↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様は、明日を知らない』 ――全知全能の神が、人間になった理由――  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

123/290

第一二三章 記録にない名前

翌朝、アポロンは目を覚ますと、最初にスマートフォンを確認した。


昨夜、写真に現れた文字。


――創造主不在。


画面には、石碑の写真が残っていた。


記号の下には、何もない。


拡大しても、撮り直しても、あの一行は現れなかった。


アポロンはしばらく画面を見つめたあと、写真を別の場所に保存した。


消えたものを、消えたままにしておくわけにはいかない。


少なくとも、今はそう思った。


「アポロン、起きてる?」


隣の部屋から美咲の声がした。


「はい」


「朝ご飯、もうすぐできるよ」


「分かりました」


アポロンはスマートフォンをポケットにしまった。


今朝は、昨日までと同じ朝ではない。


それでも、朝食を食べずに調査へ向かう理由にはならなかった。


食卓には、焼いたパンと卵、それに野菜が並んでいた。


「今日は何か予定あるの?」


美咲が尋ねた。


「商店街の会長に、古い資料を見せてもらう予定です」


「昨日の石碑の?」


「はい」


「何か分かるといいね」


「そうですね」


美咲はコーヒーを飲んだ。


「私も午後なら少し時間があるけど、手伝おうか?」


アポロンは一瞬考えた。


「ありがとうございます。ただ、まずは資料を確認してみます。必要なことがあれば、また相談します」


「分かった。無理はしないでね」


「はい」


店に着くと、健一はすでに出かける準備をしていた。


「よし、行くか」


「今からですか?」


「午前中なら倉庫を開けられるって話だったからな。店は佐藤に任せてある」


二人は商店街の事務所へ向かった。


会長は六十代の男性だった。


事情を説明すると、彼は少し困ったように笑った。


「石碑か。あれは昔からあるんだが、正確な由来は分からなくてね」


「資料は残っているのでしょうか」


「残っているものもある。ただ、全部じゃない」


会長は事務所の奥から、古い段ボール箱を運んできた。


中には、商店街の記録、地域の地図、古い写真、祭りの実施報告書などが入っていた。


紙は黄ばんでいたが、整理された状態で保管されている。


「この辺りは、昔から人の出入りが多かったからね。記録が残っているものもあれば、いつの間にか分からなくなったものもある」


会長は箱を開けた。


「好きに見てもらって構わないよ。ただし、持ち出しはなしで頼むね」


「承知しました」


アポロンは一枚ずつ資料を確認した。


石碑が写っている写真は、すぐに見つかった。


今から四十年以上前のものだった。


公園の形は現在と違うが、石碑そのものは同じ位置に立っている。


さらに古い地図には、石碑の場所から神社へ向かう細い道が記されていた。


現在、その道は存在しない。


道路工事でなくなったのか。


土地の区画が変わったのか。


地図だけでは分からなかった。


「この道、今はないんですね」


アポロンが尋ねると、会長は地図を覗き込んだ。


「本当だな。こんな道があったのか」


「ご存じないのですか?」


「私が子供のころには、もうなかったと思う。いや……」


会長は言葉を切った。


「昔、祖父から似たような話を聞いた気がするな」


「どのようなお話でしょうか」


「道を歩いていたら、いつの間にか知らない場所に出たとか。そんな話だったと思う。でも、子供のころに聞いた話だからね。どこまで本当なのかは分からないよ」


アポロンは地図の道筋を指でたどった。


その道は、神社の裏手を通っていた。


現在、参道で起きている異常と、何らかの関係があるのだろうか。


まだ断定はできない。


「ほかに、この道について記録はありますか?」


「探してみよう」


会長は別の箱を開けた。


三人で資料を調べていると、古い新聞の切り抜きが出てきた。


日付は、今から三十七年前。


記事の見出しには、こう書かれていた。


『神社周辺で複数の行方不明騒ぎ 全員無事に発見』


アポロンは記事を手に取った。


内容は短かった。


祭りの帰り道、複数の住民が一時的に行方不明になった。


警察や地域住民による捜索が行われ、全員が翌日までに発見された。


発見場所は、それぞれ自宅近くや商店街など、特に不自然なところではなかった。


当時の警察は、道に迷った可能性があるとして、事件性は低いと判断していた。


「これ、あの神社の話ですよね」


健一が尋ねた。


「そうだと思います」


「三十七年前か。俺も生まれてないな」


会長は記事を見ながら、眉を寄せた。


