第10話 速くなるための約束
レリ・マハーシーヴァ オープニングテーマ「まなざしのマントラ」
https://youtu.be/6FmwM8nEabA
「届いた、元の写真」
店を出たところで舞人くんのスマホが鳴ると、わたしたちは、歩道の広いところへ移る。
送られてきた写真では、練習着の部員が大きなバッグを抱え、車の脇で笑ってる。
後ろの扉に、矢崎さんが手をかけている。
舞人くんが広げると、右のランプが見えてくる。
「あっ、斜めになってる……同じだ」
ことりの画面へ目を移すと、透明なテープの上端が、途中で少し折れてる。
葵も両方のスマホをのぞき込み、同じ三角の形を見つける。
「車だけじゃなくて、人も写ってるね」
「うん、これなら先生にも説明しやすい」
ことりは送られたままの写真を保存し、撮った時刻が消えないように、そのまま転送する。
わたしは車のすぐ横の顔を見つめる。
矢崎さんは荷物の持ち方を教えている。
バッグを抱えた子の顔まで楽しそうで、頼れそうな大人に見えてしまう。
葵がわたしのスマホをそっと押し下げる。
「りん、画面に穴が開くよ」
「……そんなに、見てた?」
「たぶん、あたしも同じ顔してた」
葵がバッグを手前へ引き寄せると、金具の青いクジラが揺れる。
欠けた尾を、親指でそっと押さえる。
「あたし、あの人にお礼まで言ったんだよね」
きき直さなくても、お返し処でクジラを渡してくれた店主のことだとわかる。
探し物が戻ったと思って、葵は笑ってた。
「あのとき、変だって気づいてればさ」
「……わたしも、気づかなかったよ」
思ったより大きい声が出て、自分で驚く。
わたしは道のほうへ一瞬だけ目をやる。
通りを急ぐ人は誰も、わたしたちの話に足を止めたりしていない。
「わたしも、よかったって思ってたから」
「りんは、あとで気づいたじゃん」
「でも、最初は……一緒だった」
わたしだってきっと同じように受け取ってたと言いたいのに、うまく言えず、バッグのひもを握る。
なくした贈り物をやっと見つけたのに、そこに偽物が出てくるなんて、考えないよね。
「ありがとうって言ったの、変じゃないよ」
わたしの声に葵がクジラから手を離すと、ことりも、わたしたちの間へ半歩近づく。
「あたし、次はちゃんと疑うから」
「……何でも疑うと、疲れちゃわない?」
「じゃあ、変なのだけ、りんも手伝って」
わたしはうなずいて指先をひもから離す。
明日から見るものまで、偽物かどうか考え続けるのは嫌なんだよね。
このクジラや、ことりの撮る写真みたいに。
舞人くんがスマホをしまって話に加わる。
「松本にも、そう言ってやってよ」
葵がまっすぐに舞人くんを見る。
「言うよ。帰ったらね」
「うん、頼む」
返事の最後が、車の通る音に重なる。
向かいの歩道へつい目を向けても、銀色の髪は、人の中に見当たらない。
探してる場合じゃないって、わかってるけど。
せめて連絡先くらい、教えてくれたらいいのに。
*
ことりが駅前の休憩用のベンチを見つける。
いったん座ると、足の裏がじんとする。
朝からほとんど座ってなくて、教室の椅子にいたときも、腰が浮いていた気がする。
「先に、お昼を少し食べよ」
「おれは、あとでいい」
舞人くんがポケットからスマホを出すと、葵はその前へ、買ったパンを差し出す。
「あとでおなか鳴ったら、松本に笑われるよ」
「そういう言い方、ずるいだろ」
舞人くんはパンの包みを受け取る。
わたしも手渡された温かいお茶を、空っぽのおなかに、少しずつ流し込む。
いつもの牛丼なら、もっと食べられるかな?
