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レリ・マハーシーヴァ  作者: JING
青いクジラと第0レーン
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11/19

第11話 止まった人の話

レリ・マハーシーヴァ オープニングテーマ「まなざしのマントラ」

https://youtu.be/6FmwM8nEabA

 わたしは、椅子から体を起こして耳を傾ける。


 岸くんの隣でお母さんが小さく息をつく。


 倒れた子の話は、家でも一度聞いているらしい。


「途中で休みたいって、壁につかまった子がいて」


「練習をやめたの?」


「止まったら、膝から落ちちゃったんです」


 岸くんは言葉を切って両手を膝へ下ろし、指先で、ズボンの縫い目をゆっくりたどる。


「呼んでも、ちゃんと返事をしなくなって」


 ことりのペンが止まる。


 葵は唇を結び、わたしも、岸くんの顔から目をそらせなくなる。


 火曜日もそうだったよね。


 岸くんが座った直後も、呼びかけた声がなかなか届かなかった。


「矢崎さんが、早く立たせろって言ったんです」


「休ませなかったの?」


 葵は強くなった声をすぐに抑え、岸くんは顔を上げて、わたしたちを順に見る。


「肩を持って、また走るように言われました」


 机の下で舞人くんが手をぎゅっと閉じ、わたしは、その指が白くなるのを見てしまう。


 走らせて、どうなったの?


 きくのが怖い。


 でも、知らないままにはしておけないんだよね。


「その子、あとで帰れたんですか」


「その日は、お母さんが駅で待ってると言われました。矢崎さんが、車で駅へ戻すって」


 岸くんの答えに、詰めていた息が戻る。


 ただ、その子がどうなったのかは、岸くんも見ていないらしい。


「止まると、ああなるって思ったんです」


 細くなっていく岸くんの声を聞き、お母さんが、一度だけ時計を見る。


 わたしたちは少し休もうと席を立つ。


 葵が集会室の入口にある小さな流しへ行き、わたしも、飲み終わった紙コップを隣で重ねる。


「聞いてるだけで、腹が立ってくる」


 葵の声は流れる水より小さい。


「でも、あの子に怒ってるんじゃないもんね」


「うん……わかってると思う」


 わたしの返事に葵は水を止め、濡れていない手まで、タオルで拭きかける。


「もうちょっと、待ってからきく」


 自分の指を見ながら言う葵の隣で、わたしは、洗い場に置いたカップを裏返す。


 いつも使ってる物なのに、今日は妙に軽いんだね。


 あんなものへ数字を書いている松本くんが、頭に浮かぶ。


「岸くんが、話してくれたから……わかったよ」


「うん、話してくれてよかった」


 葵がタオルを畳んで、部屋のほうを見る。


 岸くんはお母さんから小さなお菓子を受け取るけど、袋の端が、うまくちぎれない。


 開けてと頼んで、普通に笑ってる。


 その笑い方を、わたしはしっかり覚えておく。


「動画、見ますか」


 席へ戻ると、岸くんがスマホを出し、お母さんに目で合図してから画面を開く。


 練習会のとき、自分で撮ったものだという。


 ことりが椅子をずらし、全員に見えるようにする。


「撮っても、怒られなかったんだ」


「走る形を見るために、1周だけ撮っていいって」


 岸くんが画面を押すと赤い道が現れ、その外側を、白い柵がずっと囲んでいる。


 柵の柱には『1周200m』と書いた板がかかってる。


 近づいた走者が画面の中を右へ通り過ぎ、追いかけるスマホの動きで、背景が大きく揺れる。


「ごめんなさい、下手で」


「ううん、走ってる人を撮るのって難しいよ」


 ことりの言葉に岸くんの顔が緩み、わたしは、画面の端にある建物を見つめる。


 細長い屋根の下に、暗い四角が見える。


 扉かな?


