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レリ・マハーシーヴァ  作者: JING
青いクジラと第0レーン
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16/19

第16話 今から、60秒

レリ・マハーシーヴァ オープニングテーマ「まなざしのマントラ」

https://youtu.be/6FmwM8nEabA

「森田くん、足、こっちへ寄せられる?」


 給水台の下で、わたしは森田くんへ声をかける。


 押された台がずれ、寄せたはずの靴がまたはみ出す。


 その横へ、灰色の指が届いてくる。


 わたしは靴のかかとを持ち、急いで内側へ寄せる。


「……すみ、ません」


「謝らなくていいよ。少しだけ、膝を曲げよう」


 床の上でジャージの布が動くけど、足を持ち上げる力は戻ってこない。


 動かそうとしてるのは、わたしの言葉が届いてるからだよね。


「間宮、頭、下げて!」


 舞人くんの声に金属の音が重なり、押し込まれた台車が、給水台へぶつかる。


 わたしは森田くんの頭を、自分の肩へ寄せる。


 台の上から空の紙コップが降ってきて、軽い音を立てながら転がっていく。


「そっちにいると、危ないぞ」


 夜叉が台車の向こうから声をかける。


 そんなの知ってるよ。


 危なくしてる本人が、言わないでよ!


 わたしは返事をせず、森田くんの背中を守る。


「立てるやつから、こっちへ来ればいい」


「来るな、間宮!」


 舞人くんが台車の持ち手を押し返すけど、靴底が滑って肘が震えている。


 力では負けてるから、正面で張り合えば、給水台ごとつぶされる。


「そのまま押すと、後ろに当たっちゃう!」


「わかってる。横に逃がす!」


 舞人くんが持ち手の端を引くと、台車が斜めに動いて給水台の角をかすめる。


 夜叉の片腕が、わたしへ伸びてくる。


 森田くんと一緒に身を縮めると、すぐ上を通り過ぎる。


 台の脚へ当たった爪が、白い塗装をはがす。


「もうちょっと、奥、行ける?」


「はい……こっちですか」


 森田くんの手がわたしの袖を引き、わずかな力でも、今はすごくうれしい。


 足を止めても生きている森田くんを、松本くんにも見てほしいんだけど。


「松本くん! 森田くん、返事できるよ!」


 台の端から走路へ向かって声を出す。


 松本くんは肩越しにこっちを見るけど、足元を見失いかけて体が外側へ傾く。


「前、見て! 転ばないで!」


 わたしは呼んだ口であわてて言い直す。


 これじゃ、足を止めさせるどころじゃない。


 松本くんは壁に手をついて走り続け、こっちを見られる時間も、ほんの少ししかない。


「連れて、出てくれ……先に!」


 息に混じった声が、走路に残る。


 森田くんだけでも逃がしてほしいんだろうけど、松本くんを残して帰るつもりはないよ。


 わたしは給水台の端から顔を戻す。


「森田くん、ここで待ってて」


「先輩、止まれ、ないんですか」


 止まるとどうなるかを松本くんは怖がっていて、わたしも返事に困ってしまう。


 その気持ちはわかるよ。


 だって、休む場所へ爪が飛んでくるんだもん。


 走るのをやめて平気だと、口で言うだけじゃ。


「……ここより、隠れられる場所を探すね」


 わたしは森田くんの手を台の脚へ添え、金属を握る指に、ゆっくり力が入るのを見る。


 給水台の左側には広い通路が見えていて、壁の先に緑色の出口の表示もある。


 あそこへ行けたらと、さっきから思ってるのに、松本くんは何周しても通り過ぎる。


「舞人くん、あの緑の表示、どこにある?」


「正面の壁の向こう……いや、待て」


 舞人くんは台車を引いたまま横へ動くけど、わたしからはまだ表示が見える。


 舞人くんも表示を探して、壁の先へ目を向ける。


「おれには、もっと奥に見える」


「……だよね。近くないんだよね」


 同じ表示なのに、どっちへ行けばいいの?


 足元の白線が台の脚にまで浮いて見えるけど、床の線が、金属に映るはずはないよね?


