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レリ・マハーシーヴァ  作者: JING
青いクジラと第0レーン
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8/19

第8話 松本くんが帰らない

レリ・マハーシーヴァ オープニングテーマ「まなざしのマントラ」

https://youtu.be/6FmwM8nEabA

 わたしはスマホを持ったまま、布団を跳ね上げる。


 画面の文字は何度読んでも変わらない。


 松本くんが、帰っていない。


 ……え?


 昨日、校門で手を振っていた人の名前を見つめたまま、わたしは舞人くんへすぐ電話をかける。


「舞人くん……帰ってないって、いつから?」


『昨日の夜から。お母さんが、部の連絡先にきいてる』


 電話の向こうでファスナーを閉める音がするのは、舞人くんも、今から出かけるところだからかな?


 目覚まし時計で確かめると、いつもの土曜日なら、まだ起きない時刻だ。


『警察にも、もう話してるって』


「先生は……知ってるの?」


『うん、学校にも連絡が入ってる。今から行く』


 わたしはベッドから降り、机の椅子に膝をぶつける。


 痛いのに気にする余裕がない。


 クローゼットの前で、何を着るのか迷ってしまう。


「わたしも……行っていい?」


『うん、昨日の帰りに会ったんだろ』


「会った、普通に……話したよ」


 声が途中で細くなり、最後は息だけになる。


 普通だったのはわたしが見た数分だけなのに、そのあとも同じだと、勝手に思ってたんだ。


 舞人くんが何か言いかけて、間を置く。


『間宮、家の人にはちゃんと言ってきて』


「……うん、舞人くんもね」


『言った。先生のところへ行くって』


 電話を切ると廊下からお母さんの声がして、わたしの部屋の物音を聞いて、来てくれたらしい。


 ドアを開けると思いついた順に話してしまう。


 お母さんはすぐ答えず、わたしの顔を見ている。


「りん、今、わかってることを順番に言って」


「松本くんが、昨日から帰ってなくて……」


 最初の文を言い直すと少し声が戻り、先生のいる学校へ行くことも、続けて話す。


 お母さんはスマホを持ち、連絡先を見ながらうなずく。


「学校へ行くのね。ほかへ動くときは必ず連絡して」


「うん、わかった」


「1人で探し回らないで。まず、先生に会ってね」


 返事をしたわたしはバッグに財布を入れ、充電の線を外してから、残量を見直す。


 お母さんが水筒を持ってきて、飲み口についた水を拭く。


 受け取ったわたしが言葉に詰まっても、お母さんは返事を待たずに、玄関の鍵を手渡してくれる。


「朝ご飯、少しでいいから食べていきなさい」


「今、あんまり……」


「途中で倒れたら、話もできなくなるよ」


 わたしは食卓へ向かって椅子を引く。


 急いで食べたパンはほとんど味がしなくても、水を飲むと、のどに声が通りやすくなる。


 玄関で靴を履きながら、葵とことりへ連絡する。


 2人とも、いつもよりずっと早く返事をくれる。


 わたしはスマホを握り、学校への道を急ぐ。


     *


 校門の横で先生と話していた舞人くんは、わたしを見ると、途中で言葉を止めて手を振る。


 逸見先生が足元へ一度目をやるので、どうしたんだろうと見れば、靴ひもが片方長い。


「あわてて来たのね。まず結んでおこうか」


「あ……はい、すみません」


 しゃがむと、指が思うようにひもをつまめない。


 先生は立ったままわたしが結ぶのを待っていて、舞人くんも、先を急かしたりはしない。


 結び終えると、先生が校舎の入口を指す。


「お母さんが来てるから、知ってることを話してくれる?」


「わたし、昨日の帰りしか……」


「そのときのことを、そのまま教えて」


 わたしはうなずいて2人のあとを歩く。


 部活へ来た子の声が響く土曜の廊下では、いつもと同じ靴箱も、今日は遠く感じる。


 借りた空き教室の扉は半分だけ開いていて、中で椅子が動くと、松本くんのお母さんが立つ。


 昨日の松本くんと目の形が似ている。


「間宮さん? 帰りに、会ったのよね」


「はい……校門で、少しだけ」


 バッグを置いて椅子の前に立ったわたしは、座っていいと言われて、やっと腰を下ろす。


 何時だったかスマホの履歴を見て答える。


 駅でお母さんへ、今から帰ると送った時刻が、すぐ下に残っている。


「この少し前です。話したのは、1分くらいで」


「どこへ行くって、言っていた?」


「ううん……あ、いいえ、聞いてません」


 絵の話と、またねと手を振ったことを話す。


 どこか具合が悪そうだったかとも、きかれる。


 わたしは別れる前の松本くんを思い浮かべる。


「わたしが見たときは、普通に笑ってました」


 お母さんがうなずき、膝の上で指を重ねる。


 聞きたかったのは、こんな答えでよかったのかな?


