表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森番の娘は魔王様?!〜魔物にご飯と仕事をあげていたら、辺境村が魔王領扱いされました〜  作者: 志摩 伊純


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
44/56

第44話 ミナ、困惑する

第1部:辺境領と教会編

第8章:ラダーナ村の勝手な恭順


 ミナの声が村道に落ちても、ラダーナ村の者たちはすぐには動かなかった。


 ヘルマンは地面に両手をついたまま、わずかに顔だけを上げている。その後ろでも、補佐、使節団の代表、物資係の女、年長者、若い付き添いたちが、同じように低い姿勢で固まっていた。


 伏せた手には、湿った土がついている。


 膝も、手も、きっと冷たい。


 ミナは道具袋を抱えたまま、困った顔をするしかなかった。


「立って」


「いえ、このままでも」


「土がつくよ」


「無礼を避けるには、この姿勢が」


「その姿勢がもう話しにくいよ」


 ヘルマンの肩が、さらに縮こまった。


 ミナは道具袋を胸に寄せ、慌てて首を振る。


「低くならなくていいから。膝、痛くない?」


 横でトマが小さく呻いた。


「ミナ、今の、受け入れたみたいに聞こえるからな」


「受け入れるって何を?」


「今、それを俺に聞くな」


 後ろで、ルシェラが満足そうに顎を上げている。


「ふむ。己の置かれた場所を見たか」


「ルシェラ、重い言葉を足さないで」


「重くはない。釣り合いの話だ」


「釣り合いの話でもないよ」


 リィナはミナとヘルマンたちを交互に見て、羽を小さく揺らした。


「ラダーナ、立たないの?」


 その声で、ようやく補佐がそろそろと動いた。ヘルマンも膝に力を入れ、ゆっくり立ち上がる。後ろの者たちも倣ったが、姿勢はまだ低い。背筋を伸ばしきるのが失礼だとでも思っているようだった。


 ミナはそれでも少し安心した。


 少なくとも、みんなの手は土から離れた。


「まず普通に話そう」


 ヘルマンは深く頭を下げた。


「承知しました。では、集会小屋へ」


「うん。道の真ん中だと、村の人も見てるし」


 その言葉に、遠巻きにしていた村人たちが、いっせいに視線を落とした。


 見ていないふりをするには、少し遅かった。



 集会小屋の中には、夜の名残がまだ残っていた。


 窓は開けられているのに、灯皿の油の匂いが薄く漂っている。低い卓の上には、灰石橋の形を刻んだ木札が置かれ、古い地図板の端には誰かの指の跡が白く残っていた。


 手紙の下書きらしい紙片。


 何度も使われた湯飲み。


 置き直された布包み。


 口を折られた、空に近い塩袋。


 返礼用の小袋は、きれいに並んでいるのに、どれも少しだけ位置がずれていた。何度も迷った手の跡みたいだった。


 ヘルマンの目の下には、薄い影がある。補佐も、使節団の代表も、物資係の女も、立っているだけで肩が重そうだった。


 ミナは卓の上の灯皿を見た。


「昨日、遅くまで話してたの?」


「必要な話し合いでした」


「灯り、こんなに減ってる」


「ミナ殿をお迎えするためです」


「橋の話で?」


 横から、トマがそっと声を落とした。


「ミナ、たぶん橋だけじゃなかったんだ」


「橋だけじゃなかったの?」


 ミナは灰石橋の木札を見る。


 たしかに橋は危なかった。荷馬車は無理だったし、手すりも頼れないところがあった。けれど、夜通しで話すほどのことだったのかと考えると、少し分からない。


 ヘルマンが、卓の片側を手で示した。


 ミナたちは卓の片側へ移った。隣にトマが座り、その少し後ろにガルム。ルシェラは当然のようにミナの後ろ側に立ち、リィナは梁に止まりかけたところで、ミナに見られて椅子の背へ移った。


