第13話 紙コップのSOS
レリ・マハーシーヴァ オープニングテーマ「まなざしのマントラ」
https://youtu.be/6FmwM8nEabA
主競技場の門には、青い案内板が立っている。
写真で見た観客席は柵の向こうにあるけど、屋根付きの補助走路は、ここからは見えない。
門の手前で立ち止まって時計を見ると、17時を少し過ぎている。
「施設の図を見てきた子たち? 学校から連絡を受けているよ」
管理の人が、事務所の扉から声をかけてくれる。
名前を伝えて施設図を広げるけど、机がないので、4人で端を持って押さえる。
「昔の補助走路は、こっちではないんですね」
ことりがきくと、管理の人は図をよく見る。
「同じ公園だったんだけど、今は区画が別になっていてね」
「競技場の中からは、向こうへ行けないんだ」
「これ、かなり古い図だね」
「屋根のついた道は、今もありますか」
わたしの声に管理の人が公園の奥を指すと、大きな木の向こうに、薄い灰色の屋根が見える。
低い屋根だ。
バスから見えた照明の柱とは違うんだね。
「建物はあるよ。一般の練習には開いていない」
舞人くんの眉が寄り、図を持つ手が止まる。
練習に使っていないはずの場所へ通ってたの?
松本くんは、そのことを知らなかったのかな。
管理の人が別の図を出して、今通れる道を示す。
「この外の道なら、裏手へ回れる」
「搬入口って、どこになりますか」
「こちら側だね。ただ、門の先は入れないよ」
ことりが通れる道だけをペンでたどり、わたしも、自分の地図に同じ線を書き込む。
まずは屋根と柱が本当に同じか見たいのであって、門の向こうへ、勝手に入るつもりはない。
管理の人は担当の連絡先を調べに事務所へ戻り、わたしたちは、見に行く道を学校にも知らせる。
歩いている間も、返事が来たらすぐ出られるようにしておかなくちゃ。
「名前は同じなのに、ずいぶん遠回りだね」
葵が正門と裏手の間にある柵を見上げる。
まっすぐなら遠くなさそうなのに、その道は、地図の細い線でしっかり閉じられている。
わたしたちは、公道に沿って右へ歩き始める。
*
途中から坂になる外周の道を進むうち、木が増えて、主競技場の声が聞こえなくなる。
わたしは紙の地図と目の前の角を見比べ、風でめくれる端を、買ったテープで台紙へ留める。
「買ってよかったね、それ」
葵にうなずいて、留めた端を指で押さえる。
こんなところで風と戦っても、仕方ないもんね。
足元に重なる落ち葉の間を、近くの蛇口から流れたらしい、掃除の水が横切っている。
細い水の跡は塀の下の溝に集まり、ゆっくり消えていく。
「この角の向こう、屋根が見えるはず」
ことりが地図を畳んで歩く速さを上げ、舞人くんも、つられるように前へ出かける。
わたしと葵の足音を聞くと、すぐに速さを戻してくれるけど。
追いつこうと歩幅を広げる。
走る人についていくのって、歩くだけでも大変だよ。
角を曲がると金属の柵が現れ、向こうに続く低い屋根を見て、わたしは立ち止まる。
……あった。
岸くんの映像で見た、あの低く折れた屋根だ。
「ここ、写真と同じだよね」
葵の声にことりがスマホを上げ、今の屋根と、保存した写真を順に見ていく。
斜めの支えが入った柱も、同じ並び方をしてる。
わたしは柵の1歩手前で止まり、足元の、入らないよう知らせる古い札を見る。
「この建物、今は使ってないはずなんだよね」
わたしも入口を見るけど、大きな扉は閉じていて、中の様子はわからない。
壁の上の小窓は、1つだけ開いている。
下のほうの色がはげた壁は、同じ建物でも、写真のころとは違って見えるんだね。
「車、向こうに止まってる」
舞人くんが指を上げて、すぐに下ろす。
柵の奥に見える白い車は後ろ半分だけで、壁の角に隠れた右のランプは、まだ見えない。
わたしたちは、車の後ろが見えるところまで進む。
ことりが歩道から撮った写真を大きくすると、画面に、斜めの透明テープが現れる。
「同じ車だ」
低くなった舞人くんの声を聞き、わたしの膝にも、力が入りすぎる。
店の写真にいた人が来てるんだ。
それなら、松本くんも中にいるかも。
「先生に、今の写真送るね」
ことりが入力し、葵が道の名前を読み上げる。
わたしは開いた小窓から目を離せず、誰かが顔を出してくれないかと、思わず待ってしまう。
でも、奥に見えるのは暗い影だけ。
それでも、どこにもいないよりずっと近いよね。
「この道の先が、搬入口の門になるんだな」
手にした紙の線を確かめる舞人くんにうなずき、4人で同じ方向へ進む。
裏手の壁には小さな換気口が並び、わたしは声を拾おうと、歩きながら耳を向ける。
聞こえるのは風と足音だけ。
ここでアンクを使えば、もっと聞こえるかな?
