第9話 写真に残った配達車
レリ・マハーシーヴァ オープニングテーマ「まなざしのマントラ」
https://youtu.be/6FmwM8nEabA
パン屋さんで見かけた人がいる、という先生の言葉に、わたしはペンを握り直す。
時刻はもう10時を少し過ぎている。
もう、こんな時間?
2時間もたったのに、あわてて読み返した紙は全部、まだ机に残っている。
「お母さんが、もう一度お店へきいてくれたの」
「松本、何か買ったんですか」
「帰りに買ってきてと、頼んでいたパンがあったそうよ。店員さんは顔を知っていて、本人に間違いないって」
先生は電話で聞いた内容をメモから伝えてくれる。
「そのパンは売り切れていて、ほかの棚を見ていたそうなの。そのとき、スマホを出して誰かと電話をしたみたい」
「お母さんに、じゃなくて?」
ことりがきくと、先生は静かに首を横に振る。
「お母さんの携帯に、その電話は残っていないの。ただ、誰と話したかまでは店員さんも知らないそうよ」
わたしは紙の空白へ短く『電話』と書く。
「話の途中で、外へ出ていったそうよ」
「駅は、お店の反対側ですよね」
舞人くんが机に置いた地図を先生がのぞき込み、パン屋さんの入口と、駅の位置を示す。
パン屋さんは駅へ向かう道の最後の角にあって、普通に帰るなら、そこから駅へ曲がるはずだ。
でも、松本くんが向かったのは逆だった。
「今来た道を、走って戻っていったって」
わたしのペンが紙の上で動かなくなる。
駅に着かなかった理由が、少し形になる。
連れていかれたところを見た人はいなくて、松本くんは自分で、向きを変えて走っている。
電話の相手は何を言ったの?
ことりが矢印の線を手前へ伸ばす。
「じゃあ、最初は帰るつもりだったんだね」
「パンを頼まれてたのも、覚えてたんだ」
葵の声がいつもより低く聞こえる。
矢印の横へノートのコピーを置くと、1年の集合時刻と、先にきくという文字が目に入る。
誰かが松本くんを呼び戻したのかな?
でも今は、そう決めるための言葉が足りない。
「防犯カメラもあるそうだけど、確認は警察にお願いしてる」
先生がわたしたちの前でメモを閉じる。
店員さんの話はそちらにも伝わっているそうだから、わたしたちが、お店へ押しかける必要はない。
舞人くんは椅子へ座り直し、両手を机に置く。
わたしはその指のそばへコピーを寄せる。
「何かを、しに戻ったんだね」
舞人くんは文字を見て、しばらく返事をしない。
思い出の中では昨日の松本くんがあの校門で笑っていて、わたしは、その顔へ帰ってきてと頼む。
それから目の前の紙へ視線を戻す。
「何をしに行ったのか、ここから探そう」
わたしの声に、舞人くんがゆっくりうなずく。
帰り道を引き返した、その先を見つけなくちゃ。
*
「この写真、消さなくてよかった」
ことりが画面の端を指で広げる。
学校の空き教室にはわたしたち4人がいて、机の上には、松本くんのノートのコピーも並んでる。
逸見先生は連絡が入り、先に職員室へ戻っている。
土曜日の教室は椅子を引く音がよく響く。
「クジラを探してた日のやつ?」
「うん、貼り紙をした場所の記録」
葵が椅子を寄せ、わたしも横からのぞく。
写真の真ん中にあるのは、クジラの写真と学校の連絡先を貼った、あの日の掲示板だ。
その右端に、白い車のお尻が写ってる。
「こっちも見て、倉庫のほうで撮った写真」
ことりはもう1枚を隣に並べる。
大きく写った赤茶色の道の奥に、同じような白い車が止まっている。
最初の写真より、後ろの窓がよく見える。
「似てるけど、こういう車って多くない?」
「うん、色だけだと決められない」
ことりの指が止まった右の赤いランプには、細い白い線が、斜めに2本入っている。
写真だと電線の映り込みにも見えるけど、2枚とも、同じ場所にあるんだよね。
「……この割れたところ、同じだね」
「うん、割れ目の上に透明なテープがある」
舞人くんが自分のスマホを取り出し、練習会の集合場所が写った画像を開く。
部員から送ってもらった画像らしく、そこにも、白い車が小さく見える。
「矢崎さんが、荷物を積んでた車だ」
「後ろ、もっと見える?」
葵が画面に顔を近づける。
大きくすると輪郭が四角く崩れ、ランプの線はわからなくなる。
肝心なところが写ってなくて、画面を横に傾けたくなっちゃうよね。
「これじゃ、同じとは言えないか」
「元の写真、撮った人に送ってもらえないかな」
ことりが言うと、舞人くんはすぐ入力する。
わたしは机の写真へ目を戻す。
あの日は葵のクジラを見つけることしか考えてなくて、荷物を運ぶ車としか思わなかった。
お返し処の人が、荷物を頼んだ車?
