第十八章 ごめんという言葉
翌日の朝。
アポロンは、いつもより少し早く店に着いた。
昨日の失敗が、まだ頭に残っていた。
餃子を一つ少なく注文してしまったこと。
大きな問題ではなかった。
健一も怒っていない。
それでも、アポロンは気になっていた。
「おはようございます」
「おう。今日は早いな」
「昨日、間違えたから」
健一は少し笑った。
「気にしすぎだろ」
「そうかもしれない」
アポロンは厨房に入った。
昼前。
店が少し混み始めた。
アポロンは注文を確認し、料理を運ぶ。
今日は昨日より集中していた。
一つずつ確認する。
注文を聞く。
厨房へ伝える。
料理を運ぶ。
それを繰り返す。
しばらくして、一人の客が手を挙げた。
「すみません」
アポロンが近づく。
「はい」
「注文したものと違うんですけど」
アポロンはテーブルを見る。
確かに違っていた。
自分が別のテーブルへ運ぶ料理を、間違えて持ってきていた。
「申し訳ありません」
すぐに料理を下げる。
「すぐに正しいものをお持ちします」
客は頷いた。
アポロンは厨房へ戻った。
「間違えた?」
健一が聞く。
「はい」
「分かった。すぐ作る」
アポロンは頷いた。
数分後。
正しい料理を客のところへ運ぶ。
「お待たせしました。申し訳ありませんでした」
「はい」
客は料理を受け取った。
アポロンは頭を下げて、その場を離れた。
仕事が終わったあと。
アポロンは店の外で立っていた。
「今日は二回も間違えた」
健一が隣に来た。
「二回とも小さいミスだ」
「それでも間違いだ」
「そうだな」
「謝れば、それで終わるのか?」
健一は少し考えた。
「相手によるんじゃないか」
「相手による?」
「謝っても許してくれない人もいる。すぐに許してくれる人もいる」
「では、正しい謝り方は?」
「そんなもの、決まってないよ」
アポロンは黙った。
「ただ、自分が悪かったと思ったなら、ちゃんと謝る。それだけじゃないか」
「それで十分なのか?」
「十分かどうかは相手が決めることだろ」
その言葉を聞いて。
アポロンは少し考えた。
謝るという行為も、自分だけでは完結しない。
自分が謝ったから、相手が許す。
そう決まっているわけではない。
人間同士の関係には、自分では決められない部分がある。
その夜。
家に帰ると、美咲がテレビを見ていた。
「おかえり」
「ただいま」
アポロンは靴を脱いだ。
そして、少し迷ってから言った。
「美咲」
「うん?」
「昨日のこと」
美咲が振り返る。
「何?」
「君が友達と食事をしたことを、気にしすぎた」
「うん」
「それで、少し変な態度を取った」
美咲は少し考えた。
「そうだった?」
「自分では、そう思う」
「じゃあ……」
美咲は笑った。
「分かった」
「それだけ?」
「うん」
アポロンは少し驚いた。
「怒っていないのか?」
「怒ってないよ」
「なぜ?」
「アポロンが今、謝ったから」
アポロンは黙った。
「でも、次から気になったら、ちゃんと聞けばいいんじゃない?」
「聞いてもいいのか?」
「もちろん」
「分かった」
美咲はテレビに目を戻した。
「はい、仲直り」
「……仲直り」
アポロンはその言葉を小さく繰り返した。
夜。
布団の中で、アポロンは今日のことを考えていた。
人間は間違える。
間違えたら、謝る。
相手が許すこともある。
許さないこともある。
そして。
許してもらったとしても、すべてが最初からなかったことになるわけではない。
それでも。
一つの言葉で、関係が少し変わることがある。
「ごめん」
短い言葉だった。
神だった頃には、必要だと思ったことがなかった。
世界を壊してしまったなら、直せばいい。
失ったものがあれば、戻せばいい。
間違いがあれば、なかったことにすればいい。
けれど。
人間には、なかったことにできない時間がある。
だからこそ。
「ごめん」という言葉が必要なのかもしれない。
アポロンは目を閉じた。
今日もまた。
知らないことを一つ知った。




