俺、怖くなる。
春輝はリビングの窓の下で目を細めて外を眺めていた。
いつもの散歩中の犬たちが集まる。
やけに目立つピンクのTシャツを見つめていた。
『……たしかマロンって言ったか?』
茶色い柴犬のマロンは、楽しそうに散歩仲間と何かを話しているようだった。
『外に出れるようになったら、アイツに人間らしいところ見せつけてやる!』
春輝はブルブルと体を奮った。
白いふわふわの尻尾が大きく揺れた。
チラリとリビングの時計を見た。
『もうすぐ陽菜が帰ってくる時間だな』
『撮られる前にトイレ行っとくか……』
テクテクとサークルに向かう春輝をママはじっと見つめていた。
「ただいま〜!」
陽菜の元気な声が玄関から響く。
『おっ帰ってきたな』
春輝は最後の一滴まで出し切り、ブルブルと体を震わせた。
「あっ!ハルちゃん、またおしっこしてたの?」
『なんで、分かるんだよ!』
春輝は数步後退った。
青いペットシートのシミがじわじわと広がっていた。
「帰ってきたら手を洗いましょうね」
優しいママの声。
「あっそうだった!」
パタパタと遠ざかる足音。
『なんでおしっこがバレたんだ……』
春輝は首を傾げながらサークルから出てテクテク歩く。
パタパタと戻ってきた陽菜は、ランドセルを広げノートを取り出した。
「ママ!今日ね、宿題があるんだよ!」
「そうなの?何の宿題?」
「先生にお手紙書くの!」
『へえ……変わった宿題だな』
「陽菜ちゃんは先生に何てお手紙書くの?」
「陽菜はハルちゃんのこと書く!」
『お、俺?』
春輝は思わず口に加えていた小さい人形をポロリと落とした。
ふわふわの尻尾を大きく振りながら陽菜に近づく。
『俺の何書くんだ?見せてみろ!』
陽菜は真剣な顔で鉛筆を握る。
ママは、クスリと笑ってキッチンから陽菜を見守っていた。
「できた!」
『よし!見せてみろ!』
「ひなのおうちは ハルちゃんがいます」
「ハルちゃんは いぬです」
「ハルちゃんは びょういんで おしっこを しました」
「とっても かわいいです」
『それ、おしっこいるか?』
ママは微笑みながら言った。
「陽菜ちゃん、よく書けてるわね」
「うん!」
『いやいや、書き直させろ!』
春輝は陽菜が座る椅子をパシパシと手で叩いた。
「ハルちゃん!遊んでほしいの?」
『違う!おしっこのところ書き直せ!』
「じゃあ、いくよ!」
陽菜は音がなるボールを投げた。
『おい!急に投げんなよ!』
春輝は急いで走り出した。
ふわふわの尻尾が大きく揺れた。
「陽菜ちゃん、少しだけハルちゃんの練習しよっか」
「うん!」
『……練習?』
春輝は可愛く首を傾げた。
ママの手には、長いリード。
『散歩か!』
春輝はママの目の前でくるりと回って見せた。
『早くここに付けてくれ!』
背中を見せる。
尻尾は大きく揺れていた。
ママが春輝の首輪にリードを繋げる。
カチャ。
『まっ、無くても平気だけどさ。俺、人間だし』
玄関がゆっくりと開く。
春輝は目を見開いた。
『なんだよ……これ』
春輝は初めて犬の世界を感じた。
草と土の香りが風に漂う。
人や車の大きな音。
そして、犬たちのにおい。
前に陽菜に抱かれた時よりも濃い匂いと大きな音は、子犬の春輝には得体の知れない恐怖となって襲った。
『なんか……こええ』
ふわふわで元気の良かった尻尾がシュンと両足の中に入った。
「ハルちゃん大丈夫?ママ、ハルちゃん怖いみたい」
『こ、こわくねえ!!』
「じゃあ、今日は抱っこで歩こうか」
春輝は静かにママに背中を向ける。
宙に浮く。
ママの優しい香りに春輝は少しだけ安心した。
「ハルちゃん、大丈夫だよ!陽菜がいるからね」
『……俺は、俺は……』
春輝はそれ以上何も言わず、大人しくママに抱っこされていた。




