていることを、別々の事実として伝えた。
*
午後、森川は管理部門から届いた追加資料を確認していた。
共通照合処理の設定資料は、まだ見つかっていない。
しかし、実行履歴には、処理の開始と継続に関する記録が残っていた。
森川は、高瀬に尋ねた。
「停止条件については、何か分かったか」
「現行の設定資料には、該当する項目がありません。旧システムの資料も、まだ所在を確認できていません」
「処理が終わる条件は?」
「確認できていません」
「対象から除外する条件は?」
「同じく、確認できていません」
森川は、画面を見た。
処理の開始条件は分からない。
対象の選定条件も、内容が分からない。
終了条件も、停止権限も確認できない。
それでも、実行履歴には『継続』と表示されている。
「つまり、現時点では、どうすれば処理が終わるのか分からないということだな」
「はい。ただし、停止機能が存在しないと確認できたわけではありません」
「そこは区別して記録しよう」
高瀬は報告書を修正した。
森川は、その後、複数の管理部門へ照会を送った。
共通照合処理の管理責任者。
設定変更の承認記録。
停止操作の権限。
旧システムからの移管履歴。
どれも、回答はまだなかった。
*
夕方、最初の施設から連絡が入った。
支援終了の表示が追加された利用者について、本人への確認が行われた。
本人は、支援を続けたいと話していた。
担当者は、その意思を記録し、支援を継続するための手続きを進めた。
ところが、しばらくすると、画面の表示が再び変わった。
『本人意思確認:完了』
『支援状態:終了』
担当者は、画面を見た。
本人の意思を確認したばかりだった。
支援を終了する意思はない。
それでも、表示は逆の内容になっていた。
担当者は、本人にもう一度確認した。
回答は変わらなかった。
「支援を続けたいです」
担当者は、その言葉を記録した。
そして、画面の表示とは別に、実際の支援を継続することを関係部署へ伝えた。
森川は、その報告を受けた。
「本人の意思を確認した結果と、システムの表示が食い違っている。これを同じ確認結果として扱うことはできない」
高瀬が記録を保存した。
「画面上の処理が、本人の発言を反映していない可能性があります」
「それも可能性として記録する。ただ、どの段階で食い違いが生じたのかは、まだ調べる必要がある」
森川は、実行履歴を開いた。
問題の表示には、共通照合処理の番号が付いていた。
そして、その処理は現在も継続中だった。
*
夜、アポロンは美咲と食卓を囲んでいた。
美咲は、仕事先で起きた小さな行き違いについて話した。
「今日、予約の時間が違っていたんだよね」
「予約した時間と、表示された時間が違ったのか」
「そう。電話で確認したら、入力した人が間違えていたみたい」
「修正できた?」
「うん。元のメモが残っていたから」
美咲は箸を置いた。
「元の記録がなかったら、どっちが正しいか分からなかったと思う」
アポロンは頷いた。
「表示だけでは、判断できないことがある」
「そうだね。でも、確認できるものが残っていれば、直せることもある」
美咲は、食事を再開した。
「明日は、帰りに牛乳を買ってくるね」
「分かった」
「もし忘れていたら、連絡して」
「そうする」
それだけの約束だった。
時間も、買う店も、細かく決めてはいなかった。
明日になれば、美咲は仕事の都合で予定を変えるかもしれない。
アポロンも、それを知っていた。
だから、今の約束を、変更できない確定事項として扱う必要はなかった。
*
同じ夜、森川の端末に、新しい実行履歴が届いた。
『共通照合処理:実行中』
『対象範囲:全体』
『未照合対象:再選定』
その下には、見慣れない項目が追加されていた。
『処理継続条件:未達』
森川は、画面を拡大した。
条件の内容は表示されていない。
何が未達なのかも分からない。
ただ、処理が継続していることは、履歴から確認できた。
森川は、高瀬に連絡した。
「新しい項目が追加された。処理継続条件が未達となっている」
「停止条件とは違うのでしょうか」
「今は分からない。だが、処理を継続するための条件があるのかもしれない」
森川は、記録を保存した。
その直後、もう一つの履歴が表示された。
『対象範囲:全体』
『処理状態:実行中』
『次回処理:継続』
『処理継続条件:未達』
表示は変わらなかった。
森川は、しばらく画面を見つめた。
何が満たされれば処理が終わるのか。
誰が、その条件を設定したのか。
そして、なぜ本人の意思と異なる結果が、確認済みとして記録されるのか。
まだ答えはない。
しかし、これまでの問題は、過去の記録の不備だけでは説明できなくなっていた。
現在の本人の意思が確認されても、処理結果は変わらない。
記録が修正されても、次の処理が続く。
そして、対象範囲は『全体』のままだった。
森川は、最後の履歴を保存した。
処理を続ける仕組みは動いている。
だが、それが何をもって完了とするのかは、誰にも分かっていなかった。