「止まり木じゃないよ」


「分かってるよ。ちょっと高かったから」


 ヘルマンは向かいに座ったが、まだ背が低い。椅子に座っているのに、気持ちだけ膝をついているように見えた。


「まず、無礼をお許しください」


「許すとかじゃなくて」


 手元の道具袋を押さえ、ミナは卓の向こうを見た。


「よくわからないけど、敵意がないっていうのは分かったよ。でも、傘下って何?」


 その一言で、卓の向こう側が少し揺れた。


 ヘルマンはすぐには答えなかった。言葉を選んでいる顔だった。


「ミストル村と争う気はありません」


「うん」


「バルド殿が村長であることも、承知しております」


「うん。バルドさんが村長だよ」


「ですが、魔物たちはミナ殿を見ておりました」


 ミナの目が、ぱちりと瞬いた。


「見てた?」


「オークも、ゴブリンも、狼魔獣も、ハーピーも。ミストル村では、魔物たちがミナ殿の言葉を待っているように見えました」


「待ってるっていうか、火の場所と寝る場所を分けただけだよ」


 補佐が息を止めた。


 使節団の代表が、手元の湯飲みを見たまま固まる。


 トマは片手で顔を覆った。


「ミナ、それで余計に分からなくなるんだ」


「なんで?」


「火の場所と寝る場所を分けるだけで、オークとゴブリンと魔狼が落ち着く村は、普通じゃない」


「でも、火のそばで寝たら危ないでしょ」


「そういうところだ」


 ガルムは短く息を吐いた。


「恐れるのは分かる」


 低い声に、ヘルマンが顔を上げる。


「魔物がいる村と敵対したい者はいない。村人を守るなら、避けたいと思うのは当然だ」


「ガルム」


「だが、傘下とは別だ」


 その一言で、道具袋を握るミナの手が少し緩んだ。


「そう。別だよね」


 ヘルマンは、唇を引き結んだ。


「灰石橋を見ると聞き、軽く受けるわけにはいきませんでした。あの橋は、ラダーナ村とミストル村の間にあります。塩も、布も、鉄も、荷も、人の行き来も、あの道に関わります」


