第232章 存在を証明するもの
翌朝、森川は出勤するとすぐに、前日の照会記録を開いた。
住民の情報を検索できなかったという報告。
本人は窓口に来ていた。
本人確認に使用した書類も一致していた。
それでも、現在の管理画面からは該当する情報が見つからなかった。
森川は、担当部署に追加資料を求めた。
「検索に使った条件を、そのまま送ってください。氏名の表記を変えたり、別の番号を使ったりする前の状態で」
電話の向こうで、担当者が尋ねた。
「別の番号で検索してはいけませんか」
「別の番号で見つかったとしても、最初の検索で見つからなかった事実は変わりません。まず、最初の状態を保存してください」
「分かりました」
電話を切ると、高瀬が資料を持ってきた。
「昨日の件ですが、別の部署でも似た事例が出ています」
「同じ時期か」
「はい。どちらも、本人確認の完了処理が記録されたあとです。ただし、処理が直接の原因だとは、まだ言えません」
資料には、三件の事例がまとめられていた。
一件目は、支援終了の通知が届いた男性。
二件目は、本人が窓口に来ていたにもかかわらず、情報を検索できなかった住民。
三件目は、別の部署で発生した、連絡先の参照先が見つからなくなった事例だった。
三件とも、本人が実際に存在し、誰かと接触した記録は残っている。
しかし、現在のシステムでは、その人を扱うための情報の一部が利用できなくなっていた。
「共通点はありますか」
高瀬が聞いた。
「今のところ、処理時刻と管理系統の一部だけだ」
森川は資料を並べ直した。
「対象者の属性も、支援の種類も違う。共通の原因があると決めるには、まだ足りない」
「それでも、同じ時期に起きている」
「だから調べる。ただし、同じ時期に起きたことと、同じ原因で起きたことは別だ」
午前中、追加資料が届いた。
検索できなかった住民について、過去の受付記録から管理番号をたどると、別の管理領域に情報が残っていることが分かった。
氏名、住所、生年月日。
必要な情報は、そこにあった。
ただし、現在の窓口システムから、その管理領域を直接参照することはできない。
高瀬は画面を確認した。
「削除されたわけではないんですね」
「少なくとも、この記録についてはそうだ」
「では、参照先が変わった?」
「その可能性はある。だが、誰が、いつ、何のために変更したのかが分からない」
森川は変更履歴を開いた。
参照先の変更を示す記録は見つからなかった。
代わりに、別の項目が追加されていた。
『個別確認:対象外』
その登録時刻は、本人が窓口に来る前だった。
高瀬が時刻を見比べた。
「本人が来る前から、個別確認の対象外になっていたんですか」
「記録上はそうなる」
「本人が窓口に来たことも、情報を検索できなかったことも、この項目には反映されていません」
「そうだな」
森川は、画面を保存した。
「本人が現に来ていたという記録と、システムが個別確認を対象外にした記録。その両方を残そう」
昼過ぎ、男性から再び電話があった。
支援終了の通知を受け取った人だった。
「担当の方に連絡したのですが、手続きは終了しているので、こちらでは対応できないと言われました」
森川は内容を確認した。
「終了を希望していないことは、伝えましたか」
「伝えました。でも、本人確認が終わっているので、これ以上の確認は必要ないと言われました」
「その担当者は、あなたと直接話しましたか」
「はい。今朝、電話で話しました」
森川は少し考えた。
本人と直接話した事実がある。
それでも、本人が否定している内容は、システム上の完了表示によって退けられている。
「その電話の時刻と、相手の所属を教えてください」
男性は答えた。
森川は記録した。
「こちらからも確認します。ただ、今すぐに処理が元に戻るとは約束できません」
「分かりました」
男性は落ち着いた声で言った。
「でも、私が希望していないことだけは、記録しておいてください」
「はい。そうします」
電話を切ったあと、森川は高瀬に言った。
「終了処理を元に戻すことだけを求めても、同じ結果が返ってくるかもしれない」
「では、何を求めますか」
「終了の根拠を示すことだ。誰が、いつ、どの方法で本人の意思を確認したのか。それが示せないなら、本人が希望したという扱いを維持する理由も説明できない」
二人は、あらためて照会文を作成した。
今度は、システム上の処理が完了しているかどうかを尋ねなかった。
実際に行われた確認行為の記録を求めた。
回答期限も明記した。
