第239章 誰の返事なのか
翌朝、森川のもとに、前日に別経路で連絡した照会の回答が届いた。
担当部署は、本人の申請内容を確認したうえで、現在の手続き状況を説明していた。
回答には、担当者名と作成時刻が記載されていた。
森川は、高瀬に画面を見せた。
「今回は、回答そのものが確認できたな」
「はい。本人に送られたかどうかも確認しましょう」
高瀬は送信記録を調べた。
回答は送信済みになっていた。
しかし、送信先として表示されたのは、本人が最初に登録した連絡先ではなかった。
別の番号だった。
高瀬は、登録情報を開いた。
「この番号は、現在の登録情報にはありません」
「過去の記録には?」
「別の管理区分に、似た番号があります。ただし、同一人物の連絡先だと判断できる情報はありません」
森川は、送信処理の記録を保存するよう指示した。
「まず、どこへ送信したのかを確認しよう。本人に届いたと決めつけることはできない」
高瀬は担当部署に連絡した。
「回答の送信先について確認したいのですが、今回の番号は、どの記録から取得しましたか」
担当者は確認してから答えた。
「送信画面に自動表示された番号を使用しました」
「その番号が本人のものであることは、確認しましたか」
「画面上では、本人の連絡先として表示されていました」
「別の方法で確認した記録はありますか」
「ありません」
高瀬は、回答を記録した。
画面に表示されたこと。
その番号を使用したこと。
本人の連絡先であると別途確認していないこと。
それぞれは確認できた。
しかし、番号がどのように選ばれたのかは、まだ分からなかった。
森川は言った。
「本人に、回答が届いているか確認しよう」
午後、窓口から本人へ連絡が入った。
本人は、回答を受け取っていないと話した。
送信先として記録された番号にも、心当たりはなかった。
窓口の職員は、その発言を記録した。
「では、正しい連絡先を確認したうえで、改めて回答をお送りします」
「お願いします。最初に問い合わせた日付も、記録に残してください」
「承知しました」
通話が終わると、職員は本人の登録情報を改めて確認した。
最初の照会に記載されていた連絡先と、現在の本人確認資料に記載された連絡先は一致していた。
職員は、その連絡先を使って回答を再送した。
今度は、本人から受領したという返事が届いた。
高瀬は、二つの送信記録を並べた。
最初の送信は、システム上では完了していた。
しかし、本人は受け取っていなかった。
二度目の送信では、本人が受領したことまで確認できた。
「これで、最初の送信が本人に届いていなかったことは確認できますね」
高瀬が言った。
「そうだ。だが、最初の番号が選ばれた理由は、まだ分からない」
森川は、調査記録にその区別を書き加えた。
原因が分からなくても、実際に起きたことは記録できる。
その日の終わりまでに、同じような送信先の不一致が、別の案件でも一件見つかった。
こちらは、まだ本人への確認が取れていなかった。
森川は、その案件を未確認として残した。
似た現象があることと、同じ原因で起きたことは、別の話だった。
*
昼休み、アポロンは店の裏で携帯電話を確認した。
美咲からメッセージが届いていた。
『今日は予定どおりに帰れそうです』
その下に、もう一通あった。
『帰りに牛乳を買ってきてくれる?』
アポロンは返信した。
『分かった』
少しして、美咲から返事が来た。
『ありがとう』
アポロンは画面を閉じた。
特別なことではなかった。
頼まれた物を買い、帰宅する。
それだけの予定だった。
夕方、仕事が終わる少し前に、健一が声をかけた。
「アポロン、明日の勤務表を見たか?」
「まだ見ていない」
「休憩室に貼ってあるぞ。念のため確認しておけ」
アポロンは休憩室へ行き、勤務表を確認した。
自分の名前の横には、いつもと違う時間が記載されていた。
彼は紙を写真に撮り、健一に見せた。
「明日は、この時間なのか」
健一は写真を見た。
「いや、違う。さっき責任者に確認したけど、これは前の予定だ。新しい勤務表がまだ反映されていないらしい」
「では、どの時間に来ればいい?」
「責任者から直接、連絡をもらうことになっている。今はまだ決まっていない」
アポロンは頷いた。
「分かった」
帰り際、責任者から電話があった。
翌日の勤務時間について説明があり、アポロンは内容を復唱して確認した。
電話を切ると、健一に伝えた。
「明日は、いつもより一時間遅い」
「了解。紙のほうも直してもらうよ」
アポロンは、写真に残した古い勤務表を削除しなかった。
古い情報が残っていること自体は、間違いではない。
ただ、それを現在の予定として使えば、困ることになる。
*
帰宅すると、美咲はまだ戻っていなかった。
アポロンは牛乳を冷蔵庫に入れ、夕食の準備を始めた。
しばらくして、携帯電話が鳴った。
美咲からだった。
『少し遅くなります。先に食べていてください』
アポロンは、メッセージを読み、返信した。
『分かった。気をつけて帰ってきて』
今度は、返事がすぐに届いた。
『ありがとう』
アポロンは、夕食を一人分だけ先に用意した。
美咲が帰ってくる時間は、まだ分からない。
だからといって、彼女が帰ってこないと決まったわけではなかった。
食べ終わるころ、玄関の鍵が回った。
「ただいま」
「おかえり」
美咲は、食卓に残っている料理を見た。
「待っていてくれたの?」
「いや。先に食べた」
「そうなんだ」
「食べるか?」
「うん。少しだけ」
美咲は手を洗い、椅子に座った。
「今日は、仕事でちょっと面倒なことがあってね」
「何があった?」
「連絡したはずなのに、相手には届いていなかったの。送信済みにはなっていたんだけど」
アポロンは箸を置いた。
「相手には、届いていなかったのか」
「うん。だから、もう一度直接確認したよ」
「それで?」
「今度は、ちゃんと伝わった」
美咲は味噌汁を飲んだ。
「送信した記録があっても、相手が受け取ったとは限らないんだね」
「そうだな」
アポロンは、昼間に確認した勤務表を思い出した。
紙に書かれていること。
画面に表示されていること。
誰かが伝えたこと。
それらは、実際に起きたことと重なる場合もあれば、ずれている場合もある。
「何か、気になることでもあった?」
美咲が尋ねた。
「いや」
アポロンは少し考えてから答えた。
「今日、店でも似たことがあった」
「そうなの?」
「古い勤務表が、まだ貼られていた」
「それは困るね」
「新しい時間は、責任者から直接聞いた」
美咲は頷いた。
「それなら、明日は間違えずに済むね」
二人は食事を続けた。
食卓の上に置かれた携帯電話は、もう鳴らなかった。
アポロンは、明日の勤務時間を自分の手帳に書き込んだ。
誰かが確認してくれるのを待つのではなく、自分で聞いた内容を、自分の記録に残しておく。
それで、すべてが解決するわけではない。
それでも、何を確認し、何をまだ知らないのかを区別することはできる。
アポロンは手帳を閉じた。
明日のことは、明日になればまた分かる。
今は、それでよかった。