でも、どの部屋を探すのかもわからないまま60秒を使い切ったら、次は3時間先になっちゃう。
わたしは口を閉じ、まず地図を開き直す。
古い図ではすぐ先で道が2本に分かれ、左は建物の横へ、右は外柵に沿って続いている。
短いほうへ足を向けかける。
「りん、そっちは門が閉まってる」
葵の声で止まると、低い鎖が道をふさいでいる。
危なかった!
足元ばかり見ていたら、引っかかるところだった。
「……ありがとう、地図には門がなくて」
「今の道も、見ながら行こう」
ことりが指で押さえるのは、管理の人に教わった線だ。
わたしは閉じた門に小さな印をつけ、右へ進む。
古い図だけでも、今の地図だけでも足りないんだね。
角を曲がった舞人くんが、こちらの足元を見て待っている。
「ここ、段差あるから気をつけて」
紙を畳み、出しかけた足を止める。
帰りもここを通るなら、松本くんが歩けなかったとき、この段差は危ないよね。
覚えておこうと、角の白い柱を振り返る。
*
建物の裏で細い道が右へ曲がり、続く外柵の下には、浅い側溝がある。
弱い水の流れに葉っぱが途中で止まっていて、わたしは、それをまたいで道の端へ寄る。
ことりが施設図の小さな文字を読む。
「このへん、資材を入れる部屋みたい」
「倉庫って、いくつもあるんだ」
葵が答え、わたしも図に顔を近づける。
「部屋ごとに、アルファベットがついてるんだね」
外の壁には、番号の札が残っていない。
「どの部屋かは、まだわからないね」
「窓の数は、だいたい合ってるね」
ことりが端から指で数える隣で、わたしは、半分開いた窓の下を見る。
柵と壁の間に白いものがいくつか落ち、落ち葉の中で、1つだけ丸い縁が見える。
紙コップかな?
すぐ横にも、つぶれた白いものがもう1つある。
ゴミを捨てるには変な場所だよね。
側溝の先へ目を向けると、小さな排水口の格子に、同じ白いものが挟まっている。
「……あれ、文字がある」
わたしの声に舞人くんが足を止め、葵とことりも戻って、横へしゃがみ込む。
まだ手は伸ばさず、4人で格子の隙間をのぞく。
コップの横に見える黒い線は、模様じゃなくて、漢字の一部だ。
「りん、どこ?」
「ここ……この線、松って字じゃないかな」
葵が顔を近づけ、ことりがスマホを構える。
画面で明るくなった影の部分へ、わたしも体をずらして、日が入るようにする。
コップが水に押されて回る。
黒い油性ペンで書いた字が、現れる。
『松本』
わたしは息を吸い、続きの字を目で追う。
濡れた紙はへこんでいるけど、字は消えてない。
『B倉庫』
舞人くんの手が、わたしの肩の横で止まる。
まだ先に数字と短い言葉が続いていて、ことりが画面を寄せ、見える角度を変えてくれる。
『2人』
『助けて』
松本くんの字だ。
らんぷ亭の紙に、走り方の数字を書いていた字だ。
右へ傾いて最後の線が長く伸びる、その文字から、わたしは目を離せなくなる。
「……松本、ここにいたんだ」
すぐ隣で、舞人くんの声が震える。
ここにいる、とはまだ言えないのかもしれない。
でも、助けてと書いた人がここにいた。
あの窓から何度も、外へ届けようとしたのかな?
別のコップを見ると、1つはつぶれ、1つは葉っぱに引っかかっている。
ここまで来た1つを見つけられたんだ。
書いたときの気持ちを考えるだけでのどが苦しくなり、わたしはスマホを握って、時刻を見る。
17時50分。
今なら、まだ届くかもしれない。
「見つけてやる……じゃ、ないよな」
立ち上がって壁を見つめる舞人くんの横へ、わたしも膝を伸ばして並ぶ。
止まったままの窓が、さっきよりずっと近く感じる。
「迎えに行こう、松本を」
側溝の出口へしゃがんで紙コップの底を持ち上げると、立ち上がっても、手の震えが止まらない。
黒い文字の最後は、助けて、だ。
何度見てもほかの言葉には変わらない。
「写真、もう1枚だけ撮らせて」
ことりが横からスマホを構え、今度は建物の角と側溝も、一緒に入れる。
拾った場所まで伝わるようにするんだね。
「これ、先生に送るね」
「うん……場所も、同じ画面で送って」
少し離れて電話をかける舞人くんは、言葉をさっきよりゆっくり区切ってる。
「はい、松本の名前があります。建物の中に、2人いるって書いてあります」
一度話を止め、相手の返事を待っている。
急いでると、その間がもどかしい。
近づいても話が速くなるわけじゃないのに、わたしまで、スマホに顔を寄せそうになる。
「主競技場じゃないです。屋根のある、補助走路のほうです」
舞人くんが指す丸印の建物は、図の中でも大きな競技場から離れてる。
名前だけだと、入口を間違えちゃいそうだ。