 それとも荷物を運ぶ入口なのか、遠くて、そこに人が立っているかもわからない。


 低いエンジンの音に続き、車の扉を閉めるような音が聞こえる。


「……待って、今のところ」


 ことりの声で岸くんが再生を止め、わたしたちも、画面の端へ顔を近づける。


 走る人だけがぶれて、背景には屋根が残ってる。


「その入口のところ、車が来てた?」


「たぶん……荷物を下ろしてたと思います」


「動画、少しだけ戻してもいい?」


 岸くんからスマホを受け取ったことりが横に座り直し、音を聞くために、同じところを再生する。


 やっぱり近い。


 エンジンの音は、思わず集会室の窓を見てしまうくらい、すぐそばで響く。


「遠くに見えるのに、車の音が近いんだね」


 ことりが画面と窓を交互に見ている。


 葵は片耳を近づけ、短く首をかしげる。


「屋根の下って、音がよく響くとか?」


「それもあると思う……でも、扉を閉める音も」


 ことりは決めつけず、もう一度再生する。


 岸くんが画面の左側へ指を近づける。


「そっちにも、車がいたのかもしれないです」


「そうだね、映ってないところはわからないね」


 舞人くんと、一瞬だけ目を合わせる。


 音は近いのに、見えているものが遠い。


 布の壁みたいに何かが隠れてるのか、それとも、見えるもの自体が変なのかな?


 ここでは言えないけど。


「この屋根、今も同じ形だったら目印になるよ」


 ことりが指でなぞる入口の上は、屋根の端だけ低く折れ曲がり、下に縦の柱が並んでいる。


 わたしも同じ形をメモ帳へ描いてみる。


「りん、それは建物?」


 のぞき込んだ葵が、すぐに口元を押さえる。


 屋根のつもりが、鳥の開いたくちばしに見える。


 わかってるよ、わたしだって見えてるんだから!


「ことり、写真のほう、残してくれる?」


「うん、りんは場所の説明を書いておいて」


 役目を替えてもらって文字を書き始めると、岸くんが、ちらちらとわたしの絵を見ている。


 文字なら誰にでも同じように見えるのに、絵だと、笑っていいか困らせちゃうんだね。


「……鳥じゃないからね。先に言っておくね」


「わかってます、たぶん」


 葵がとうとう吹き出し、つられて岸くんも笑う。


 わたしの絵でも役に立つんだ。


 できれば、違う使い方がよかったけど。


「あと、松本先輩と話してた子がいました」


 岸くんが笑いをおさめて切り替えた短い動画には、給水用の机が写っている。


 細い脚の男の子がその前を横切り、ほんの一瞬、こちらを向く。


「これ、森田じゃないか」


 舞人くんが身を乗り出して画面を見る。


「うちの1年だ。松本が道具を教えてた」


「はい、松本先輩を呼んでました」


 岸くんが動画を止める。


「ノートに書いてあった1年って、この子かな」


 葵が、舞人くんの持つコピーを指で示す。


 同じ学校にいても毎日の帰り道まではわからなくて、わたしは、画面の小さな顔を見直す。


「この子も、昨日行ってたのかな」


「おれ、部の連絡に名前がないかきく」


 舞人くんが席を外して廊下へ向かい、わたしは、画面の中でバッグを直して誰かへ手を振る森田くんを見つめる。


 松本くんが引き返した理由は、この子なの?


 まだ返事のない電話が、急に怖くなる。


     *


「相沢くんにも、きいてみましょうか」


 岸くんのお母さんが、連絡先の画面を開く。


「前に練習会へ来ていた高校生なの。具合を悪くしたと聞いて、お母さん同士で連絡したことがあるのよ」


 わたしは椅子に座り直して、背筋を伸ばす。


 高校生と聞くだけでちゃんとした人に思えるけど、ほんの数年しか、違わないはずなんだよね。


「本人がよければ、少し話してもらえるそうです」


「ありがとうございます、お願いします」


 戻ってきた舞人くんと、わたしたちも頭を下げる。


 森田くんのことは学校へ伝えたと聞き、その返事も待ちながら、机の上へスマホを置く。


 先に保護者へ今の状況を説明すると、電話の声が、若い男の人へ替わる。


『相沢です。松本くんの友達?』


「はい、同じ陸上部の弥勒です」


『ああ……前に話したこと、あるかもしれない』


 明るくしようとしていても、声はかたい。


 舞人くんが話せるところだけでと伝えると、相沢さんは短く返事をして、順番に話し始める。


『おれは、途中で足が動かなくなったんだ』


「走るのを、やめたときですか」


『その前から変だった。足だけ重くなって』


 机の上の時計がまた小さく鳴り、岸くんは、両手をお母さんのほうへ寄せる。


 部屋には相沢さんの声だけが広がっていく。


『休んでいいって言われてたのに、休めなくてさ』


「止まるなって、言われましたか」


『うん、最初はフォームが崩れるって話だった。それが、あと1周だけとか、せっかく速くなれたんだからとか……』


 ことりが、聞き取った言葉を書いていく。


『気が抜けたら取り返しがつかなくなるって。最後は、止まったら死ぬって言われたんだ』


 そこまで言われたの?