 でも、見ていないことは言えないよね。


 舞人くんは、隣の椅子で背筋を伸ばしている。


「矢崎さんのところには、行かないって言ってました」


「そう。家でも、一度はそう話していたの」


 お母さんがカバンから取り出した折りたたんだ案内には、集合場所と時刻が、画面から印刷されている。


 わたしは昨日までの会話を頭の中でたどる。


 あの約束のあと、何が変わったのかな?


「矢崎さんには、連絡がつきましたか」


 先生がきくと、お母さんは紙を机に置く。


「来たけど、すぐに帰ったって……それだけで」


「帰った時刻は、言っていました?」


「夜の7時より前だそうです。そこから先は知らないと」


 舞人くんの指が膝の上でぎゅっと曲がる。


 どうして戻ったのか、誰かに呼ばれたのかと、わたしにもききたい言葉がいくつも浮かぶ。


 それを今、松本くんのお母さんにきいても困らせる。


 先生がメモを取って学校側の連絡を整理する間に、お母さんは、家での連絡について話す。


「昨夜から知り合いにも電話をかけていて……警察には、この集合案内と、着ていった服も伝えてあります」


 わたしたちが知らない間に、みんな動いている。


「駅へ歩いているのを、見た人もいるそうです」


 舞人くんが椅子を先生のほうへ向ける。


 駅なら帰れるはずだとわたしも思ってしまうけど、どの電車へ乗ったのかは、まだわからない。


 わかっているのは、駅へ向かう道にいたことだけ。


「おれに、連絡が来てないんです。いつもなら、何か言うんだけど……」


 声が小さくなる舞人くんの顔を見て、お母さんが、膝に置いた手をほどく。


「ありがとう。うちの子のこと、そう思ってくれて」


 舞人くんは唇を結び、机の端を見る。


 わたしは何も言えずにその隣にいる。


 絶対に大丈夫と、言ってしまいたくなる。


 でも、それは松本くんの代わりに言えない。


 今は、帰るための手がかりがほしい。


 お母さんがカバンから取り出した薄いノートは、表紙の角が折れていて、端には砂がついている。


「これ、最近の練習を書いてるノートなの」


 舞人くんの手が伸びて途中で一度止まると、お母さんが、開いていいと目で合図してくれる。


 わたしも椅子を寄せ、一緒にページをのぞく。


 タイムと日付が同じ細い字で並び、ところどころに丸があったり、消した線もある。


「あ……これ、紙のメモを写したのかな」


 水曜に見せてもらった折りたたんだメモを思い出す。


 松本くんはあの数字を日付ごとにまとめている。


 舞人くんが指すところを、わたしも目で追う。


『同じペースのつもりなのに、歩数が少ない』


 隣に小さく書かれた別の日の回数とは、比べるためなのか、線で結ばれている。


『200m、短くないか』


 わたしはそのひと言から目が離せなくなる。


 ただ速くなって喜んでいたんじゃなくて、自分で何度も、変なところを探してたんだね。


 舞人くんのページをめくる手が速くなる。


「最後、ここ……」


 丸で囲まれた時刻の下に、別の文字がある。


『1年、集合18時30分、先にきく』


 それだけでは誰のことかわからないけど、岸くんのことかなと、わたしは考える。


 でも、曜日が違うという話も聞いている。


 勝手につなげず、先生へノートを向ける。


「ここの1年って、誰のことか……わかりますか」


「今のところ、わからないわね。部にもきいてみる」


 関係する紙が少しずつ並んだ机に水筒を置きかけて、わたしは、急いで端へずらす。


 ここを濡らしたら、絶対にダメだよね。


「ノート、ここに置いていって大丈夫ですか」


 お母さんは先生へきいて次の連絡先を見ると、警察へ戻って、追加の話をするという。


 先生はお母さんの許可を得て、必要なところだけ写し、原本を返す。


 わたしたちの前にはコピーが残される。


 お母さんはそれを見てから、舞人くんへ向き直る。


「何か思い出したら、先生に伝えてくれる?」


「はい……すぐ、伝えます」


 舞人くんが立つと、わたしも椅子から立ち上がる。


 お母さんが教室を出るまで、2人で頭を下げる。


 廊下の足音が遠ざかり、先生の電話が鳴る。


