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森番の娘は魔王様?!〜魔物にご飯と仕事をあげていたら、辺境村が魔王領扱いされました〜  作者: 志摩 伊純


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第43話 森番の娘、ラダーナ村へ

第1部:辺境領と教会編

第8章:ラダーナ村の勝手な恭順


 森番小屋の朝は、いつもより少しだけ早かった。


 黒枝の森の奥には、まだ薄い朝靄が残っている。草の先には露がつき、小屋の前の土は夜の湿りを残していた。薪置き場の脇で、ミナは道具袋を開き、中身をひとつずつ並べていく。


 縄。


 小刀。


 細い木札。


 赤茶けた布切れ。


 水袋。


 昼に食べる薄い焼き麦と干し肉。


 それから、布で包んだ小さな挨拶品がひとつ。


 トマは、その最後の包みを見て眉を寄せた。


「それ、挨拶品か?」


「うん」


「少なくないか」


「橋を見るのが目的だから、荷は軽くする」


 ミナは当然のように、包みを道具袋の端へ入れた。


 中身は、修理で余った木片を磨いた小さな札と、干し肉をほんの少し。それから、バルドが書いた短い礼の文だった。豪華ではない。けれど、手ぶらでもない。


「お前、挨拶品まで橋基準なのか」


「重い荷を持って危ない橋を渡るのはだめでしょ」


「まあ、間違ってはいないけど」


 トマはそこで言葉を切り、道具袋の軽さをもう一度見た。


 最近のミナは、だいたい間違っていない。間違っていないのに、なぜか話が大きくなる。


 小屋の横では、ガルムが縄を手に取っていた。結び目を確かめ、引いて、少しだけ眉を動かす。


「これでいい」


「長さ、足りる?」


「橋を見るだけなら足りる。橋を直すなら足りない」


「今日は直さないよ。見るだけ」


「なら足りる」


 ガルムは縄を巻き直し、ミナの道具袋には入れず、自分の肩へかけた。


「橋を見るなら、足元を見る者は要る」


「ありがとう」


「礼は渡ってからでいい」


 その後ろで、ルシェラが当然のように立っていた。


 朝の冷たい空気など気にも留めず、腕を組み、橋を見に行く一行の一員であることに少しの疑いも持っていない顔をしている。


「小娘が外へ出るなら、わたしも行く」


「ルシェラも?」


「当然であろう。その橋が、小娘にふさわしいか見てやる」


「橋にふさわしいとかないよ。板が抜けないか見るだけ」


「ふぬけた板など小娘にふさわしくない」


「それはそうだけど、そういう話じゃない」


 トマは顔を覆った。


「もう嫌な予感しかしない」


 そこへ、バルドがやって来た。


 村長は杖をつき、ミナの道具袋、ガルムの縄、トマの顔、最後にルシェラを順に見た。ルシェラのところで少しだけ視線が止まったが、今はそこには触れなかった。


「橋を見るだけじゃ」


「うん」


「余計な約束はしてくるな」


「しないよ」


「ラダーナ村には、礼を言って戻ればよい。村同士の話を勝手に進めるなよ」


「分かってる。危ないところを見て、挨拶して帰ってくるだけ」


 トマが小さく息を吐いた。


「その“だけ”が最近信用できないんだよな」


 ミナは振り返る。


「橋を見るだけだよ?」


「最近、お前の“見るだけ”で話が大きくなるんだよ」


「橋は大きいけど」


「そういう意味じゃない」


 バルドは、トマの言葉に少しだけ深くうなずいた。


「わしが行かぬからといって、好きに話を進めるでないぞ」


「うん。バルドさんがいないから、村の話はしない」


「そうじゃ。橋を見て、危ないところを覚えて、礼を言って戻る。それだけじゃ」


「うん」


 ミナは道具袋の紐を結び直した。


 荷は軽い。挨拶品も軽い。水袋もいっぱいにはしていない。足元が悪い橋を見に行くなら、このくらいがいい。


 ミナの頭の中では、話はもう橋の板と、塩と、釘と、帰り道の順番になっていた。



 ミストル村を出ると、道はすぐに細くなった。