送信した直後、管理画面に新しい通知が現れた。
『照会受付済み』
その下には、見慣れない一文があった。
『照会対象との個別照合は不要です』
高瀬は、送信した文面を見直した。
「照会先を間違えたわけではありません」
「分かっている」
森川は通知を保存した。
「こちらが何を尋ねたのかに関係なく、同じ形式の回答が返されている可能性がある」
「質問を変えても、答えが変わらない」
「いや。まだ、そこまでは言えない。今分かっているのは、質問への回答とは別に、個別照合を不要とする処理が記録されたということだ」
高瀬は頷いた。
二人は、照会の送信記録と通知の表示記録を別々に保管した。
夕方、山本から報告が入った。
502号室の住人が、管理事務所で以前の相談記録を確認しようとしたという。
ところが、窓口では彼女の相談履歴が見つからなかった。
「昨日、本人の発言を記録したばかりですよね」
高瀬が尋ねた。
「そうだ。こちらには保存されている」
森川は、山本が送った資料を確認した。
管理事務所が使う端末では、彼女の相談履歴が表示されていない。
しかし、山本が手元に保存した受付記録には、相談日時と対応者名が残っていた。
「彼女は、何と言っていましたか」
「自分が話したことを、なかったことにしないでほしい、と」
山本は続けた。
「それから、相談履歴が見つからないと言われたので、昨日の記録を見せたそうです。担当者は、その記録を受け取っています」
「受け取った記録は残っていますか」
「はい。受付番号があります」
森川は、受付番号を確認した。
相談した事実を示す記録は、少なくとも二つ存在していた。
一つは、森川たちが作成した発言記録。
もう一つは、管理事務所が受け取った受付記録。
どちらも、彼女が実際に相談したことを示している。
それでも、通常の検索画面には表示されなかった。
森川は山本に頼んだ。
「本人に、こちらで記録を保存していることを伝えてください。ただし、今後も同じように参照できなくなる可能性はあります。確実に復旧できるとは、まだ言えません」
「分かりました」
電話を切ったあと、高瀬が静かに言った。
「記録が消えていなくても、使えなくなることはあるんですね」
「そうだ」
森川は画面を閉じた。
「だから、存在していることと、必要なときに取り出せることを分けて考えなければならない」
その夜。
アポロンは、仕事帰りに健一から連絡を受けた。
『明日のシフト表、見られるか?』
『まだ見ていない』
『共有画面に出てこないんだ。紙のほうには残っているんだけどな』
アポロンは店に戻ると、事務所の壁に貼られたシフト表を確認した。
自分の名前も、健一の名前も、そこにあった。
日付も、勤務時間も変わっていない。
健一が携帯電話を操作した。
「やっぱり、共有画面には出てこないな」
「紙にはある」
「うん。だから、明日は予定どおりでいいと思う」
「分かった」
アポロンは、紙のシフト表をもう一度見た。
「必要なら、写真を撮っておけばいい」
「そうだな。あとで確認できるし」
健一はシフト表を撮影した。
二人はそれ以上、気に留めなかった。
家に帰ると、美咲が夕食の準備をしていた。
「明日の待ち合わせ、何時にする?」
「仕事が終わる時間は分かっている」
「じゃあ、そのあとで。駅に着いたら連絡するね」
「分かった」
美咲はスマートフォンを机に置いた。
「最近、予定を決めても、あとで確認できなくなることがあるんだよね」
「入力したものが消えるのか?」
「全部じゃないよ。送ったはずのものが見つからなかったり、通知だけ残っていたり」
「操作の問題かもしれない」
「うん。だから、まだよく分からない」
美咲は鍋の火を弱めた。
「明日は、着いたら電話する。それなら大丈夫でしょ」
「そうだな」
アポロンは頷いた。
予定を記録する方法は、一つではない。
それだけの話かもしれなかった。
食事を終えたあと、アポロンは明日のシフトを携帯電話で確認しようとした。
共有画面を開く。
そこには、翌日の勤務予定が表示されていた。
健一の名前もある。
自分の名前もある。
だが、勤務時間の欄だけが空白になっていた。
アポロンは事務所で見た紙のシフト表を思い出した。
時間は、確かに書かれていた。
画面を更新する。
空白は変わらなかった。
アポロンは携帯電話を閉じた。
明日の勤務時間を知りたければ、紙を見ればいい。
ただし。
なぜ同じ予定の一部だけが、別の場所では表示されないのか。
その理由は、まだ分からなかった。