考えても、今日は玉ねぎの味が浮かばない。
「りん、お母さんに連絡した?」
「うん、学校からも話してくれてる」
家からの短い返事には、どこにいるかと、1人になっていないかという質問がある。
わたしは今の場所と4人の名前を返す。
松本くんの家では、こんな返事を待ってる。
たった1行、今帰るとあればいいのに。
葵はパンを半分にして、残りを袋へ戻す。
舞人くんは飲み物をまだ開けずに、ふたの縁だけを、指で何度もなぞってる。
「舞人くん、ちょっと……いい?」
すぐそばの自動販売機を指したわたしは、葵とことりに、飲み物を選びに行くと言う。
ベンチから離れて機械の横で止まる。
声が届かない距離まで、たった数歩なのに。
友達に背を向けると、肩が重くなる。
「矢崎さん、あの人に荷物を運んでたんだね」
わたしの小声にうなずいた舞人くんは、通りを歩く人がいないことを見てから答える。
「少なくとも、店を作るのは手伝ってる」
「中で、何をしてたかも知ってたのかな」
「それは、まだわからない」
舞人くんが開けたペットボトルのふたの音が、やけに大きく耳へ入る。
わたしの手の中のお茶はぬるくなっている。
「同じ人間なのに、って思っちゃった。魂を取られるの、怖くないのかな」
わたしは販売機の値段を見つめたまま話す。
「怖いから、ほかの人を……とか」
舞人くんはそこで言葉を止める。
続きはわたしにもすぐに浮かぶけど、口に出すと、本当になりそうで嫌だ。
誰かの代わりに、松本くんがいるなんて。
「まだ決めつけるなって、言われそうだけどさ。本人に、何をしたんだってききたい」
舞人くんがボトルを握った手を下ろす。
「……わたしも、ききたい」
答えてくれる相手なのか、わからないけど。
写真と名前だけじゃ、居場所は出てこない。
わたしはスマホの画面をもう一度開く。
火曜日に助けた岸くんの、お母さんとのやりとりが残っている。
大人を通してなら、話を聞けるかも。
「あの子、練習場の中は見てるよね」
「岸か……そうだな」
「怖かったら、無理にはきけないけど」
舞人くんがそこでようやくお茶を飲み、ボトルを下ろすと、顔に色が戻る。
「まず先生に、連絡してもらおう」
わたしたちは2人の待つベンチへ戻る。
袋を抱えたままこちらを見ていた葵は、視線が合うと、パンを1つ持ち上げる。
「売り切れるよ、お昼の部」
「……あと1つ、もらってもいい?」
「もちろん、りんの分なんだから」
秘密の話をしたあとでも、空いた同じ席にわたしは座る。
戻っても当たり前に袋を開けてもらえて、すごくほっとしてしまう。
でも……安心したって言ったら、変だよね。
2人は、席を立った理由も知らないんだもん。
*
返事を待つ間にことりが送り直す写真には、撮った日と場所が、1枚ずつ短く添えてある。
先生からはすぐに質問が返ってくる。
『倉庫の写真を撮った道を、地図で教えて』
車がいたのは建物の裏側で、正面から行っても、同じ場所には出られない。
「そこは左。そのあと細い道へ右」
ことりがたどってくれた角に、わたしは印をつけて送る。
「名前がある場所でも、入口は別なんだな」
舞人くんが画面をのぞいてそう言う。
わたしはスマホを膝へ置き、黙って座る。
松本くんも、今何かを伝えたがってるかな?
場所でも、目印でも、いつもの軽口でもいい。
わたしたちに届くものが、何かあればいいのに。
逸見先生からの連絡が届く。
岸くんのお母さんは話を聞くことを了解してくれて、本人も、松本くんのことが心配だという。
待ち合わせは向こうの駅に近い集会室で、保護者の人が借りている部屋を使うらしい。
「……よかった、電話だけじゃないんだ」
わたしが言うと、葵はスマホをしまう手を止める。
「電話だと、緊張する?」
「それも、ちょっと……あるけど」
顔色を見て、まだつらそうなら無理をさせずに話したい。
それにわたし自身も、火曜日に座り込んだ子が元気でいるところを、見たいんだよね。
「場所は、電車で2駅だね」
ことりが画面を見ながら、立ち上がる。
その前に、別のメッセージが舞人くんへ届く。
部員が見つけたというスポーツ店の古い紹介記事に、矢崎さんの名前が載っている。
「これ、前に松本が見せてきたやつだ」
舞人くんは歩道の端で足を止める。
わたしたちも、すぐ横に並んで画面を見る。
写真の矢崎さんは子供たちと一緒で、小さな足に、靴のひもを結んであげている。
「いい人そう、だね」
言ってから葵が口を曲げる。
ことりは写真の下の文章を、ゆっくり読む。
「練習に来た子の保護者が、書いた紹介みたい」
「松本、足の向きを教えてもらったって言ってた」
舞人くんの親指が画面の途中で止まる。
練習したことまで全部嘘じゃなくて、あの人に会えてよかった日も、あったんだね。
「……ちゃんと、帰ってきてほしい」
声にすると、鼻の奥が少し熱くなる。
わたしはスマホから目を離して前を見る。
電車の到着を知らせる音が駅から聞こえる。
歩き出せないわたしの隣で、葵のクジラが金具を鳴らす。
わたしはその音と一緒に歩き出す。
今度は、松本くん本人に会いに行きたい。
*
「この前は、ありがとうございました」
借りている集会室にはお母さんも一緒にいて、入口の岸くんが、わたしたちに頭を下げる。
わたしは靴を脱ぎかけたまま、あわてて頭を下げる。
あっ、先に脱いでからにすればよかった!