『おかしいと思ったよ、思ったけど』


 相沢さんの声がかすれ、わたしは、持っていたペンを机へ置く。


 ペン先を見ていると、話してくれる人から顔をそらしてるみたいだから。


 ……見えないのにね。


『目の前で、膝をつくやつを見ちゃうとさ』


「……怖い、ですよね」


 短く空いた間に、わたしは肩を固くする。


 声を挟んでよかったのかな?


 相沢さんは、うん、と小さく答えてくれる。


『おれも止まったら、返事ができなくなった。呼ばれてるのに声を返す力も出なくて、目の前に人がいるのに、顔も上げられなかった』


 ことりのペンが、机の上でゆっくり動く。


 岸くんのときより、もっと深く体が動かなくなったんだね。


『母親が、駅の集合場所で待ってたんだ』


 その言葉に、お母さんが岸くんの肩へ触れる。


『矢崎さんの車で駅へ戻る間も、立つ力が戻らなくてさ。それなのに、着いたら自分で歩けって言うんだ』


 わたしは電話から目を離せない。


『母親が止めて、その場で救急へ連絡してくれた。歩けないのが見えないのかって、すごく怒ってた』


 話す本人の声も、少しずつ強くなる。


「そのあと、すぐ立てたんですか」


『ぜんぜん。座るのだって支えてもらってた。救急へ電話してる途中でやっと指が動いて、それからも、すぐには歩けなかったよ』


 わたしは岸くんの顔を一度だけ見る。


 岸くんは数分で返事がはっきりしてきたけど、相沢さんは、もっと長く動けなかったんだ。


『でも、走れとは言われなかったよ』


 そこだけ、声がはっきりする。


『おれはずっと、止まってて平気なのかきいてた』


 返しかけた言葉を、いったん飲み込む。


 平気だったから今話してくれているんだとわかっても、怖いときは、何度もききたくなるよね。


「病院にも、行ったんですよね」


 葵がきくと、相沢さんはそうだと答える。


『休んでたら回復して、今は学校にも通ってる。あの練習会には、もう戻るつもりないけど』


 学校へ行けてるんだね。


『松本くん、あいつの言うこと信じてる?』


「おかしいって、気づいてました」


 舞人くんの答えがいつもより早い。


「もう行かないって、おれには言ってました」


『そっか……じゃあ、早く見つけてあげて』


 電話の向こうで誰かに呼ばれ、相沢さんは、待ってと声を離す。


 それからもう一度、こちらへ話しかけてくる。


『倒れてたときのこと、話してもいいから』


「はい、先生たちにも伝えます」


『あの練習、続けなくても戻ったから』


 わたしは、メモ帳の空いているところに書く。


 走らずに、休んで、戻った。


 短い言葉なのにペンを持つ手に力が入り、電話が切れるまで、書いた文字をずっと見ている。


 岸くんがスマホの画面を消して机に置くと、話す前よりも、疲れているように見える。


 わたしたちはメモ帳を閉じて帰る用意を始める。


 もう1つだけって、質問を増やさないようにね。


「動画は、先生に渡してもいいですか」


 ことりがきくとお母さんは岸くんを見て、岸くんもうなずき、自分で送信先を選ぶ。


 その指を見て、わたしはようやく肩の力を抜く。


 自分で動かせてるんだ。


「……ほんとに、元気になってよかった」


 つい言ってから、顔が熱くなる。


 今の言い方、お母さんみたいだったかな?