それとも、たまたま近くに止まってた車?
「このとき、後ろの扉が開いてるね」
わたしは倉庫の写真の端を指さす。
扉の内側には細い板があり、その手前に青い台車が見える。
「布をかける、板みたいなのかな」
「りん、あの店で見た?」
葵の問いに、首を小さく縦に動かす。
布に触れた指の感触と、逃げ道をふさいだ棚なら忘れられない。
その奥で見たことは、話せないけど。
「棚とか、仕切りとか……あったから」
「店を作る荷物だったら、運んだ人もいるよね」
ことりが写真の下に時刻を書き足す。
舞人くんはわたしの顔を一度だけ見る。
たぶんわたしと同じで、シーヴァくんのあの言葉を思い出してる。
看板だけじゃなく、荷物が来た道も。
シーヴァくんの声が、頭の中でよみがえる。
道の先にいたのは、普通の人間なの?
「駅のスポーツ店、今日は開いてるよな」
舞人くんが机から手を離すと、葵がすぐに、その袖をつまむ。
「いきなり本人に詰め寄るのは、なし」
「わかってる。車を見たいだけだ」
「じゃあ、先生に行き先言ってから」
教室の入口を見つめる舞人くんは、すぐに立つと思ったのに、まだ座ってる。
スマホの中で回っている送信中の印が消えるまでの、たった数秒さえ、長い。
「松本、あんなに写真嫌がるくせにさ。昨日だけ、顔でも撮っておけばよかった」
舞人くんの指が画面の端から離れる。
わたしは返す言葉を探してしまう。
写真があれば帰ってくるわけじゃない。
でも、見たいよね、今の顔を。
葵は袖から手を離して椅子を引く。
「戻ってきたら撮ろう、嫌がる顔ごと」
「それ、たぶん怒るぞ」
「怒るなら、ちゃんと帰ってからにしてもらう」
舞人くんの口元が、ほんの少し動く。
すぐ笑顔になるほど、簡単じゃないよね。
わたしは写真の車を見て、運んでいた人のことを考える。
*
職員室の前で逸見先生を待つ。
1回目の声がドアの音に負けて、わたしはもう一度呼び直す。
普段なら、ここで葵に頼っちゃうけど。
今日は、手に持つ写真を渡したい。
「……逸見先生、写真を見てほしいんです」
先生は立ったままスマホへ目を近づけると、わたしが話す間、口を挟まずに聞いてくれる。
わたしの説明が車と日付を行ったり来たりする間も、ことりが横から、順番に画面を替えてくれる。
「この2枚の車は、同じように見えます」
「矢崎さんの車かどうかを、知りたいのね」
「はい、でも……まだわからなくて」
先生は写真の時刻も一緒に見て、学校の連絡先へ送るようにと、教えてくれる。
「話を聞くなら、人のいるお店でね」
「矢崎さんがいたら、どうしますか」
舞人くんの声は、かたい。
先生は4人の顔を順に見渡す。
「追いかけたり、車に乗ったりはしないで。見つけた場所を、すぐに知らせてちょうだい」
「……はい」
わたしは連絡用の画面を開いておく。
先生が振動する携帯を取り、松本くんの名前を口にする。
わたしたち以外にも探している人がいるって、それがわかるだけで、息がしやすくなる。
買い物の人が増えた商店街へ戻ると、わたしたちは、写真と同じ掲示板の前に立つ。
白い車はもちろんもう止まっていなくて、そこには、小さな植木鉢が2つ置かれてる。
「車って、ここに入ってよかったのかな」
「お店の荷物なら、ときどき入るよ」
葵が道路の端の小さな札を指さす。
配送の車は時間を区切って通れるらしく、写真の時刻も、その時間の中に入ってる。
ただの迷い込んだ車では、なさそうだね。
「あの、すみません……」