 わたしは机の上でコピーの端をそっと伸ばす。


 この字を書いた人を、迎えに行きたい。


     *


 葵とことりが来るころには、廊下の声が増える。


 陸上部の生徒も、先生に呼ばれて集まってくる。


 みんなが同じことを知っているわけじゃなくて、松本くんの名前を聞いて、初めて驚く子もいる。


 葵は教室に入ると、まっすぐわたしのところへ来る。


「りん、何かわかった?」


「練習会から、帰ったって話はあるんだけど……」


「まだ、本人には会えてないのね」


 わたしがうなずくと、葵はバッグを椅子へ置く。


 ことりは先生に挨拶して空いている机を借り、持ってきたメモ帳を開いて、時刻を書き始める。


 聞こえたことを全部決めつけるわけじゃない。


「ここ、見た人が違うから、分けて書いていい?」


「うん……一緒にすると、途中もいたみたいになるね」


 わたしは言いながら紙の間に隙間を空ける。


 校門と練習会と駅は、同じ時刻の話じゃない。


 舞人くんは隣の机で、部員と話している。


「昨日、部活のあとに連絡来たやつ、いる?」


 何人かが自分のスマホを見て首を横に振り、いないとわかるたび、舞人くんの肩が下がる。


 わたしは紙へ目を戻し、同じ字を読み直す。


 そのとき入口へ顔を出した1年生の男の子は、呼ばれて来たらしく、先生を探している。


「昨日、松本先輩と……話したんですけど」


 葵が椅子を引いて男の子のほうへ近づく。


 わたしも立ちかけて、膝を机にぶつける。


 今日は、家具の角と仲が悪すぎるよ……。


「どこで? 何時? 何か言ってた?」


 葵の質問に男の子の口は半分開くけど、すぐには声が出なくて、目が先生のほうへ動く。


 葵は答えを待てず、もう1つききかける。


「練習会のこと? 一緒に行ったの?」


「いえ……ぼくは、行ってなくて」


 男の子はバッグを抱え直し、胸の前で動きを止める。


 わたしにも見覚えのある固まり方で、質問が重なると、最初の答えまで飛んでしまうんだよね。


 ことりが椅子を引き、入口から少し横へずらす。


「ここ、座れるよ。先生もすぐ戻るから」


 男の子がその椅子の背へそっと手を添える。


 葵も1歩下がり、自分の声の速さに気づく。


「ごめん、急にいろいろきいちゃった」


 わたしは机から水筒をよけて場所を作る。


 男の子は座って、膝の上で両手を重ねる。


 先生が電話を終えてこちらへ戻ってくると、ことりはペンを置いて、話し始めるのを待つ。


「部活のあと、靴のひもが切れちゃって……」


 男の子が最初に見せてくれた靴は、右側だけ、ひもの色が違っている。


「松本先輩が予備を持っていて、貸してくれたんです」


「そのときに、今日どっかで走るんですかってきいて」


「松本先輩は、なんて?」


 今度の葵の質問は短くて静かだ。


 男の子は、ひもの先から葵へ視線を移す。


「もう、あそこでは走らないって、言ってました」


 舞人くんが持っていたペンを机へ置き、わたしの指も、紙の端で止まってしまう。


 金曜の放課後にも、そう言っていたんだね。


「ほかには、何か話した?」


「練習の場所、後輩に教えたの、まずかったかなって」


 男の子の声が小さくなり、視線が下へ落ちる。


 先生が近くへ座り、続きを急がせずに待つ。


「ぼくのことじゃなくて、別の人のことです」


「その人の名前は、きいたかな」


「いえ、そこまでは……」


 男の子は首を横に振って靴のつま先を見る。


 わたしが『1年』とあるコピーを葵へ向けると、葵はそれを見て、何も言わずに口を結ぶ。


 同じ相手かはまだわからないけど、松本くんには、気になる後輩がいたんだ。


 記録を出したいだけで戻ったとは、思えなくなる。


 先生が男の子へ礼を言い、連絡の方法を伝える。


 男の子は少し迷ってから、靴のひもを見下ろす。


「これ、返したいんですけど」


 そのひと言でのどがきゅっとなる。


 葵は男の子の顔を見てゆっくりうなずく。


「うん、返せるように、見つけたいね」


 誰もそれ以上の約束は口にしない。


 わたしたちは男の子が教室を出るまで待ち、その足は、さっきより軽く見える。