「だから見たんだよ」


「はい。だからこそ、重かったのです」


「重い荷は持ってなかったよ」


 リィナが小さくうなずいた。


「うん。ミナたちの荷物、軽かった。あたしでも半分くらいなら持てそうだった」


 トマは卓に両手をついた。


「リィナ、今はそういう重さじゃない」


「違うの?」


「違う」


 ヘルマンは、少しだけ目を伏せた。


「我らは、敵ではないと示したかったのです。低く出ることが、最も無礼の少ない形だと考えました」


「低く出ると、膝が痛いよ」


「ミナ」


 トマの声が弱い。


「そこじゃない」


「でも本当に痛そうだったし」


 ヘルマンの後ろで、若い付き添いが無意識に膝をさすった。物資係の女が、そっとその手を下ろさせる。


 その動きに、ミナの胸の奥がますます落ち着かなくなる。


「村同士で普通に付き合えばいいんじゃないの?」


 今度は、ラダーナ村側が困った顔をした。


 ヘルマンは、言葉を選ぶように口を開いた。


「普通に、とは……どの程度の礼を」


「礼の量の話じゃなくて」


「では、挨拶の順でしょうか」


「そうでもなくて」


「返礼の包みを改めれば」


「包みの話でもなくて」


 ミナは道具袋の紐をつまんだ。


「橋が危ないなら、一緒に見ればいいし。荷物が困るなら、どう運ぶか考えればいいし。ラダーナ村が困ってるなら、困ってるって言えばいいと思う」


 ヘルマンの顔に、少しだけ光が差した。


「では、我らの困りごとも、聞いてくださると」


「聞くけど」


 ミナは、すぐに言葉を足した。


「聞くけど、それと傘下は違うよね?」


 トマが胸を押さえた。


「違う。たぶん違う。違うことにしよう」


「たぶんじゃ困るよ」


「俺も困ってる」


 ガルムが卓の端を指で軽く叩いた。


「線を引け」


 短い言葉に、場の視線が集まる。


「恐怖は分かる。敵意がないことを示したいのも分かる。だが、下手に出ることと、傘下に入ることは別だ」


 ヘルマンは深く息を吸った。


「では、我らはどこまで下がれば無礼にならぬのでしょう」


 トマは一度息を吸い、少しだけ強い声を出した。


「下がる前提から離れてください」


 その場が静かになった。


 トマ自身も、自分で言ってから胃のあたりを押さえた。


「……いや、向こうが怖がるのは分かる。分かるけど、傘下は飛びすぎだろ」


「トマ」


「ミナ、これ、橋だけの話じゃ済まなくなってる」


「橋だけの話に戻したい」


「俺も戻したい」


 少し考えてから、トマはヘルマンの方を見た。


「傘下じゃなくて、友好的な隣村ってことでいいんじゃないか」


 ヘルマンの口の中で、その言葉がゆっくり転がった。


「友好的な、隣村」


「そうです。橋のことは、両方が使う道なんだから相談する。荷物も、無理のない範囲で融通する。何かある時は、先に知らせる。村同士の正式な話は、バルドさんを通す」


 隣で、ミナが何度もうなずいた。


「うん、それなら分かる。橋と荷物の話なら、分かる」


「あと、リィナ便も、軽い連絡なら」


「あたし?」


 リィナが椅子の背で羽を広げる。


「手紙ならいけるよ。重くなければ」


「そういう感じだ。短い手紙とか、小さい荷とか。無理はしない」


「無理はしない。重いのは無理」


 ヘルマンの後ろで、補佐が小さく頷いた。使節団の代表も、ようやく息を吐く。物資係の女は、返礼の布包みへ視線を落とし、少しだけ肩の力を抜いた。


「友好的な隣村」


 ヘルマンは、言葉をもう一度確かめるように口にした。


「橋の相談。無理のない範囲。先に知らせる。正式な話はバルド殿へ」


「それで敵意がないってことにはならないか?」


 トマの声には、願いが混じっていた。


 しばらくの沈黙のあと、ヘルマンが深く頭を下げた。


「……それなら、我らにも形が取れます」


 ミナの胸の奥が、ようやく少しだけ軽くなった。


 これなら分かる。


 橋は危ない。荷物は重い。手紙は軽い。困ったら先に知らせる。バルドに聞く。


 やっと、手の届くところに戻ってきた気がした。


 その時だった。


「では、賦役はどうする?」


 ルシェラの声が、卓の上に落ちた。


 空気が止まった。


 ミナの手も止まった。


 トマの顔から、血の気がさらに引いた。


「今それを言うな」


「なぜだ。敵意なきことを形にし、庇護を求め、友好を結ぶ。ならば、働きを示すのが筋であろう」


「ややこしくするな」


「御恩に報い、奉公を示す。悪くない」


「いや、もう遅いかもしれない」


 ヘルマンの目が、妙に真剣になっていた。


「仕事を示せばよい、ということでしょうか」


「違う」


 考えるより早く、ミナの声が出た。


「たぶん違う。少なくとも、今決める話じゃない」


 リィナが首を傾げる。


「ふえきって何?」


「今聞かなくていい」


「それ、運ぶやつ?」


「違うと思う」


「重いのは無理だからね」


「そこはずっと合ってる」


 ルシェラは少し不満そうに眉を上げた。


「小娘、働いた者へ食を返す。それはおぬしの流儀であろう」


「働いたら食べるは、薪とか丸太とか畑の話だよ」


「村も働くではないか」


「村同士の話にしないで」


 トマが、両手で顔を覆った。


「無理だ。言葉が全部重くなる」


 ガルムが短く告げた。


「余計な言葉を増やすな。まず意味を確かめろ」


「もう意味が多すぎるよ」


 ミナは、卓の上にある灰石橋の木札を見た。


 橋の板には、印をつけてきた。


 踏んではいけない板。


 頼ってはいけない手すり。


 雨の後は怖い場所。


 でも、この話には印がつけられない。


 傘下。


 庇護。


 賦役。


 奉公。


 どれも、聞けば聞くほど足元が分からなくなる。


 ミナは、ゆっくり息を吸った。


「待って」


 声は大きくない。


 けれど、卓の周りは静かになった。


「これは、私だけで返事しちゃだめ」


 ヘルマンが顔を上げる。


「ミナ殿」


「村の話だから」


 ミナは道具袋を抱え直した。


「橋のことも、荷物のことも、ラダーナ村のことも、順番に話す。でも、村同士の話はバルドさんに聞かないと」


 トマが、すぐにうなずいた。


「それがいい。絶対それがいい。むしろ最初からそうするべきだった」


「最初は橋の話だったよ」


「今は違う」


 ガルムも短く続けた。


「持ち帰れ。ここで決めるな」


 ヘルマンは、深く息を吐いた。


「では、我らはお返事を待てばよいのでしょうか」


「返事っていうか」


 少し考えてから、ミナは言葉を探した。


「まず、話を持って帰る。橋のことも、荷物のことも、ラダーナ村のことも。バルドさんに話して、それから」


「それから」


「また話す」


 ヘルマンは、今度こそ少しだけ顔を上げた。


 安心したのか、さらに緊張したのか、ミナには分からなかった。


 リィナが羽を揺らす。


「じゃあ、また運ぶ?」


「何を?」


「手紙。重くなければ」


 トマが、弱々しく笑った。


「手紙まで重くなりそうだな」


「紙は軽いよ?」


「そういう重さじゃないんだ」


 ミナは卓の上の木札を見て、それからヘルマンたちを見た。


 まだ何も決まっていない。


 ただ、ひとつだけ分かったことがある。


 橋の板より先に、バルドの眉間が危ない。


「……バルドさんに、ちゃんと話すね」


 その言葉に、トマはそっと胃のあたりを押さえた。


「俺も行く。ひとりで説明したら、たぶん村長のしわが割れる」


 ルシェラは、どこか満足げにうなずく。


「国政とは、かくも難しいものよ」


「国じゃない」


 ミナとトマの声が、ほとんど同時に重なった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