 岸くんはスマホを持ったまま笑ってくれる。


「火曜日、止めてくれてありがとうございました」


「ううん、あのときは……わたしも怖かったよ」


「そうだったんですか」


 岸くんが驚くので、こくりと首を動かす。


 1人だったら、どうしていいかもわからなかったもん。


 舞人くんが支えてくれて、電話の声も聞こえていたけど、返事が戻るまではずっと怖かったよ。


「返事してくれたとき、すごく安心したんだ」


 岸くんはまぶしそうに目を細めてうなずく。


 靴を履くわたしたちを入口まで見送り、帰りの挨拶をすると、最後に舞人くんを呼ぶ。


「松本先輩に、伝えてもらっていいですか」


「おう、何?」


「もう走っても平気です。でも、あそこへは行きません」


 舞人くんは履きかけの靴を足へ押し込み、立ち上がってから、岸くんの顔をまっすぐ見る。


「わかった、ちゃんと伝える」


「あと、心配かけてすみませんでしたって」


「それは、今度自分で言ってやって」


 岸くんが驚いて、それから笑顔になる。


 スマホを見た舞人くんが、学校から届いた返事を読み上げる。


「先生が森田の家に連絡したって。矢崎さんから泊まりの練習会だって説明されてて、土曜の夜に帰る予定だったらしい」


 それで、家の人はまだ練習中だと思っていたんだ。


「今は森田の家族も、連絡を取ろうとしてるって」


 わたしは先に外へ出て、扉を押さえて待つ。


 部屋の時計は、もう14時を回っている。


 こんなにたってたんだ。


 早く、どこにいるのか知りたい。


     *


 駅へ戻る途中、少し先を歩く葵とことりは、メモを見ながら屋根の形を話している。


 わたしと舞人くんは横断歩道の手前に並び、周りに人がいないのを見て、声を落とす。


「止まったら死ぬって、本当じゃないよね」


 舞人くんは遠くの信号へ目を向けてうなずく。


 車が通るたびに話すのをやめ、わたしは、さっき書いたメモ帳を握り直す。


「岸くんも、相沢さんも、走るのをやめてる」


「すぐには動けなかったけど、戻ってる」


 その言葉に火曜日を思い返す。


 遅れた足音が手足の動きと合わなくなっても、座ってからは、だんだん声が出るようになった。


 あれは、走れなくなって悪くなったんじゃない?


「離れかけたアートマが、戻ってたのかな」


 口に出すと、すごく頼りない考えに聞こえる。


 体の中を見たわけじゃないもんね。


 でも、目の前で元気になっていったのは本当だ。


「おれたちが止めたあと、ちゃんと返事できるようになっただろ」


「うん……相沢さんは、もっと長くかかったけど」


「走った時間も、岸とは違うのかもしれない。わからないけど」


 舞人くんはすぐに付け足す。


 わたしも、メモ帳に時間の数字は書かない。


 何分待てば平気かなんて、決められないよね。


 あのときだって、時計だけを見て返事を待っていたわけじゃないんだから。


「止まった子を見て、また走らせたんだね」


 自分でも嫌なくらい、かたい声になる。


 動けなくなった子を目の前で見たら、怖くて、言われたことが本当だと思ってしまうよ。


 岸くんが膝を見た顔を、もう一度思い出す。


「逃げるときも、ずっと走ればいいと思ってた。走るのは得意だから、追いつければって」


 舞人くんが肩にかけたバッグを直す。


 速く走れる人なら遠くまで逃げられそうで、その気持ちは、わたしにもわかる。


 でも、松本くんの足まで速くなるわけじゃない。


「途中で動けなくなったら、どうする?」


 きいてから、自分の声に立ち止まる。


 舞人くんは答えず、手のひらを一度開く。


 信号が青になって葵たちが先へ進み、わたしたちも、足を出して横断歩道を渡る。


 反対側の歩道へ着くまで言葉が出てこない。


「……止まれるところを、探す」


 こちらへ向いた舞人くんの視線を感じるけど、言った自分も、はっきりとは想像できていない。


 今は場所そのものも見つかってないんだから。


「休めるところで、返事が戻るまで待てたら」


「その間、近づかせなければいいんだな」


 舞人くんの声が、さっきより落ち着く。


 わたしはうなずいて前の2人に追いつき、葵が振り向いて示す、駅までの道を見る。


「さっきの動画、どこかに同じ屋根ないかな」


「……探そう、もう一度」


 メモ帳を開くと、失敗した屋根の絵がある。


 鳥みたいでも、そこに入口があることはわかる。


 松本くんが安心して止まれる場所を、見つけたい。


レリ・マハーシーヴァ エンディングテーマ「ここにある」

https://youtu.be/RXc36LRIwuI

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