 それでも目は、白線を追ってしまうんだ。


 わたしは給水台の冷たい脚を握り直す。


「見えてる道を、信じないほうがいいかも」


「じゃあ、何を頼りに進む?」


 短いけど、難しい質問だ。


 頭に浮かぶのは、ことりが見せてくれた図と、建物の外で窓を数えていた横顔だ。


 あのときの壁は、ここにあるはず。


「……触れる物と、外からの音」


 自分の声を聞きながら、探す順番を決める。


 今すぐ探すのは夜叉を倒す方法じゃなくて、まず、松本くんが足を止められる場所だ。


 わたしは壁へ向かって片手を伸ばし、指先に当たった、ざらつく塗装をなぞる。


 見えている通路の半分を、壁がふさいでる。


 壁へ体を寄せて手を滑らせるけど、肘まで伸ばしても端には届かない。


「ここ、通路に見えるのに、壁がある」


「ぶつかるまで、わからないってことか?」


 舞人くんは台車の後ろで腰を落とし、片足を引くたび、車輪が小さく向きを変える。


 あの場所を離れたら夜叉がこっちへ来るから、わたしが全部、試してみるしかない。


「でも、壁がある場所は、動かないよ」


「なら、戻るときの目印にはなるな」


 舞人くんの声にわたしもうなずく。


 手に触れる塗装の粒は幻じゃないし、反対の手には森田くんの肩が触れている。


 この子も給水台も位置は変わらないし、わからない物ばかりに囲まれてるんじゃないよね。


「森田くん、わたしの手、ここにあるからね」


「……はい、わかり、ます」


 台車の向こうで夜叉が耳をこちらへ向け、蛍光色のベストが、視界の端で揺れる。


 こんな色の服を、怖がる日が来るなんて。


 わたしはその色から目を離さずに考える。


「その子は、もう立てないんだろう」


 夜叉が森田くんのほうへあごを向けると、手のひらくらい大きな耳が、横へ動く。


 わたしの返事を、楽しみに待ってるみたい。


「おまえだけなら、そこを出られるのに」


「……出るときは、一緒です」


 声が裏返って、最後は小さくなる。


 ……かっこよく言い返すのって、難しいね。


 夜叉の目がわたしの首元へ下りてきて、気持ち悪くて、襟を押さえたくなる。


 でも、森田くんから手を離せない。


「そんなに急がなくていい。待ってやる」


 長い腕が台車の端を軽くつつくと、車輪が回って舞人くんの足へ近づく。


 待つと言いながら、ぜんぜん待ってない!


「こっちだろ、おまえの相手は!」


 舞人くんが台車を引いて走路側へ出ると、追いかけた灰色の指が、持ち手をかすめる。


 その隙にスマホを取り出し、画面の時刻を見る。


 18時9分。


 ことりが送ってくれた施設図を開くけど、指が汗で滑って、画像が横へ逃げる。


「ちょっと、今、そっちじゃない……」


 画面にもお願いしたくなっちゃうよ。


 ズボンで指を拭き、もう一度広げる。


 古い図の文字は拡大するとぼやけるけど、壁の線なら読み取れる。


 給水台のある図の右下あたりから、外壁に沿って、短い線をたどる。


 曲がり角の手前で、細い通路へつながる。


「入ってきた道、すぐそこにあるはずなの」


「どっちだ? 右か?」


「給水台から、壁沿いに戻るほう」


 舞人くんが振り向いて壁を見る。


 さっき緑の文字があった壁に、青いボトルの写真が並んでいる。


 わたしたちが来た入口なんて、見当たらない。


「そこ、さっき見たときは、もっと遠かった」


「わたしには、今は近く見える……たぶん」


 自分の目のことなのに言い切れない。


 図にある線へ、画面越しに指を置く。


 管理通路の途中にあるのは、搬入通路から来たときに、右へ曲がった角だ。


 戻るなら左、その先が搬入通路になるはず。


「全部、運べなくてもいいんだ」


「間宮?」


 わたしは図を開いたまま、舞人くんへ画面を向ける。


 舞人くんが台車をこちらへ引いてきて、息を整える間だけ、顔が近くなる。


「外まで一度に行くのは、今は無理でも、角の奥で休めれば、そこを守れるよ」


「入口だけ見てればいい、ってことか」


「うん、ここだと、どっちからでも来るから」


 今も夜叉は台車の左右を選んでいて、舞人くんはそのたび、腰を落として動いている。


 森田くんの手が、わたしの袖で震える。


「わかった。入口が見えたら教えろ」


「……まだ、見つけられてないんだけど」


「見つける前に言ってくれて、助かった」


 そう言って、舞人くんは前へ戻る。


 背中に頼まれた気がして、口を結ぶ。


 わたしは画面の図をもう一度見るけど、角まで何メートルか、数字は読みづらい。


 せっかく図があるのに、そこが大事なのに!