 春の土はまだ柔らかい。雪解けの水が引いたあとに、古い轍が浅く残り、その中に草が生え始めている。人の足なら越えられるが、荷車の車輪なら何度も取られそうだった。


 ミナは、轍の端にしゃがみ込んだ。


「ここ、荷を積んでたら沈みそう」


「乾けば少しはましだ」


 ガルムの視線は、道の先のぬかるみへ向いていた。


「雨の後はだめだな」


「商人さん、これじゃ荷を増やせないね」


 ミナは立ち上がり、道の先を見た。


 トレオの商人は、ラダーナ村までは来る。塩も、布も、鉄も、薬も、そこまでは届く。けれど、その先が細くなり、橋が悪ければ、ミストル村には届きにくい。


「塩だけじゃないよね」


 ミナは歩きながら、道具袋の紐を押さえた。


「布も困るし、釘も困るし、薬も困る」


「釘は特に困るな」


 トマの視線が、道の先からミナの道具袋へ戻る。


「村の壁も倉庫も、直すところだらけだ」


「薬草だけで足りない時もあるし」


「そういう話をすると、橋を見るのは大事なんだけどな」


 トマはそこで、少し声を低くした。


「向こうからしたら、結構大きい話じゃないか?」


「向こう?」


「ラダーナ村だよ。灰石橋って、向こうとこっちの間だろ。そこをミナが見に行くって聞いたら」


「危ない橋を見るだけだよ?」


「そうなんだけどな」


 トマは、それ以上うまく言えなかった。


 ミナにとっては、橋の板と荷の重さの話だ。


 けれど、外から見ると、そう見えないことがある。


 それを、トマはもう何度か見ていた。


 ルシェラは、少し後ろで道の泥を避けて歩きながら、鼻を鳴らした。


「小娘が道を見れば、道の方が姿勢を正すべきであろう」


「道は姿勢を正さないよ」


「では、正すように言え」


「道に言ってもだめ」


「水路には言うではないか」


「水路にも、板にも、ちゃんと見てから言うの」


 トマは目を閉じた。


「その返しも、外から聞くとだいぶ危ないぞ」



 灰石橋は、思っていたより静かだった。


 川幅は広くない。けれど、春の水は冷たく、石の間を白く鳴らして流れている。橋脚は古い石で組まれ、まだ形を保っていた。問題は、その上に渡された木の床板と、両側の手すりだった。


 板の色が、場所によって違う。


 新しいものもある。


 古いものもある。


 湿って黒ずんだものもある。


 端の方には、前に打ち直したらしい釘の跡が残っていた。


 ガルムが先に一歩出た。


「一人ずつだ。間を空けろ」


 ミナは頷き、道具袋を前へ回した。


「私が先に見る」


「俺が先だ」


 ガルムは橋板から目を離さなかった。


「踏んでよい板かどうかを見る」


「じゃあ、ガルムが先。私はその後」


「端に寄るな」


「うん」


 ガルムが橋へ足を乗せる。


 板が、低く鳴った。


 折れる音ではない。けれど、安心できる音でもなかった。


 ミナはすぐに布切れを取り出した。


「そこ、印」


「まだ渡っていない」


「今の音、怖い」


「分かった」


 ガルムは少し戻り、足元を指した。


「この板は踏むな」


 ミナはしゃがみ、布切れを細く裂いて、手すりの根元へ結んだ。風で飛ばないよう、短く二度結ぶ。


「ここ、踏まない方がいいね」


 トマは橋の入り口で、板と川を交互に見た。


「これ、荷車は無理だな」


「荷馬車は無理だね」


 ミナは橋の中央へ目を向けた。


「人が一人ずつなら、天気がいい日は渡れる。でも、雨の後は怖いかも」


 ルシェラが、退屈そうに橋の端へ近づいた。


「この程度、わたしなら落ちん」


「ルシェラ、真ん中を歩いて」


「わたしが落ちると思うか」


「ルシェラが落ちるんじゃなくて、橋が困るの」


 ルシェラの足が止まった。


「橋が、困る」


「橋は力持ちじゃないんだから。端に乗ったら、板が嫌がるかもしれないでしょ」


「板が小娘へ不敬を働く前に、わたしが」


「板を怒らない」


 トマは、額に手を当てた。


「板に不敬もない」


 ミナは、橋脚の石を見た。大きな石は残っている。流れに削られたところもあるが、すぐ崩れそうではない。けれど、石と木の継ぎ目に泥が溜まり、片側の手すりは体重をかけると少し揺れた。


