第246章 更新された時刻
アポロンは、翌朝、携帯を開いた。
昨夜、名前が消えていた連絡先は、元に戻っていなかった。
過去のメッセージには相手の名前が残っている。
しかし、連絡先の一覧には番号だけが表示されていた。
アポロンは、保存した画面を見直した。
更新時刻は、昨夜の二十一時四十七分。
その時間、彼は家にいた。
誰かに連絡先を編集した覚えはない。
設定画面を開き、変更履歴を確認した。
履歴は表示されなかった。
「何をしてるの?」
台所から美咲が声をかけた。
「連絡先を確認している」
「誰かの名前が消えたの?」
「そうだ」
美咲は近くに来て、画面を見た。
「この人、誰?」
「以前、仕事の連絡をするために登録した人だ」
「番号は分かる?」
「古いメッセージに残っている」
「じゃあ、連絡を取る必要があるなら、そっちから確認できるね」
「そうだな」
美咲は画面をもう一度見た。
「でも、勝手に変わったなら、理由は分からないままだね」
「うん」
アポロンは携帯を閉じた。
朝食を済ませ、仕事へ向かった。
*
午前中、森川は前日に発生した連絡先の表示異常について、追加の報告を受けた。
男性と担当者の連絡先が、通常の管理画面から消えていた案件だった。
担当者側の過去の記録を調べたところ、連絡先の登録が変更されたとみられる時刻が見つかった。
しかし、変更を行った職員の名前は記録されていなかった。
「操作履歴がないのか」
森川が尋ねた。
「正確には、変更後の情報は残っています。ただ、変更前の情報と、操作した人を結びつける履歴が見つかっていません」
高瀬が答えた。
「変更時刻は?」
「記録されています。ただ、その時刻に誰が何を操作したのかは分かりません」
森川は、報告書に目を通した。
変更後の状態が存在することと、変更が正当な手続きで行われたことは別だった。
「変更の根拠が見つかるまで、連絡先が解除されたものとして扱わないようにしよう」
高瀬は頷いた。
「本人たちには、現在の連絡方法を確認してもらっています」
「それと、変更前の情報も保存しておいてくれ。現在の表示だけで調査を進めると、以前の状態が分からなくなる」
高瀬は、過去の連絡記録を別の資料として保存した。
その後、担当者から追加の連絡が入った。
男性との連絡は、以前に使っていた別の連絡経路を通じて、今後も続けられることになったという。
二人は、次回の面談日も確認していた。
ただし、管理画面上の連絡先は、まだ元に戻っていなかった。
森川は、その点も記録に加えた。
実際の連絡は再開できた。
管理画面の表示異常は解消していない。
どちらか一方だけをもって、案件全体が解決したとはしなかった。
*
昼休み、アポロンは健一に携帯の画面を見せた。
「連絡先の名前が消えた」
健一は、画面を確認した。
「自分で編集した覚えはないのか?」
「ない」
「同期している別の端末は?」
「持っていない」
健一は少し考えた。
「俺なら、まず古いメッセージと、今の連絡先を保存するかな。あと、同じことが起きるか確認する」
「同じことが起きたら?」
「そのときは、変更された時間や、消えた項目を比べる。原因は、それだけじゃ分からないけどな」
アポロンは頷いた。
「原因が分からないのに、記録するのか」
「原因が分からないからこそ、記録するんだよ。後から何か分かったとき、比較できるだろ」
健一は、コーヒーを飲んだ。
「ただ、仕事に支障がないなら、今すぐ全部調べる必要はないと思うぞ」
「支障があるかどうかは、まだ分からない」
「なら、必要になったときに連絡できる方法だけ確保しておけばいい」
アポロンは、古いメッセージをもう一度確認した。
相手の名前と番号は残っていた。
今のところ、連絡を取る必要はない。
彼は携帯をしまい、仕事に戻った。
*
午後、山本は五〇二号室の住民に、調査の進捗を伝えた。
「後継部署から資料を受け取りましたが、旧番号と新しい番号の対応関係は確認できませんでした」
「資料そのものは見つかったんですか」
「その番号に対応する資料があることまでは、確認できていません」
住民は、少し考えてから尋ねた。
「では、次は何を調べるんですか」
「移管当時の受領記録と、番号を変更した際の対応表が残っていないか、確認する予定です」
「私の相談内容は、まだ見られないんですね」
「はい。現在は、内容を確認できる状態ではありません」
住民は頷いた。
「分かりました。見つかったら、まず私の記録かどうかを確認してください。内容を見るかどうかは、そのあとで決めます」
山本は、その希望を確認した。
「記録の帰属を確認することと、内容を閲覧することは、別の段階として扱います」
「お願いします」
住民は帰り際、もう一つ尋ねた。
「今まで調べたことは、残っていますか」
「はい。確認できた資料と、まだ確認できていない事項を分けて記録しています」
「それなら、よかったです」
住民は、受付票を鞄にしまった。
山本は、彼女が帰ったあと、調査記録を開いた。
新しく確認できたことは、まだ多くない。
それでも、何を調べ、何が分からず、本人がどこまでの確認を希望しているかは、記録に残っていた。
山本は、その三点を改めて確認してから、資料を保存した。
*
夕方、アポロンが帰宅すると、美咲はまだ帰っていなかった。
テーブルには、朝、美咲が置いていった書類があった。
付箋の貼られた箇所には、確認した結果が短く書き加えられていた。
一部は修正済み。
別の箇所は、担当者から回答待ち。
美咲は、分からない箇所を空欄のまま残していた。
アポロンは、書類を元の位置に戻した。
そのとき、携帯が鳴った。
連絡先の表示が変わっていた相手から、メッセージが届いていた。
『久しぶりです。以前の番号が使えなくなったので、こちらから連絡しました』
アポロンは、文面を読み返した。
相手は、番号が変わった理由を説明していなかった。
ただ、新しい連絡先を知らせてきただけだった。
アポロンは返信した。
『連絡ありがとう。以前の連絡先では名前が表示されなくなっていたので、確認していました』
少しして、返事が届いた。
『そうだったんですね。こちらでは、登録を変更したつもりはありません』
アポロンは、画面を保存した。
相手も変更した覚えがない。
自分にも変更した覚えがない。
それだけでは、何が起きたのかは分からなかった。
彼は、それ以上の質問を送らなかった。
必要な連絡は、今、取れている。
原因については、別に確認する必要がある。
夜、美咲が帰宅した。
「書類の確認、終わったよ」
「分かったのか」
「全部じゃないけど、必要なところは確認できた。残ったところは、明日もう一度聞くことになった」
「そうか」
美咲は鞄を置き、手を洗いに行った。
アポロンは携帯を手に取った。
名前が消えた連絡先。
変更した覚えのない相手。
残っている古いメッセージ。
どれも、今の時点では、原因を一つに結びつける材料にはならなかった。
ただ、昨夜の時刻と、今夜届いた相手の言葉は残っている。
アポロンは、それらを保存した。
そして、携帯を机の上に置いた。
分からないことを、すぐに一つの答えへまとめる必要はない。
確かめられるものを残しておけば、次に確認できることがあるかもしれなかった。