 そう思ってから膝の横へ手をつく。


 数字が読めなくても床はここにあるんだから、手の届くところから、たどってみよう。


「森田くん、手を離すね。台につかまってて」


「……うん」


 短い返事を待って、わたしは腰を上げる。


 給水台の脚を右手でつかんだまま、左手を壁へ置いて靴1足ぶん横へ動く。


 さっきより先へ指が届く。


 目に見える広告にはボトルの絵があるのに、指先に当たるのは塗装だ。


 はがれたところには細かい砂が混じっていて、ここを押せば開く、という感じはしない。


「そのまま、こっちへ来ればいいのに」


 夜叉はわたしに合わせて横へ歩き、台車の向こうで、足の指で床をつかむ。


 わたしが動けば森田くんの前が空くから、そこを狙ってるんだと、すぐにわかる。


「そっち、行かせるか!」


 舞人くんが台車の前へ体を入れる。


 すぐ横を松本くんが走り抜けていく。


 夜叉の腕が伸びる前に、舞人くんはしゃがむ。


 台車の荷台が持ち上がり、片方の車輪が鳴る。


 舞人くんの肩が、給水台の角へ当たる。


「舞人くん!」


「大丈夫。探してくれ!」


 返事のあとで、歯を食いしばる顔が見える。


 絶対痛いよね。


 でも、わたしが手を止めても痛みは消えない。


 壁を押さえた手を横へ伸ばすと、広告の青いボトルが、指の向こうで揺れる。


 揺れたのは、わたしの体のほうかな?


 踏ん張った靴の下で、小石が転がる。


 わたしはバランスを崩し、膝を床につく。


 ズボン越しに、細かい痛みが広がる。


「……いたっ」


 左の膝を浮かせてそのまま座り直すと、床に伸びた白線が、脚の上を通っている。


 それを追うのをやめて、手元だけを見る。


 膝の位置が違って見えても、痛い場所は同じ。


 足元まで嘘をつかれるの、困るんだけど!


