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神様は、明日を知らない』 ――全知全能の神が、人間になった理由――  作者: 亀


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第百章 うまくいかない午後

朝。


アポロンは玄関の鍵を確認した。


昨日と同じ場所にある。


「今日は大丈夫」


「何が?」


美咲が後ろから聞いた。


「鍵」


「ああ」


美咲は笑った。


「昨日のこと、まだ気にしてるの?」


「少し」


「じゃあ、今日はなくさないようにしよう」


「うん」


二人で家を出る。


空は薄曇りだった。


駅まで歩く。


昨日ほど急いでいない。


電車にも余裕を持って乗れた。


「今日は順調だね」


美咲が言う。


「そうだな」


アポロンも窓の外を見る。


今日は何も起きない。


そう思った。


けれど。


人間の一日は、予定表だけでは決まらない。


店に着く。


健一が厨房で何かを探していた。


「どうした?」


「注文票が一枚ない」


「どこに置いた?」


「それが分からない」


アポロンも一緒に探す。


机の上。


レジの横。


厨房。


ゴミ箱の近く。


ない。


「今日の注文?」


「そう」


健一が困った顔をする。


「電話して確認するしかないな」


電話をする。


相手に事情を説明する。


注文内容を聞き直す。


「よし」


健一が電話を切る。


「解決した」


「見つからなくても、解決できる」


「そういうこと」


午前中は忙しかった。


注文が重なる。


料理を運ぶ。


洗い物が増える。


佐藤が一枚の皿を持ってきた。


「これ、少し欠けています」


アポロンが見る。


確かに端が欠けている。


「使わない方がいい」


「はい」


皿を別にする。


その直後。


厨房から大きな音がした。


ガシャン。


アポロンが振り向く。


鍋が床に落ちていた。


「大丈夫?」


佐藤がしゃがみ込む。


「すみません」


「怪我は?」


「大丈夫です」


健一がすぐに来る。


「手、見せて」


「本当に大丈夫です」


「いいから」


佐藤の手を見る。


少し赤くなっている。


「冷やしてこい」


「でも仕事が」


「いいから」


佐藤が厨房を出る。


アポロンは床に落ちた料理を見る。


食べられない。


捨てるしかない。


「もったいないな」


健一が言った。


「うん」


けれど。


怪我をした人間より。


料理の方が大事ではない。


そんな単純な比較ではないことも。


アポロンは分かってきていた。


昼。


佐藤は戻ってきた。


「大丈夫です」


「今日は無理するな」


健一が言う。


「はい」


午後。


店は少し落ち着いた。


アポロンが皿を洗っていると。


窓の外から突然、強い風が吹いた。


店の看板が揺れる。


「風、強いな」


健一が窓を見る。


次の瞬間。


雨が降り始めた。


「天気予報、雨だったか?」


「午後から可能性があると言っていた」


「そうだったか」


雨はすぐに強くなった。


客の何人かが店に駆け込んでくる。


傘を持っていない人もいた。


店の入口が濡れる。


床が滑りやすくなる。


「マット出す」


アポロンが言う。


「頼む」


マットを敷く。


入口を拭く。


客が入る。


また拭く。


また濡れる。


何度も繰り返す。


「終わらないな」


健一が笑う。


「雨が止むまで続く」


「それもそうだ」


夕方。


ようやく雨が弱くなった。


仕事を終える頃には、空が少し明るくなっていた。


アポロンは外に出る。


道路には水たまりが残っている。


その時。


スマートフォンが鳴った。


美咲からだった。


『ごめん。今日は先に帰ってる』


『分かった』


『冷蔵庫に夕飯あるよ』


アポロンは少し笑った。


一人で帰る。


家に着く。


玄関を開ける。


鍵は昨日と同じ場所にある。


靴を脱ぐ。


冷蔵庫を開ける。


夕食が入っている。


温める。


一人で食べる。


テレビをつける。


いつもなら美咲が座っている場所を見る。


誰もいない。


少し静かだった。


食事を終える。


片付ける。


鉢植えを見る。


新しい葉が、昨日より少し大きくなっていた。


アポロンは水をやる。


そして。


ふと、葉の先を見る。


小さな傷がある。


「……」


昨日まではなかった。


アポロンは少しだけ眉を寄せた。


けれど。


葉はまだそこにある。


枯れてはいない。


傷があっても。


成長が止まるわけではない。


窓を閉める。


夜。


美咲からメッセージが来る。


『今日は大変だった?』


アポロンは少し考える。


『いろいろあった』


『そっか』


『そっちは?』


少しして返事が来る。


『私もいろいろ』


アポロンはその画面を見た。


それ以上は聞かなかった。


「いろいろ」。


その言葉の中には。


まだ言葉になっていないものがある。


それでも。


今は、それでいい。


アポロンはスマートフォンを伏せた。


今日は。


朝から順調だった。


昼には予定外のことが続いた。


夜には、一人で食事をした。


それでも。


一日は、ちゃんと終わる。


完璧ではない。


予定通りでもない。


それでも。


明日はまた朝になる。


アポロンは布団に入った。


そして。


少しだけ疲れた身体のまま、眠りについた。

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