「こっちの手すり、頼らない方がいいね」


「縄を張るだけでも違うか」


 トマの視線が、揺れる手すりに止まる。


「今日は張らないよ。見るだけ」


「分かってる。言っただけだ」


「印だけ」


 ミナは木札を一枚取り出し、小刀で浅く傷をつけた。危ない板の印。手すりの印。雨の後は避ける印。字ではなく、形で分かるようにする。


 ガルムが橋の向こう側から戻ってきた。


「軽い荷なら、慎重に渡れる。重い荷はやめた方がいい」


「商人さん、これじゃ来たがらないよ」


 ミナは、川の流れを見下ろした。


「でも、全部直す話は今じゃないね」


「今やるなよ」


 トマの声が、すぐにかぶさった。


「やらないよ。見て、印をつけるだけ」


「その“だけ”が」


「トマ」


「悪い。言いたくなるんだ」


 ミナは最後の布切れを結び、少し離れて橋全体を見た。


 古い橋だった。


 壊れてはいない。


 けれど、荷を積んだ馬車が渡れる橋でもない。


 商人が嫌がるのも、よく分かった。


「ラダーナ村に行こう」


 ミナは道具袋を肩へかけ直した。


「挨拶して、危ないところに印をつけたって伝えてくる」


「それだけな」


「それだけ」


 トマは返事を聞いても、あまり安心しなかった。



 ラダーナ村では、朝から村道が掃かれていた。


 掃いても掃いても、土の道は土の道である。けれど、落ち葉は端へ寄せられ、ぬかるみには板が置かれ、井戸のそばには水が用意されていた。


 集会小屋の前には、布をかけた台が置かれている。


 その上には、返礼の包み。


 干し豆。


 古布。


 薬草を包んだ布。


 空ではなく、わずかに塩の残った小袋。


 物資係の女は、それらを何度も置き直した。増やせばいいのか、減らせばいいのか、途中から分からなくなっていた。何度直しても、ちょうどよくは見えない。


 ヘルマンは眠れていない顔で、村道の先を見ていた。


 使節団の代表は、挨拶の言葉を口の中で何度も転がしている。補佐はその横で、何も書かれていない木札を握っていた。書けば重い。書かなければ忘れる。そのどちらにも見える顔だった。


 その少し上で、リィナが屋根の低い梁に腰を下ろしていた。


「ちゃんと言っといたからね!」


「お知らせ、感謝します」


 補佐が丁寧に頭を下げる。


 リィナは少し胸を張った。


「ミナたち、もう来ると思うよ。橋見てから来るって言ってたし」


「承知しております」


「ラダーナ、今日もなんかかたいね」


 誰も答えなかった。


 リィナは首を傾げ、それから用意された水を見て、少し嬉しそうに羽を揺らした。



 ラダーナ村の入り口に着いた時、ミナは最初、村道がいつもよりきれいなことに気づいた。


「あ、掃いてある」


「そうだな」


 トマの返事は硬い。


 村の奥に、人がいる。


 村人たちは遠巻きにこちらを見ていた。子どもたちは家の陰に寄せられ、大人たちも大声を出さない。好奇心はある。恐れもある。けれど、石を投げるような空気ではない。


 ガルムが一歩前に出た。


「動くな」


「え?」


「周囲を見る」


 ミナは足を止めた。


 ラダーナ村の中心に、ヘルマンが立っていた。


 いや、立ってはいなかった。


 ミナたちが近づくより先に、ヘルマンは膝をついた。両手を地面につき、頭を下げる。額が土に近い。後ろの補佐、使節団の代表、物資係の女、年長者、若い付き添いたちも、それに倣った。