「そういえば、祖父が昔、祭りの日に変なことがあったと言っていたな。帰ってきた人が、みんな同じことを話していたとか」


「同じこと、ですか?」


「何だったかな……」


会長は記憶をたどるように、しばらく黙った。


やがて、ゆっくりと言った。


「確か、『向こうに誰かいた』って」


アポロンの指が止まった。


「向こう、というのは?」


「さあ。神社の奥だったのか、道の先だったのか。そこまでは覚えていないよ」


会長は申し訳なさそうに笑った。


「役に立てなくてすまないね」


「いえ。十分です。ありがとうございます」


アポロンは記事の写真を撮り、元の場所へ戻した。


三十七年前。


現在の異常が突然始まったのではないとすれば、これは重要な手がかりだった。


世界のどこかに、同じ現象が繰り返し現れている。


そして、そのたびに人間は、原因を知らないまま日常へ戻ってきた。


だが、一つだけ気になることがあった。


記事には、行方不明になった人々の名前が記載されていた。


その中に、一人だけ奇妙な人物がいた。


名前は記録されている。


年齢も、住所も、家族構成も書かれている。


しかし、発見後の証言だけが、どこにも残っていなかった。


ほかの人々には、警察が聞き取った内容が短く記録されている。


道に迷った。


暗くて方向が分からなくなった。


気がついたら自宅の近くにいた。


ところが、その一人については、証言欄そのものが空白になっていた。


名前は、黒田修一。


当時、二十九歳。


アポロンはその名前を記憶した。


「会長。この方について、何かご存じですか?」


「黒田さん?」


会長は記事を覗き込んだ。


「いや、知らないな。この住所も、今は別の建物になっていると思う」


「ご家族の記録などは?」


「そこまでは残っていないね」


アポロンは礼を言い、事務所を出た。


帰り道、健一が尋ねた。


「何か気になることがあったのか?」


「一人だけ、記録の残り方が違っていました」


「書き忘れじゃないのか?」


「その可能性もあります」


「なら、まだ何とも言えないな」


「はい」


健一は少し考えてから、続けた。


「でも、調べるなら、記録が残っているうちに調べたほうがいい。古い資料は、知っている人がいなくなると、それきりだからな」


アポロンは頷いた。


「そうですね」


店に戻ると、佐藤が厨房から顔を出した。


「お二人とも、どこに行ってたんですか?」


「少し資料を見に行っていた」


健一が答える。


「へえ。神社のことですか?」


「それもあるな」


佐藤は興味を示したが、客が入ってきたため、それ以上は聞かなかった。


アポロンも仕事に戻った。


しかし、頭の片隅では、ずっと一つの名前が残っていた。


黒田修一。


三十七年前、神社の周辺で行方不明になり、翌日までに発見された男。


彼の記録には、証言だけがなかった。


なぜ、その部分だけが残されていないのか。


単なる記録漏れかもしれない。


だが、もし違うのなら。


彼は、何を見たのだろう。


夜、自宅へ戻ったアポロンは、保存していた石碑の写真を開いた。


記号の下には、何も表示されていない。


昨夜現れた文字も、もうなかった。


それでも、彼は画面を閉じなかった。


写真を見つめていると、スマートフォンが短く震えた。


新しい通知ではない。


画像の表示が、一瞬だけ乱れたのだ。


そして、記号の下に文字が浮かんだ。


昨日とは違う一文だった。


――観測者を確認。


アポロンは動かなかった。


数秒後、文字は消えた。


画面には、ただ古い石碑の写真だけが残っていた。


しかし今度は、意味が違った。


誰かが自分の存在を知っているだけではない。


こちらを見ている。


そして、こちらが見ていることにも気づいている。


アポロンはスマートフォンを置いた。


人間になってから、彼は知らないものに出会うたび、少しずつ世界を理解してきた。


だが、今回の相手は、単に理解できないものではないらしい。


自分の知らない場所から、こちらの行動を記録している。


もしそうなら。


調べるという行為そのものが、相手に何かを知らせている可能性があった。


アポロンは、明日も調査を続けるべきか考えた。


そして、初めて気づいた。


知らないものを知りたいという好奇心は、いつでも無害とは限らない。


それでも、何も知らないままでいれば、今度は誰かが危険にさらされるかもしれない。


彼は窓の外を見た。


街の明かりは、いつもと変わらなかった。


その明かりのどこかに、三十七年前と同じ異常が潜んでいる。


アポロンは目を閉じた。


明日は、黒田修一について調べよう。


そう決めた直後。


部屋の隅に置いていた時計が、午前零時を迎える前に止まった。


針は、十一時五十九分を指していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。