第244章 残っているもの
山本が移管記録を見つけたのは、翌日の午後だった。
旧管理区分の資料を保管していた部署から、過去の移管一覧が送られてきたのだ。
一覧には、移管元の管理番号、移管日、移管先の区分が記載されていた。
五〇二号室の住民が持っていた受付番号と、同じ番号が見つかった。
山本は、該当箇所を拡大した。
移管先の欄には、現在使われていない管理区分の名称が書かれていた。
その横には、別の番号が記載されている。
しかし、移管先の部署名は空欄だった。
山本は森川に連絡した。
「移管一覧に、受付番号と一致する記録がありました」
「移管先は分かったのか」
「管理区分の番号はあります。ただ、部署名が空欄です」
「移管後の記録は?」
「まだ確認できていません」
森川は、一覧を送るよう指示した。
資料を受け取ると、森川は移管日を確認した。
受付から、数週間後の日付だった。
つまり、相談の受付と、関連資料の移管は、別の日に行われていた。
「受付した日に、相談内容が消えたわけではないんだな」
森川が言った。
「はい。ただし、移管先に資料が届いたことまでは確認できていません」
山本は答えた。
森川は、その違いを記録した。
移管一覧に記載があること。
移管先の管理区分番号があること。
資料が実際に移管されたかどうか。
現在も資料が残っているかどうか。
一つずつ、確認の段階が異なっていた。
森川は、旧管理区分を管理していた部署に、移管先の番号について照会を送った。
その日のうちに回答は届かなかった。
*
同じころ、高瀬は別の案件について、過去の処理履歴を調べていた。
ある申請について、本人から変更の申し出があった記録が残っていた。
変更内容も、受付日時も記載されている。
しかし、現在の管理画面では、変更申請がなかったことになっていた。
『変更申請:なし』
高瀬は、元の受付記録を確認した。
申請書には、本人の署名があった。
受付担当者の名前も記録されている。
変更申請が受け付けられたこと自体は、確認できた。
ところが、変更後の内容が、どこへ引き継がれたのかは分からなかった。
高瀬は、受付を担当した職員に連絡した。
「この申請について、変更内容を担当部署へ送った記録はありますか」
職員は、過去の資料を調べて答えた。
「受付した記録はあります。ただ、その後の引き継ぎについては、こちらでは確認できません」
「本人には、変更が反映されたと説明しましたか」
「そのような説明をした記録はありません」
高瀬は、回答を記録した。
その後、現在の担当部署にも確認した。
担当部署では、変更前の内容を基に処理が続けられていた。
変更申請があったことは、知らされていなかったという。
高瀬は森川に報告した。
「今回は、変更申請の受付記録が残っています。ただ、担当部署では変更前の内容が使われています」
森川は資料を確認した。
「では、本人の申請内容と、担当部署が使っていた内容を分けて保存しよう。どの段階で引き継がれなくなったのかは、まだ調べる必要がある」
高瀬は、両方の記録を保存した。
その日のうちに、担当部署は本人へ連絡し、変更内容を改めて確認することになった。
本人は、以前に提出した変更申請と同じ内容を希望していると答えた。
その回答も記録された。
しかし、管理画面には、変わらず『変更申請:なし』と表示されていた。
高瀬は、更新時刻を確認した。
本人の回答が記録されたあとも、表示は変わっていなかった。
彼は、画面を保存した。
*
夕方、アポロンは店で、客が忘れていった傘を見つけた。
黒い傘だった。
入口の傘立てに置かれていたが、店の備品ではない。
アポロンは、店内を見回した。
すでに客は帰っていた。
健一に伝えると、彼は傘を受け取った。
「忘れ物として保管しておこう」
「誰のものか分かるか」
「今は分からないな。問い合わせがあれば確認できる」
健一は、傘を忘れ物の保管場所に置いた。
その横には、以前に届けられた手袋が一組あった。
持ち主の名前は分からない。
けれど、いつ、どこで見つかったのかは記録されていた。