 村人たちの息を呑む音が、道の端から聞こえた。


 ミナは止まった。


 トマも止まった。


 ガルムは目を細め、伏した者たちではなく、その周囲を見た。


「……いや、敵意はない」


 ルシェラだけが、満足げに目を細めた。


「ふむ。ようやく目が利くようになったか」


「え、なにこれ?」


 リィナが梁から飛び降り、まだ半分だけ分かっていない顔でミナの方を見た。


 ミナは、道具袋を持ったまま、口を開けた。


「こんにちは」


 いつもの挨拶だけが、なんとか出た。


 ヘルマンの声は、地面に近いところから低く届いた。


「お待ちしておりました」


「あ、はい。えっと、灰石橋、見てきました」


 ミナは、道具袋の紐を握り直す。


「危ないところがいくつかあったので、印をつけておきました。今日は、挨拶だけして戻ります」


 その言葉を聞いても、ヘルマンは顔を上げなかった。


「灰石橋まで、足を運ばせてしまい、申し訳ありません」


「いや、見るために行ったので」


「ラダーナ村は」


 ヘルマンの声が、そこで一度止まった。


 後ろの者たちの肩に、同じように力が入る。


「ミストル村の傘下に入ります」


 風が止まったように感じた。


 実際には、村道の端の草が揺れている。リィナの羽も小さく動いている。川の音も、遠くで鳴っている。


 けれど、ミナの耳には、しばらく何も入ってこなかった。


「……え?」


 トマが、顔をひきつらせた。


「いや、今のはたぶん……」


「傘下?」


 ミナの声は小さかった。


「どうか、敵意なきことをお受け取りください」


 地面についたヘルマンの手は、そのまま動かなかった。


「無礼があったなら、すべて私の責です。ミナ殿、どうか話をお聞きください」


「ちょっと待って」


 ミナは一歩だけ前に出かけ、ガルムに手で止められた。


「近づくな。ミナは混乱している」


「ガルム、私?」


「お前だ」


 トマの声は小さく、乾いていた。


「ミナ、これは橋の話じゃない」


「橋の話をしに来ただけだよ?」


「俺もそう思ってた」


 トマは青い顔で、ヘルマンたちを見た。


「村長に怒られるやつだ」


 ルシェラは腕を組み、うむとうなずいた。


「小娘の庇護を願うか。悪くない」


「悪くないじゃないよ」


「御恩に報い、奉公を示す。筋は通っておる」


「庇護って何。橋の板の話は?」


 リィナがミナの横へ来て、目を丸くしたままヘルマンたちを見た。


「え、ラダーナってミナの下になるの?」


「ならないよ」


「すごいじゃん、ミナ」


「すごくない」


「あ、でも荷物は重いの無理だからね」


「そこは合ってる」


 ミナは、自分でも何に返事をしているのか分からなくなりかけた。


 目の前では、ラダーナ村の村長が地面に手をついている。後ろの人たちも、同じように低い姿勢のまま動かない。土が手につく。膝も痛そうだ。額に湿った土がつきそうな人もいる。


 傘下。


 庇護。


 敵意なきこと。


 どれも、ミナの手の中にある布切れや木札より重い言葉だった。


 でも、今いちばん気になるのは、そこではなかった。


「……とりあえず、立って」


 ヘルマンが、わずかに顔を上げた。


「ミナ殿」


「土がつくよ」


「いえ、これは」


「そのままだと、話しにくいから」


 ミナは道具袋を抱え直し、困った顔のまま、ヘルマンたちを見た。


「話は聞く。だから、まず立って」


 ラダーナ村の者たちは、すぐには動かなかった。


 トマは天を仰ぎ、ガルムは周囲を見たまま黙っている。ルシェラはなぜか満足そうで、リィナはまだ首を傾げていた。


 ミナは、橋につけた布切れのことを思い出した。


 危ないところには、印をつけてきた。


 でも、目の前のこれは、どこに印をつければいいのか分からない。


 それでも、地面に手をついたままでは、話はしにくい。


 ミナは、もう一度だけ、ゆっくり息を吸った。


「とりあえず、立って。話を聞くから」


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