わたしは近くの店の入口で足を止める。
台所の道具が並ぶ店の奥から、おばさんが手を止めてこちらを見る。
「この車、見たことありますか」
「白い車? 配達なら、いろいろ来るけど」
写真を見せる高さに迷って、近すぎたかなと下げてみると、今度は見にくそうになる。
葵が横で、棚の手前へ場所を移してくれる。
おばさんは眼鏡をかけ、画像を大きくする。
「……その車なら、荷物を取りに来たわね」
舞人くんがわたしの横に並ぶ。
「先週の金曜日、ですか」
「そうねえ、台車を貸したのは先週だったはず」
おばさんが指で示した写真の青い部分には、店の名前が、小さな白い字で書いてある。
わたしたちにはつぶれて読めなかったけど、おばさんには、見慣れた自分の店の字らしい。
「折り畳めるやつ、あそこにあるのと同じ」
入口の隅の青い台車には、白い字で店名が貼ってある。
わたしはことりと顔を見合わせる。
毎日使う人には、こんな写真でもわかるんだね。
「どんな荷物を、運んでたんですか」
「衝立の部品と、白い布だったかしら」
おばさんはレジの横の帳面を引き寄せる。
舞人くんの指が、スマホの縁を強く押す。
わたしの耳にも布という言葉が残って、あの壁は、どこかで買った布なんだと思う。
お店で値札をつけて売っている、普通の布。
「それ、誰が買ったか……わかりますか」
最後のほうは、少し声が小さくなる。
おばさんが帳面から目を上げる。
「どうしたの、何かあった?」
わたしは松本くんが帰ってないことと、練習会の車に似ていることを、どうにか伝える。
妖魔や魂のことを言わずに説明すると、口の中がからからになる。
言えないことが、言いたいことの間に挟まる。
「この車の人を、探してるんです。学校の先生にも、同じ写真を見せてあります」
舞人くんがわたしの言葉を引き取ってくれる。
「そう……それは心配ね」
おばさんは帳面をわたしたちへ向けず、代わりに、先生へ電話できるかときく。
わたしはさっき開いた画面から連絡する。
改まったおばさんの声を聞きながら、わたしたちは入口の脇で待つ。
鍋のふたに自分の顔が丸く映ってる。
……こんな顔で、さっきまで話してたんだ。
口に力を入れすぎて、ほとんど一直線だ。
店に入ってきた人へ、4人で道を空ける。
待つしかない時間に、靴の先が動いてしまう。
「受け取った人の、名前が残ってたって」
ことりが、わたしだけに聞こえる声で言う。
電話を終えたおばさんがこちらへ来て、スマホを返しながら、ゆっくり説明してくれる。
「矢崎さん。駅の近くのお店の人よ」
……なんで。
「品物は別の人が頼んで、受け取りはその人」
「……どこへ運んだかも、わかりますか」
「裏の倉庫へ持っていくって、言ってたわね。受け渡しは先週の金曜日で、台車は週明けに返してもらったわ」
受け渡しの日付も写真と同じ金曜日だ。
帳面の記録は、先生たちへ渡してくれるそうだ。
わたしはお礼を言って頭を下げる。
顔を上げてもまだ店の布が目に入って、棚の上の白い布は、ふわふわして見える。
あの日も、外からは普通の店に見えたよね。
「りん、行こう」
葵に手首を軽くつつかれると、その手の温かさに、はっとして顔を向ける。
取り戻せた手が、今、目の前にある。
わたしは、手を振るおばさんへもう一度頭を下げてから店を出る。
*
駅の近くのスポーツ店は営業している。
入口にはランニング用の靴が並び、窓に大会の貼り紙がある。
ほかのお客さんも普通に靴を選んでいる。
こんな場所に、あの倉庫への道があるの?
