第二十章 熱のある朝
朝。
アポロンは目を覚ました。
いつもと同じ朝のはずだった。
けれど。
身体が重い。
起き上がろうとして、少し止まった。
「……?」
頭がぼんやりしている。
喉も少し痛い。
身体が熱い。
アポロンは額に手を当てた。
「熱がある」
自分で言ってから、少し驚いた。
神だった頃。
病気というものは、人間に起こる現象として知っていた。
身体の中で何が起こっているのかも。
どうすれば治るのかも。
すべて知っている。
しかし。
自分が熱を出したことはなかった。
「アポロン?」
部屋の外から美咲の声がした。
「起きてる?」
「起きている」
そう答えた。
けれど、声が少しかすれていた。
扉が開く。
美咲が顔を出した。
「どうしたの?」
「分からない」
「顔、赤くない?」
「熱があるらしい」
「らしいって……」
美咲が近づいてくる。
額に手を当てる。
「熱い」
「そうだな」
「今日は仕事休もう」
「しかし」
「休もう」
アポロンは少し考えた。
仕事を休む。
それは、今まで何度も聞いた言葉だった。
けれど。
自分が休む側になるとは思っていなかった。
「店に連絡する」
「私がしてもいいよ」
「自分でする」
アポロンはスマートフォンを手に取った。
健一にメッセージを送る。
『申し訳ありません。今日は熱があるため、休ませてください』
すぐに返信が来た。
『了解。今日はゆっくり休め』
短い文章だった。
アポロンは画面を見た。
「……休んでいいらしい」
「当たり前だよ」
美咲はそう言って、布団を整えた。
昼前。
アポロンは布団の中にいた。
何もしていない。
それなのに、疲れている。
身体が重い。
眠って。
起きて。
水を飲んで。
また眠る。
時間がゆっくり流れていく。
「……退屈だ」
「病人は退屈なくらいでいいの」
美咲が言った。
「何もしていない」
「身体が仕事してるんだよ」
アポロンは黙った。
自分の意思とは関係なく。
身体は熱を出している。
細胞が働いている。
免疫が反応している。
それを知識として理解することはできる。
けれど。
実際に体験すると、まったく違った。
午後。
美咲が水とゼリーを持ってきた。
「食べられる?」
「分からない」
「じゃあ、少しだけ」
アポロンはゼリーを食べた。
冷たい。
喉を通る。
それだけなのに、少し楽になった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
アポロンは横になった。
「美咲」
「うん?」
「人間は、こういう時どうするんだ?」
「寝る。水を飲む。食べられるなら食べる。無理しない」
「それだけ?」
「うん」
「もっと何かできないのか?」
「できることがない時もあるよ」
アポロンは黙った。
できることがない。
それは、彼にとって奇妙な言葉だった。
神だった頃なら。
できないことなど存在しなかった。
しかし今。
熱を下げようと思っても、すぐには下がらない。
身体を軽くしようと思っても、軽くならない。
だから。
待つしかない。
夕方。
アポロンは少し眠った。
目を覚ますと、部屋は暗くなっていた。
美咲が椅子に座っている。
「起きた?」
「うん」
「少し顔色よくなったね」
アポロンは身体を起こした。
まだ重い。
けれど、朝よりは楽だった。
「治ってきた」
「よかった」
美咲は笑った。
「明日は休みなよ」
「分かった」
アポロンは素直に頷いた。
夜。
布団の中。
アポロンは今日一日を思い返していた。
何もしていない。
働いていない。
どこにも行っていない。
誰かを助けてもいない。
ただ寝て。
水を飲んで。
食べて。
また寝ただけだった。
それでも。
一日は終わった。
「……何もしない日もあるのか」
小さく呟く。
人間の身体は、自分の命令だけでは動かない。
疲れれば休む。
病気になれば止まる。
眠くなれば眠る。
そして。
治るまで待つ。
それも、人間として生きるということなのかもしれない。
アポロンは目を閉じた。
明日の自分がどうなっているのか。
今は分からない。
そのことが。
今日は少しだけ嬉しかった。