アポロンは、その記録を見た。
「名前が分からなくても、保管できるんだな」
「もちろん。名前が分からないからって、捨てるわけにはいかないだろう」
健一はそう答え、保管票に傘の特徴を書き込んだ。
色は黒。
柄は木製。
入口付近で発見。
発見時刻も記載した。
「これなら、持ち主が来たときに確認できる」
アポロンは頷いた。
名前が分からないことと、存在しないことは違う。
何が分かっていて、何が分からないのか。
それを残しておけば、あとから確かめられる場合もある。
仕事を終えたアポロンは、店を出た。
帰宅すると、美咲がテーブルで書類を読んでいた。
「何を見ている?」
「職場から届いた書類。内容を確認しているところ」
「確認は終わったのか」
「まだ。分からないところがあるから、明日、担当の人に聞いてみる」
アポロンは書類を見た。
「分からないところは、分からないままにしておくのか」
「うん。分かったふりをして提出するより、確認したほうがいいからね」
美咲は、分からない箇所に付箋を貼った。
その横には、確認したいことが短く書かれていた。
「これなら、明日聞き忘れないね」
アポロンは言った。
「そう。自分で分かるようにしておかないとね」
美咲は書類を封筒にしまった。
二人は夕食の準備を始めた。
*
翌朝、森川のもとに、移管先の管理区分について回答が届いた。
当時、その番号を使用していた部署は、組織改編によって廃止されていた。
関連資料の一部は後継部署へ移管されたが、すべての資料について、移管先を個別に確認できるわけではないという。
五〇二号室の住民に関する資料が、移管された資料の中に含まれていたかどうかは、回答からは分からなかった。
森川は、回答を読み終えた。
「移管先の区分が、今は存在しないことは分かった」
高瀬が尋ねた。
「では、記録は失われたのでしょうか」
「まだ分からない。後継部署に移管された資料がある。そちらを確認する必要がある」
森川は、追加の調査を依頼した。
山本は、旧管理台帳と移管一覧を並べて保存した。
受付番号は残っている。
移管先の番号も残っている。
しかし、相談内容が記載された資料は、まだ見つかっていない。
山本は、調査記録に新しい一文を加えた。
『移管先として記載された管理区分は廃止されている。後継部署への移管状況について、引き続き確認する』
その後、彼は五〇二号室の住民に、確認できた内容を伝えた。
住民は説明を聞き、しばらく考えた。
「つまり、受付した記録は残っているけれど、相談内容が今どこにあるかは、まだ分からないんですね」
「はい。現時点では、そのような状況です」
「分かりました。見つかっていないことと、存在しないことは、別にしておいてください」
山本は頷いた。
「そのように記録します」
住民は、受付番号の控えを鞄にしまった。
「何か分かったら、また教えてください」
「承知しました」
彼女が帰ったあと、山本は記録を更新した。
相談内容は未確認。
移管先は調査中。
本人への説明は、現在確認できている範囲に限定した。
その直後、管理画面に通知が表示された。
『記録確認:完了』
山本は、更新前の画面と並べて保存した。
確認できたのは、移管先の管理区分が廃止されていたことまでだった。
相談内容は、まだ見つかっていない。
山本は、その事実を調査記録に残した。
*
夜、アポロンは美咲と食卓を囲んでいた。
美咲は、翌日の予定について話した。
「明日は、書類の確認が終わったら連絡するね」
「分かった」
「問題がなければ、そのまま帰れると思う」
「問題があったら?」
「担当の人に聞いて、必要なら直すよ」
アポロンは頷いた。
「それで、明日の予定は決まったのか」
美咲は少し笑った。
「書類の確認が終わってからだね」
「そうか」
食事が終わると、アポロンは手帳を開いた。
明日の予定の欄には、何も書かれていなかった。
彼は、そのまま手帳を閉じた。
まだ分からないことがある。
だから、何も書かない。
それもまた、自分で選んだことだった。




