第226章 記録の外側
翌朝。
森川が出勤すると、高瀬はすでに端末の前に座っていた。
机の上には、昨日確認した移管台帳の写しと、新しく届いた照会結果が並んでいる。
「何かありましたか」
森川が鞄を置きながら尋ねた。
高瀬は画面から目を離さなかった。
「昨日の番号とは別件です。ただ、関連があるかもしれません」
「別件?」
「失踪者の照会です」
森川は椅子を引いた。
高瀬が画面を森川の方へ向ける。
記録に残っている人物は、以前から調査対象になっていた数人とは別の人物だった。
最後に確認されたのは、数年前。
当時の記録では、本人が支援の継続を希望しなくなったため、連絡対象から外れたことになっている。
その後の記録はない。
「本人の意思で支援を終了した、ということですか」
「記録上はそうなっています」
高瀬は一度言葉を切った。
「ただし、意思を確認した方法も、確認した相手も、今のところ見つかっていません」
森川は資料を読み直した。
「終了の処理をした部署は?」
「統合管理部門です。旧制度からの移管対象になっています」
昨日まで追っていた台帳と、同じ部門だった。
しかし、それだけで同じ原因だとは言えない。
森川は資料の端に、照会先と確認済みの事項を書き留めた。
「まず、現在も本人が連絡を望んでいないのか。それとも、連絡を望んでいるかどうか自体が分からなくなっているのか。そこを分けて確認しましょう」
「分かりました」
高瀬は頷いた。
「もう一つあります」
別の画面を開く。
そこには、前日に別の担当者が受け付けた問い合わせが表示されていた。
問い合わせをしたのは、支援記録に名前が残っている人物だった。
本人は、自分に関係する記録が存在するかどうかを尋ねていた。
回答は、まだ送られていない。
受付番号だけが発行され、照会先の欄には見慣れない番号が表示されていた。
「この番号は?」
森川が尋ねた。
「旧管理番号でも、現在の受付番号でもありません。形式が一致しないんです」
「入力ミスの可能性は?」
「あります。だから、まだ異常とは判断していません」
高瀬は画面を拡大した。
「ただ、この番号を検索すると、昨日の台帳にあった未確定の参照先が出てきます」
森川はしばらく黙って画面を見ていた。
偶然の可能性は残っている。
古い番号が整理されないまま残っていることも、別々の部署で似た形式が使われていることも、あり得ない話ではない。
だが、問い合わせをした本人が存在を尋ねている記録と、所在を確認できない人物の記録が、同じ未確定の参照先につながっている。
それは、もう一度確認する必要があった。
「照会の範囲は、この番号に限定します。関係のない記録まで広げないでください」
「はい」
「それから、問い合わせをした人への返答は止めたままにしない。現在分かっていることと、まだ確認できていないことを分けて伝えましょう」
「分かりました」
高瀬は必要な手続きを始めた。
午前中、森川は管理部門へ電話をかけた。
番号の形式を説明し、参照先の実体と、現在の管理責任者を確認したいと伝えた。
担当者は、しばらく端末を操作していた。
「申し訳ありません。その番号は、現在の検索画面では直接照合できません」
「旧台帳からの移管履歴は確認できますか」
「確認しますので、少々お待ちください」
保留音が流れた。
森川は受話器を持ったまま、机の上の資料に目を落とした。
数分後、担当者が戻ってきた。
「移管履歴そのものは残っています。ただ、参照先の登録情報が現在の管理区分に引き継がれていません」
「引き継がれていない、というのは、登録が削除されたという意味ですか」
「そこまでは確認できません。現在の画面から参照できない、ということです」
森川はその回答を書き留めた。
「では、元の記録を保管している部署は分かりますか」
「通常であれば、旧制度の保管部署になります。ただ、こちらの番号については、移管先の確定記録が見つかっていません」
「分かりました。確認できた範囲を文書でいただけますか」
電話を終えた森川は、すぐに高瀬へ内容を伝えた。
高瀬は記録を整理しながら言った。
「移管されていないのか、移管されたけれど参照できなくなったのか、まだ分からないですね」
「ええ」
「それに、これが失踪した人と関係しているかどうかも」
「そうです。今の段階では、同じ番号の流れに現れているというだけです」
森川は、確認事項の一覧に新しい項目を加えた。
その日の午後、状況が少し変わった。
高瀬が、問い合わせをした本人への回答準備を進めていた時だった。
画面に、新しい通知が表示された。
先ほどまで未確定だった参照先に、照合結果が追加されていた。
「森川さん」
高瀬の声が変わった。
森川が席を立つ。
画面には、短い処理記録が表示されていた。
照合完了。本人情報との一致を確認。
その下には、処理日時と、実行したシステムの識別番号が記されていた。
森川は日時を確認した。
今日だった。
「誰が照合を実行したんですか」
「実行者の欄がありません」
「自動処理ですか」
「それも分かりません。処理区分が空白です」
高瀬は詳細画面を開いた。
参照先の登録情報は、依然として確認できない。
それなのに、照合だけが完了している。
森川は、昨日までの記録と見比べた。
「この一致は、何を根拠にしたものですか」
高瀬は検索条件を確認した。
「照合対象の項目が表示されていません」
「対象が分からないのに、一致したという結果だけが出ている?」
「はい」
森川は、すぐに処理を取り消すよう指示することはしなかった。
まず、処理の発生元と、照合前後の記録を保全する必要がある。
「画面の内容を保存してください。変更履歴も確認しましょう。こちらから勝手に修正はしないでください」
高瀬は記録を保存した。
その直後だった。
画面が一度、暗くなった。
端末の故障かと思ったが、すぐに元へ戻った。
そして、先ほどの処理記録の下に、新しい一行が追加された。
本人確認:完了。
森川は息を止めた。
「……今の、見ましたか」
「はい」
高瀬が画面を更新する。
しかし、新しい一行は消えなかった。
詳細を開く。
確認方法の欄は空白だった。
確認日時は、最初の照合処理と同じ時刻になっている。
本人の署名も、連絡履歴も、同意を示す記録もない。
それでも、システム上では本人確認が完了したことになっていた。
森川は、画面を見つめたまま言った。
「これは、昨日まで調べていた古い記録とは違います」
「今日、処理されたものですからね」
「ええ。過去にどう処理されたのかを調べている最中に、今ここで、新しい処理が発生した」
高瀬は、保存した記録を別の端末から開いた。
「処理元を追えますか」
「確認します。ただ、先にこの記録が誰のものなのか、確かめる必要があります」
森川は画面に表示された識別番号を控えた。
番号の先頭には、四つのゼロが並んでいた。
0000。
その番号を、森川は以前にも見ていた。
無名者への支援をめぐる記録。
旧制度からの移管。
そして、使用停止になったはずの新規則。
森川は手元の資料を開き、過去の記録と照らし合わせた。
一致しているのは、番号だけではなかった。
処理の形式も、記録の残し方も、かつて問題になったものと同じだった。
高瀬が小さく言った。
「新規則は、停止されたんですよね」
「停止されたのは、新規則です」
森川は答えた。
「この処理が、どの仕組みから実行されたのかは、まだ分かりません」
その時、画面にもう一度通知が表示された。
今度は、別の照会番号だった。
続けて二つ目。
さらに三つ目。
いずれも、未確定だった参照先に関係する記録だった。
そして、すべての処理結果に、同じ一文が表示されていた。
本人確認:完了。
森川は高瀬と顔を見合わせた。
もう、過去の台帳を探すだけでは足りなかった。
今も動いている何かが、誰かの意思を確認したことにしている。
その根拠がどこにも見つからないまま。