 葵は椅子へ座り直し、自分の手を見つめる。


「……答え、言わせるところだった」


「途中から、話してくれたよ」


 ことりが言って、今の言葉を短く紙へ写す。


     *


「おれ、店に行ってくる」


 舞人くんが立ち上がり、バッグを持ち直す。


 コピーを置いて舞人くんの手元を見ると、スマホには、駅近くの地図が開いている。


 矢崎さんの働く店を調べていたらしい。


「今から? 先生には……」


「すぐ帰ったって話、本当なのかききたい」


 舞人くんは教室の入口へ足を向ける。


 止める言葉を考えるより体が先に動き、立ち上がったわたしは、舞人くんと入口の間へ回り込む。


 ぶつかりそうになり、舞人くんも足を止める。


「1人で……行かないで」


「間宮、どいて」


 思ったより低い声に肩がびくっとすると、舞人くんも、それに気づいて目を伏せる。


 わたしは道を空けず、バッグのひもを握る。


 言い争うのは学校で一番苦手なことだ。


 でも、ここで先に行ってとは言えない。


「この前、松本くんにも……言ったでしょ」


 顔を上げた舞人くんがわたしを見ると、わたしもその目を見て、続きの言葉を押し出す。


「1人で会いに行くなって、約束してって」


 教室の中で、ことりがペンを置く音がする。


 葵が先生のいる廊下へ顔を向けている。


 舞人くんの肩から、バッグがずり落ちかける。


「……待ってたら、遅くなる気がする」


「わたしも、そう思う……でも、先に言おう」


 ちょうど戻ってきた先生へ、葵が声をかける。


 わたしたちは入口を空けて机の前へ戻る。


 舞人くんは地図を見せて、店へ行きたいと話す。


 先生は最後まで聞いてから椅子を引く。


「矢崎さんへの確認は、警察と保護者が進めているわ」


「でも、松本がそこへ行ったのは……」


「だから、ききたいことも伝えておこう」


 先生は新しい紙を机の真ん中に置き、ききたいことを書けば、同じ質問を頼めると教えてくれる。


 舞人くんは少し迷い、ペンを持って座る。


「帰った正確な時刻と、1人だったのか。そのあと戻ってきてないか、後輩と一緒じゃなかったかも、きいてほしいです」


 わたしも脇からひと言を足す。


「練習した場所の……正式な名前も」


 先生はうなずいて問いを1つずつ書き留め、それをどこへ伝えるのかも、声にしてくれる。


 書き終わると、舞人くんの手からペンが離れる。


「このあとは、学校の外へ探しに行くんですか」


「場所が絞れたら、大人が動けるようにするわ」


 先生がわたしたち4人の顔を順番に見ると、その視線に、わたしも背筋を伸ばす。


「みんなは、ばらばらに動かないでね。移動先は必ず知らせて」


 舞人くんがうなずき、ほかの3人も返事をする。


 先生は連絡のために廊下へ出る。


 水筒を持って窓際へ歩くと、ここからは、校門の前を通る人がよく見える。


 銀色の髪がないかとまた探してしまう。


 舞人くんも隣へ来て、同じ方向を見つめる。


「来ないかな……あの子」


「電話も、居場所も、知らないままだもんな」


 2人の声は机にいる葵たちまでは届かない。


 わたしは水筒のふたを閉め、両手で握る。


 待っていれば現れるのか、今日もわからない。


 松本くんも、今どこかで同じように待ってるのかな?


 そう思うと、窓から目を離したくなる。


「来なくても、探せることはあるよね」


 わたしが言うと舞人くんは少し黙ってから、やがて机へ戻り、ノートのコピーを持ち上げる。


「駅のほうへ、歩いてったんだよな」


「うん、そこから、帰れてない」


 ことりがまとめた時刻の間へ、わたしは白い紙を置く。


 空いているのは、松本くんの帰り道の部分だ。


 わたしはそこへ駅の名前だけを書き込む。


 矢崎さん以外に、松本くんを見た人の話も聞けないかな。


 そこまで考えたところで、先生が教室へ戻る。


「駅前のパン屋さんで、見かけた人がいるそうよ」


レリ・マハーシーヴァ エンディングテーマ「ここにある」

https://youtu.be/RXc36LRIwuI

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