「矢崎さん、今日はお休みなんだ」
名札に店長とある男の人がそう答えると、舞人くんは、そこで一度口を閉じる。
店長さんは舞人くんを覚えてるみたいで、部活で使う物を、買いに来ることがあるんだね。
「松本くんのことなら、学校にも話したよ」
「車のことを、ききたいんです」
舞人くんが用意していた写真を差し出す。
店長さんは、作業用の机へわたしたちを招く。
入口から見える丸い椅子に、わたしは葵と並んで腰を下ろす。
「この白い車は、店のものですか」
「いや、うちの車は横に名前が入ってる」
店長さんは窓の外をあごで示す。
駐車場にある車は横に青い文字が入り、ランプに割れ目もない。
「矢崎さんが使ってる車なら、白ですよね」
「個人の車だね。荷物が多いと乗ってくる」
「後ろのランプ、テープで直してましたか」
店長さんがそこでわたしたちを見渡すと、その表情は、さっきまでより固くなる。
「……ああ、右のところを割っていたね」
ことりは、金曜日の写真を指で広げる。
店長さんはもう一度窓の外を見るけど、そこにあるのは、別の車なのに。
「これ、どこで撮った写真?」
「商店街と、奥の倉庫の近くです」
わたしは撮った場所を地図で示す。
店長さんはスマホを出し、誰かへ電話する。
呼び出しが続いても矢崎さんは出ず、留守番電話に変わってしまう。
膝に置いた手のひらに汗がにじむ。
学校からの電話にも、出てないのかな?
舞人くんは壁の時計を見上げている。
「練習会って、この店でやってるんですか」
葵が机の上の案内を手に取ると、店長さんは、すぐ首を横に振る。
「店の催しなら、参加する子の保護者にも連絡する」
「じゃあ、この集合案内は?」
舞人くんが、松本くんのお母さんからの画像を開く。
矢崎さんの名前と集合時刻が書かれた案内には、店の住所も、小さな字で載っている。
店長さんはその住所を長く見つめる。
「店を待ち合わせに使うとは、聞いていたけど」
そこで言葉がいったん止まり、親指だけが、机の角をゆっくりなぞる。
「……こんな案内を出していたのか」
声がわたしたちへの返事より小さくなる。
店長さんの困った顔を見ると、何も知らなかった大人が、もう1人増えた気がする。
子供たちを教えていることは知っていても、この案内は知らないんだ。
それなら、松本くんにわかるはずないよね。
よく行くお店で、顔も名前も知ってる人。
教わったら、速くなったように見える。
「矢崎さん、走るのが速かったんですか」
わたしの問いに、店長さんは机の後ろを振り返る。
「そうだね、うちの店にも記録が飾ってあるよ」
机の後ろに飾られた新聞記事の、額に入った古い写真には、若い矢崎さんが立っている。
ランニング用の服を着て照れた顔をする矢崎さんの横には、順位と記録が書かれてる。
「脚を傷めてからは、教えるほうが多かった」
「最近も、よく走ってましたよね」
舞人くんの言葉に、店長さんは首をかしげる。
「子供たちと走れるようになったとは聞いたよ」
その言い方が、わたしの中に引っかかる。
走れるようになったことを、喜んでる声だ。
舞人くんは机の下で膝を寄せる。
お店の人も知らない、何かがある。
でも、それをここで言えるわけじゃない。
「この写真、先生にも送ってあるんです。車と練習会のこと、話してもらえますか」
ことりが連絡先を店長さんへ見せる。
「わかった。学校と警察にも伝えるよ。あとは、わたしたちにまかせて」
わたしが立ってお礼をしても、舞人くんは新聞記事を見ている。
そこにいる人は怖い顔をしていなくて、勝ってうれしそうな、普通の選手の顔だ。
知らない怪物の顔よりも、その普通の笑顔から目をそらしたくなる。
レリ・マハーシーヴァ エンディングテーマ「ここにある」
https://youtu.be/RXc36LRIwuI




