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神様は、明日を知らない』 ――全知全能の神が、人間になった理由――  作者: 亀


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第一〇四章 知らない選択

朝。


アポロンが店に着くと、健一は昨日壊れた冷蔵庫の前に立っていた。


「直ったんですか?」


「一応な」


扉を開ける。


昨日まで聞こえていた異音は消えていた。


「よかったですね」


「これで今日は普通に営業できる」


健一は安心したように笑った。


昨日は、冷蔵庫が壊れたことで予定が全部変わった。


けれど今日は、何事もなかったように朝が始まっている。


アポロンは少し不思議に思った。


人間の生活では、昨日の問題が今日まで残るとは限らない。


反対に。


昨日は何もなかったことが、今日になって突然問題になることもある。


午前中は静かだった。


昼前になると客が増えた。


注文を受けて、料理を運ぶ。


いつもの仕事だった。


ところが、一人の客が料理を一口食べたところで、手を上げた。


「すみません」


アポロンが近づく。


「はい」


「これ、少し辛いんですが」


アポロンは料理を見る。


確かに、いつもより少し辛い。


厨房に戻って健一に伝えると、健一は少し考えた。


「今日の仕込み、いつもと同じだったんだけどな」


「作り直しますか?」


「そうしよう」


料理を作り直す。


客に出す。


今度は問題なかった。


「ありがとうございます」


客が頭を下げた。


アポロンも頭を下げる。


それだけのことだった。


けれど、厨房に戻ると健一が言った。


「味って難しいよな」


「材料が同じでも変わるんですか?」


「変わるよ。温度とか、火加減とか、作る人の状態とか」


「人の状態?」


「疲れてると、ちょっと味が変わったりする」


アポロンは鍋を見た。


神であった頃なら、材料の量も温度も火の強さも、すべて正確に把握できた。


同じ結果を何度でも作れる。


しかし。


人間は、完全に同じものを作ることを目指しながら、完全には同じにならない。


昼過ぎ。


佐藤が新しい料理を試してみたいと言い出した。


「これ、今日のまかないで作ってみてもいいですか?」


健一が笑った。


「失敗しても知らないぞ」


「大丈夫です」


佐藤は自信ありげだった。


しばらくして、厨房から焦げた匂いがした。


「……大丈夫じゃなかったな」


健一が呟く。


佐藤が鍋を覗き込んでいる。


「火が強すぎました」


「だから言っただろ」


「すみません」


アポロンも鍋を見た。


「食べられますか?」


「たぶん……」


三人で少しずつ食べてみる。


苦い。


全員が黙った。


そして健一が笑い出した。


佐藤も笑った。


アポロンも、少し遅れて笑った。


「これは、失敗ですね」


「そうだな」


「でも、もう一回作ってもいいですか?」


佐藤が言った。


健一は少し考えてから頷いた。


「今度は火を弱くしろ」


「はい」


午後。


二度目の料理は、最初よりずっとまともだった。


特別おいしいわけではない。


それでも、三人で食べるには十分だった。


仕事を終えて店を出る。


今日は美咲と夕食を食べる約束をしていた。


駅へ向かう途中、スマートフォンを見る。


まだ連絡はない。


アポロンは画面を閉じた。


以前なら、相手の行動を知ることなど簡単だった。


今でも知ることはできる。


それでも、知ろうとはしなかった。


駅で待つ。


しばらくして、美咲から連絡が来た。


『ごめん。今日は少し遅くなりそう』


アポロンは、


『分かった』


とだけ返した。


駅のベンチに座る。


人が行き交う。


電車が到着する。


人が降りて、また乗っていく。


時間が過ぎる。


やがて、美咲がやってきた。


「ごめんね」


「大丈夫です」


「怒ってない?」


アポロンは少し考えた。


「少しだけ、お腹が空きました」


美咲が笑った。


「それなら怒ってないね」


「そうですね」


二人は駅の近くの店に入った。


何を食べるか決めるため、メニューを見る。


美咲が言った。


「今日は私が決めてもいい?」


「もちろん」


「じゃあ、これ」


指差したのは、昨日までアポロンが食べたことのない料理だった。


「これは何ですか?」


「食べてみれば分かるよ」


料理が運ばれてくる。


アポロンは一口食べた。


少し辛い。


けれど、昨日の料理とは違う。


「どう?」


「……好きかもしれません」


美咲が笑った。


「よかった」


帰り道。


アポロンは思った。


今日も、知らないことがあった。


そして、その知らないものを選んだのは自分ではなかった。


それでも。


その選択を、悪くないと思った。

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