 給水台から落ちた紙コップが、下がってきた舞人くんの靴へ転がっていく。


 手の届く紙コップを3個拾い集めると、空っぽなのに、つぶれる音が妙に大きい。


 床の嘘に余計な物まで増やしたくない。


「こっち、足元、空いたよ」


「助かる。あと、その台の脚、どこだ?」


 舞人くんが夜叉を見たまま片足を引くので、わたしは台の脚に触れて、位置を教える。


「左のかかとの、すぐ後ろ、あと半歩」


 靴が止まって向きを変え、床につくと、台車を引く腕にまた力が入る。


 わたしにできることもあるんだ。


 そのとき走路から短い悲鳴が上がる。


 転がった紙コップを踏んだ松本くんが、足を滑らせて片手を大きく広げる。


 止まって、と口が動きかけてしまうけど、その後ろへ夜叉の腕が伸びている。


「足、上げろ!」


 舞人くんが台車を出し、指の進む先をふさぐ。


 松本くんは壁へ肩をついて何とか立て直し、白いコップだけが、走路の外へ転がる。


 今ので止まっていたら、つかまっていたかも。


 わたしも森田くんも、そこまで手が届かない。


「ほら、まだ走れるじゃないか」


 夜叉の口がベストの襟の上で曲がる。


 松本くんは答えずに前へ進んでいく。


 指でつぶした形が残っている紙コップを、わたしは給水台の下へ押し込む。


 助けて、と書いてあったコップを思い出す。


 松本くんがあれを窓から出したのは、外の誰かへ、届いてほしかったからだよね。


 やっとここに来たのに、まだ迎えられない。


「舞人くん、次に松本くんが通るとき、紙コップ、見つけたって伝えて……ちゃんと届いたって」


 舞人くんは一度こちらを見てうなずき、走って戻ってきた松本くんへ、声を投げる。


「おまえのコップ、見つけたぞ!」


 松本くんの顔がわずかにこっちへ向いて、息を吸う音のあとで、口が動く。


「……来た、のか」


 舞人くんは台車の端を握り直して、答える。


「来たんだよ。だから、一緒に帰るぞ!」


 松本くんはまだ走ってるけど、もう床ばかり見てはいない。


 わたしは森田くんへ向き直り、腕を戻す。


「森田くん、手、届く?」


 袖の端をつままれる。


 袖がさっきより強く引かれて、わたしも支える腕を寄せる。


 わたしがスマホを拾ってことりへ電話をかけると、呼び出し音は、2回で切り替わる。


『りん、今、どこにいる?』


「給水台の裏、森田くんと一緒」


 スマホを耳へ押し当てて聞くのに、走路の足音が返事を何度も邪魔する。


 わたしは片耳をふさぎ、壁へ顔を向ける。


『外からは入れそう。でも扉が動かないの』


「こっちも、戻る道がわかりにくくて……」


 何と言えば伝わるか、言葉を探すけど、壁が壁じゃない、だと困らせちゃうよね。


 今必要なのは、外の位置を知ることだ。


「前に話した換気口、まだ近くにいる?」


『いるよ。今は大人の人と一緒』


「枠、たたいてほしい、3回と、2回」


 ことりの返事を待ちながら、わたしは壁を見る。


 換気口は入口のすぐ右にあったはずだから、そこがわかれば、探す範囲を狭くできる。


『音、出してるよ。聞こえる?』


「……ごめん、まだ、わからない」


 声を止めて耳を澄ませてみるけど、応援の声と松本くんの靴音が重なる。


 台車の車輪もゆがんだ音を立てていて、そこに金属音があっても、区別できない。


『もう少し強くする?』


「無理しないで。同じ音を続けてほしい」


 スマホの画面に18時10分と出ている。


 ことりの声を聞いてると安心しちゃうから、まだ、終わってほしくない通話なんだけど。


「わたし、これから道を探すから、いったん切るね」


『わかった。りん、勝手に遠くへ行かないでね』


「うん……そっちへ帰るから」


 通話を終えて画面を暗くしても、ことりは外にいてくれる。


 わたしはそれを忘れないようにする。


 近くで台車が鳴り、舞人くんが戻ってくる。


「外は?」


「扉を開けようとしてる。音も出してくれる」


「なら、それが聞こえれば、道がわかるか?」


「音だけじゃ、たぶん、わからない。風の通り道と図の形を合わせれば、どっちを探せばいいかは、わかると思う」


 舞人くんの期待に首を横へ振って、今できそうなことを、わたしの言葉で伝える。


 耳をよくしても壁の中は見えないんだ。


「よし。そっちはまかせる」


 舞人くんが右の肩を上げたとき、眉間に深いしわが寄る。


 見てしまうと目をそらせない。


「肩、当たったところ、痛いよね」


「痛いけど、腕は動く。押すほうもいける」


 まだ使っていない術のことだとわかるけど、松本くんが走路を回る間は、使えない。


 助けたい人の目が今は行動を止めているけど、松本くんに、怒るわけにもいかない。


「……先に、森田くんを奥へ入れるね」


「おれは松本を連れていく。順番はそれでいいな」


 舞人くんはわたしの返事を待ってくれる。


 命令されるだけなら楽だったかもしれないけど、森田くんの今の力を知ってるのはわたしだ。


「うん、立てないから、座ったまま動く」


「入口に段差があったら、呼んでくれ」


 台車の向こうで夜叉が爪を曲げていて、会話をさせるのにも、飽きてきた顔だ。


 駅前で地図をつなぐために買った紙テープを、上着のポケットから取り出す。


 こんな場所で役に立つとは、思わなかったよ。


「目印に使う、見えてる壁が変わっても」


「いいな、足元なら、おれにも見える」


 落ち着けばすぐに探せるテープの端を、こんなときだけ爪が滑ってしまう。


 一度ズボンで指を拭いて、もう一度探すと、薄い端が爪にかかる。


 6センチくらい引き出して、両手でちぎる。


 手が震えて切り口は斜めになっちゃうけど、まっすぐじゃなくても見えればいい。


 2枚だけ左の袖へ軽く貼っておき、残りは、上着のポケットへ戻す。


「森田くん、動くとき、この腕をつかんでてくれる?」


 森田くんの指が、わたしの袖をつかみ直す。


「わかりました……落ちないように、ですか」


「うん。それから、痛かったら言ってね」


 森田くんがゆっくりうなずいてくれる。


 人を1人抱えて走る力はないけど、少しずつ、一緒に動くことならわたしにもできる。


 岸くんだって、最初から立てたわけじゃない。


 そう考えながら目を合わせて待つ。


 また給水台の前を通る松本くんは、歩幅が小さくなって靴の先を引きずってる。


「松本くん、戻る道、探してるから!」


「森田、連れて……先に、行け」


 また同じことを言って、遠ざかっていく。


 追いかけたい気持ちで膝が前へ動くけど、今走り出したら、森田くんが残る。


 わたしは床に手をつき、体を戻す。


 全員を同時に助ける手は、2本じゃ足りない。


 だから、1つずつやらなくちゃ。


「入口を探してる間、こっちを向かせないで」


 口を寄せて話すと、舞人くんは腕時計を見てから、わたしへ顔を戻す。


「わかった。おれが台車を横にする」


「……うん、見つけたら、すぐ呼ぶね」


 森田くんの靴底をもう一度だけ見ると、小石が1つ、かかとの縁に食い込んでいる。


 わたしはそれを払い、服の裾も膝へ寄せる。


 動いてから直すより、今やったほうが早い。


 森田くんは唇を結び、つかんだわたしの腕を引く。


 その手を落とさないように、手首を少し返す。


 舞人くんの時計が18時12分を示す。


 松本くんの足音がまた遠ざかっていく。


 わたしは舞人くんにだけ顔を向ける。


「今から」


 それから、唇の間へ息を落とす。


「……アンク」


レリ・マハーシーヴァ エンディングテーマ「ここにある」

https://youtu.be/RXc36LRIwuI

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