「車で入れる道は、たぶん反対側です。おれたちは、細い通路を歩いてきました」
雑草とコンクリートの境は、靴1足ぶんほどしか平らな幅がなくて、担架では通れそうにない。
「葵、大きい道まで案内できる?」
「できる。さっき、曲がるところ撮ったし」
葵がスマホの写真をめくると、青い柵と、折れ曲がった案内板が写ってる。
「ことりのまね」
照れたみたいに付け足してくれる。
来るときは何となく通った場所でも、今は、迷わず人を連れてくるための目印だ。
「りんは、ここにいて。場所、わかんなくなるから」
「……うん、わかった」
葵がわたしの手元を見る。
知らないうちに、コップの縁を強く握りすぎてる。
「それ、つぶしちゃわないようにね」
「あっ……ごめん」
「松本には、あとで謝ればいいって」
葵の口元が少し上がり、わたしは両手を開いてコップを底から持ち直す。
見つけたとたん壊したら困るよね……。
ことりが、折った施設図を入れていた透明な袋を1枚差し出す。
「これに入れておこう。文字のところは触らないで」
「ありがとう……ことりは、大丈夫?」
「うん、道をもう一度、見てくる」
返事は早いのに袋の口が開かず、ことりの指も、わたしと同じように震えてる。
片側をつまんで広げると、コップはすんなり中へ入る。
「まだ、ここにいるかな」
葵が建物の高い窓を見上げるけど、白っぽいガラスから中の様子はわからない。
壁の端にも小さな換気窓が並んでいる。
コップは、どれを通って外へ出たのかな?
「いるかどうか、早く調べてもらおう」
わたしの答えに、葵は唇を結んでうなずく。
いてほしい、とは簡単に言えない。
もう安全な場所じゃないとわかってるけど、どこかへ連れていかれる前に、見つけたいんだ。
袋の中の文字を見直す。
無事でいて。
牛丼屋で走り方の数字を書いてくれた、松本くんの、ペンを持つ手が浮かぶ。
今度はわたしたちが受け取る番なんだ。
「写真、先生に届いたよ」
ことりがみんなへ向けた画面には、逸見先生からの短い文章が続いている。
『確認しました。警察にも伝えます。建物には入らず、外で待っていてね』
わたしは最後の1行を、声に出さず読む。
中へ入ってはいけない。
4人なら何とかなるわけじゃないって、言われる理由は、わたしにもわかってる。
「先生、向かってるって」
「じゃあ、あたしが途中まで行く」
葵はバッグの肩ひもを短くかけ直し、走り出す前に、わたしと舞人くんを見比べる。
「どっか行くとき、絶対連絡して」
「うん。ここから離れるなら、先に送る」
スマホを上げて、葵に見せる。
今度は、黙っていなくなったりしない。
「ことりも、一緒に行ってくれる?」
「もちろん。図の道と、車の道をつなげてくるね」
ことりが送ってくれた図の写真は、電話しながらだと、少し見づらそうだ。
紙のほうも受け取って、二つ折りにする。
「あと、そのテープ。図に印をつけてもいいかも」
ことりの指先がバッグの口へ向き、駅前で買った黄色い紙テープが、そこからのぞいてる。
地図をつなぐための小さな巻きを、ペンと一緒にポケットへ移す。
ポスターと同じ道具が、こんなところにあるんだね。
早く、あっちの続きをしたいな。
墨の色が薄いとか湯気が変だとか、そんなことで、また3人で困りたい。
「じゃあ、すぐ連絡するから」
ことりが葵と通路を戻っていくと、2人の靴音は、柵の向こうへ移っていく。
電話を終えた舞人くんが隣に立ち、17時55分を指す腕時計を見る。
「来てもらえるって。場所も、わかってもらえた」
スマホをしまって大きく息をつく舞人くんの肩が、ふっと下がる。
電話を持つ手に、ずっと力が入っていたんだね。
「松本の母さんにも、先生から伝えてくれる」
「……うん、よかった」
そこまで言って、口を閉じる。
紙コップを見つけただけでも気持ちが楽になるのは、ほかにも、ここを目指す人がいるからかな。
今はそれが、すごくありがたい。
「建物の入口、外から見るだけ見よう」
舞人くんが壁に沿った道の先を指す。
「うん……2人で行こうね」
「わかってる。先に走っていったりしない」
わたしの歩幅に合わせる舞人くんに、そこまで遅くしなくても、と言いかけてやめる。
靴先が、コンクリートの欠けにぶつかる。
足元を見る余裕をもらえるのは、助かるかも。
わたしはことりへ、短いメッセージを送る。
『建物の壁に沿って、入口を見てくるね』
スマホは上着のポケットへしまい、紙コップは袋ごとバッグの一番上に置く。
つぶれないように、ほかの物をよける。
今だけ、教科書より大事な紙コップだ。
レリ・マハーシーヴァ エンディングテーマ「ここにある」
https://youtu.be/RXc36LRIwuI