片足がつっかえて、舞人くんの肩につかまる。
「大丈夫か、間宮」
「う、うん……ごめん」
ようやく片足が抜けると岸くんが笑っていて、火曜日には見られなかった、普通の笑顔だ。
わたしは靴をそろえてようやく部屋へ入る。
足を引きずることもなく、岸くんが先に歩く。
よかった。
本当に、自分の足でしっかり歩けてるんだね。
「疲れたら、途中でやめていいからね」
お母さんがそう言って、岸くんの横に座る。
わたしたちが向かい側の椅子に腰を下ろすと、机には、お茶と小さな時計が置かれている。
「松本先輩、まだ見つからないんですか」
「うん、それで、練習会のことをききたくて」
舞人くんがいつもより声を落とす。
岸くんは自分の膝の上へ手を置く。
葵が身を乗り出しかけて、それからお茶を持つ。
入口で笑っていた顔がもう下を向いていて、わたしも、出そうになった質問を飲み込む。
「話す順番、前後するかもしれません」
「うん、わかんなくなったらきくから」
葵が答えると、岸くんの唇がわずかに緩む。
ことりが机に出したのはメモ帳だけで、写真を撮ったり、録音したりはしていない。
わたしもスマホを伏せ、岸くんの声を待つ。
「最初は、駅の近くの店の前に集まったんです。何人かと一緒に車に乗って……教えてくれるのは矢崎さんで、助手席には、大きなスポーツバッグがありました」
岸くんは机の縁を見つめながら話し始める。
「窓から、外は見えてた?」
「見えてましたけど、あんまり覚えてなくて」
舞人くんがうなずいて言葉の続きを待つ。
岸くんは申し訳なさそうに肩をすくめる。
「スマホで、前の練習の動画を見てたんです」
「そっか、帰りはどうだった?」
「帰りは、気持ち悪くて……外を見てません」
わたしは膝の上で自分の指を重ねる。
行った場所を覚えてないのは、変じゃないよね。
知らない道ならわたしだってすぐ迷っちゃうし、まして、車の後ろに座ってるだけならね。
「途中で、お金を払う門とかはあった?」
葵が、メモ帳の角を見ながらきく。
岸くんは返事を探して考え込む。
「橋は……渡った気がします。でもどの橋か」
「うん、そこはわからないって書いておくね」
ことりが、短い言葉をメモ帳へ書き込む。
地図の上で決めてしまわないことがうれしくて、わからないなら、無理に答えなくてもいいんだよね。
岸くんの指が膝の上で少しほどける。
「着いた場所は、陸上の競技場でしたか」
わたしがきくと岸くんはゆっくりうなずくけど、すぐに、その首の動きが小さく止まる。
「……だと思ってたんです、あのときは」
「どうして、そう思ったの?」
「走るところがあって、上に屋根もあったから」
岸くんは、指先で机に丸い形を描く。
「体育館みたいに全部が壁じゃなくて、隙間から外が見えるところと、見えないところがありました。どっちも、走る道のすぐ横です」
「トラックの、内側に数字があったんです」
岸くんの人差し指が、机に小さな丸を書く。
数字は0でほかのレーンにはなかったというから、噂で聞いた、あの第0レーンそのものだ。
背中を嫌な感じがすっと通る。
「そこを走ると、速くなるって言われた?」
「はい、普通の道だと気持ちが戻っちゃうって」
岸くんは、お茶のふたを少しだけ回す。
話を聞くお母さんの手が、机の上で止まる。
松本くんのノートを思い出すと、学校で記録が出ない理由まで、それにされるんだと思う。
「松本先輩は、何回走ったかきいてくれました」
「岸に?」
「はい、同じところを、何周したかって」
舞人くんが身を乗り出すと、岸くんは、さっきよりはっきり顔を上げる。
「速くなったって言ったら、よかったなって」
その返事が、松本くんの声で聞こえた気がする。
舞人くんの口元も緩む。
岸くんは、お茶をひと口飲んでから続ける。
「でも、足音が変だねって話してたんです」
わたしの指が膝の上でぴくっと動く。
足が地面に着いてからあとでついてくる、あの火曜日の音が、耳の奥によみがえる。
あの場で聞けたことを、口には出せない。
「後ろに、誰かいるみたいな音?」
舞人くんの問いに、岸くんがすぐうなずく。
葵とことりも、お互いに顔を見合わせる。
噂だけなら学校でも聞いている言葉だ。
「でも、振り返るなって言われてたから」
「振り返ったら、どうなるって?」
「気が散ると止まる。止まったら死ぬって」
机の上の時計がかちっと小さく鳴る。
ふたを持つ岸くんの手が止まってしまうと、お母さんが、そっとその手の横へ触れる。
わたしは自分の椅子を引き寄せる。
「……怖かったよね、それ」
岸くんがうなずくまで、誰も話を続けない。
時計の針だけが、同じ音を何度も立てる。
早くききたいのに、今は待っていたい。
わたしにできるのは、そのくらいなんだよね。
岸くんが机の上へ置き直した両手の、指先には、今日は赤みが見えている。
火曜日の冷たい手をわたしはまだ覚えてる。
元気そうでも、聞くだけでつらくなることはある。
「倒れた子を、見たことがあるんです」
レリ・マハーシーヴァ エンディングテーマ「ここにある」
https://youtu.be/RXc36LRIwuI




