第二十一章 治った朝
朝。
アポロンは目を覚ました。
昨日まで感じていた身体の重さが、ほとんど消えている。
喉も痛くない。
頭もはっきりしている。
起き上がってみる。
問題ない。
「……治った」
声に出した。
それだけのことなのに、少し嬉しかった。
部屋の外へ出る。
美咲がキッチンにいた。
「おはよう」
「おはよう」
「どう?」
「もう大丈夫だ」
美咲はアポロンの顔を見る。
「本当に?」
「うん」
「無理してない?」
「していない」
美咲は少し安心したように笑った。
「よかった」
アポロンは、その言葉を聞いた。
昨日も何度か聞いた言葉だった。
けれど今日は、少し違って聞こえた。
朝食を食べる。
昨日はゼリーだけだった。
今日はパンと卵、それから温かいスープ。
アポロンは一口食べた。
「……美味しい」
「昨日より?」
「昨日より」
美咲が笑う。
「じゃあ、治ったね」
アポロンも少し笑った。
食事のあと。
アポロンは自分の布団を整えた。
昨日まで横になっていた場所を見る。
たった一日。
それなのに、少しだけ長く感じた。
「病気になると、一日が長いな」
「そう?」
「何もしていないから」
「でも、治るために必要だったんじゃない?」
アポロンは頷いた。
昨日のことを思い出す。
熱があって。
身体が重くて。
何もできなかった。
それでも時間は進んだ。
そして今日。
身体は元に戻った。
アポロンは窓を開けた。
朝の空気が入ってくる。
少し冷たい。
けれど、気持ちがいい。
空を見上げる。
今日の天気は知っている。
午後から少し雨が降る。
その未来は、変わらない。
けれど。
今日は雨が降るまで何をするか。
それは決まっていない。
「美咲」
「うん?」
「今日は何をする?」
美咲は少し考えた。
「買い物に行こうかな」
「何を買う?」
「冷蔵庫が空いてきたから」
「分かった。僕も行く」
「病み上がりだから、無理しないでね」
「もう治った」
「でも、昨日まで熱があったんだから」
アポロンは少し考えた。
「……分かった」
素直に頷く。
それから二人で家を出た。
スーパーへ向かう道。
アポロンは歩きながら、自分の身体を意識していた。
昨日までは重かった。
今日は軽い。
同じ身体なのに。
一日でこんなに変わる。
人間の身体は、不思議だった。
スーパーでは、野菜や肉、牛乳などを買った。
アポロンはカゴを持つ。
少し重い。
「持とうか?」
美咲が言った。
「大丈夫」
「本当に?」
「うん」
アポロンはカゴを持ったまま歩いた。
昨日は何もできなかった。
今日は自分で荷物を持てる。
そのことが、妙に嬉しかった。
帰り道。
アポロンは空を見上げた。
雲が少し増えている。
「午後から雨になる」
「そうなの?」
「たぶん」
「天気予報見た?」
アポロンは少し黙った。
「……そうだ」
美咲は笑った。
「じゃあ、傘持って出てきてよかったね」
「うん」
アポロンは傘を見る。
最初に美咲と会った日も、雨だった。
あの日は、雨が嫌だった。
濡れることも。
寒いことも。
分からないことばかりだった。
けれど。
今は違う。
雨が降れば傘を開けばいい。
寒ければ温かいものを飲めばいい。
疲れれば休めばいい。
病気になれば、治るまで待てばいい。
人間の生活には。
できないこともある。
だからこそ。
できることをする。
家に着く。
買ったものを冷蔵庫に入れる。
美咲が振り返った。
「今日はちゃんと休んでね」
「分かった」
「明日は仕事?」
「たぶん」
「体調を見てね」
アポロンは頷いた。
「うん」
午後。
窓の外から、雨の音が聞こえてきた。
アポロンは椅子に座って、その音を聞いていた。
昨日までなら。
雨が降ることを知っていた。
今日は。
雨が降ることを知っているだけではなく。
雨が降る前の時間を過ごした。
買い物をして。
荷物を持って。
家に帰って。
窓の外を見ている。
同じ「雨」でも。
そこへ至るまでの時間が違う。
アポロンは、少し笑った。
「……明日も、こうだといいな」
そう言ってから。
自分で少し驚いた。
明日のことは、知っている。
それでも。
明日を楽しみにしている。
神だった頃には、理解できなかったことだった。
今は、少しだけ分かる。
未来を知っていることと。
未来を待つことは。
同じではない。
雨の音を聞きながら。
アポロンは静かに目を閉じた。




