第22話 私だってわからない
「……こいつは酷いな。想像以上だ」
分厚い岩盤が崩れ落ちた惨状を前に、組合のベテラン査定員であるゴードンは、苦々しい顔で顎髭を撫でた。
第六区画の最深部、第四区画へと繋がるはずの境界線。
そこは今、完全に崩落した天井からの土砂と、家屋ほどもある巨大な岩の塊によって、完全に通路が塞がれてしまっていた。もうもうと立ち込める粉塵がランタンの光を乱反射し、視界は最悪だ。崩落現場特有の、土の匂いと濃密な魔力の残滓が混ざり合った重苦しい空気が、救助班の面々に重くのしかかっている。
「天井が完全に崩落してやがる……。これじゃあ、第六区画の奥へは到底行けないぞ」
先陣を切って駆けつけた屈強なドワーフの鉱夫たちが、絶望的な壁の厚さを見上げて息を呑んだ。
「ウォルター以外に、今日第六区画の奥に行った者はいないんだな? エマ」
ゴードンが振り返って確認すると、救助班の最後尾についてきていたエマが、真っ青な顔で首を縦に振った。
「はい……。今朝の入窟記録では、第六区画を指定したのはウォルターさんだけです。他のパーティーは全員、浅い階層にしか入っていません」
エマは胸の前で両手をぎゅっと握り締め、祈るような姿勢で震えていた。
もし、この途方もない土砂の向こう側にウォルターが閉じ込められているとしたら。あるいは、この崩落に直接巻き込まれて、岩の下敷きになっていたとしたら。
今朝、彼が手続きをしてゲートをくぐっていく背中を、無理にでも引き止めておけばよかった。後悔ばかりが頭をぐるぐると駆け巡り、今にも泣き出しそうになるのを必死に堪えていた。
「泣くのはまだ早いぞ、エマ。あいつが行きそうなポイントの目星はついてるか?」
「ウォルターさんは、同じ場所の地層を徹底的に掘り続ける癖があります……。だからたぶん、一昨日にあの巨大な魔導石を掘り出した場所の周辺じゃないかと……」
「なるほどな。だとしたら、ここから崩落した土砂を直線でぶち抜くには、結構な距離があるぞ……」
ゴードンは腕を組み、忌々しげに舌打ちをした。
「ええい、泣き言を言ってる暇はねえ! あいつの空気がなくなる前に掘り起こすぞ!」
ドワーフの一人が大声を上げ、組合から持ち出した緊急用の大型魔導掘削機を崩落跡の岩壁に据え付けた。
「掘削機動かすぞー! みんな下がれー!」
ゴードンの号令と共に、鉱夫たちが一斉に作業を始めようと散開した、まさにその時だった。
突然、救助班が立っている背後の『全く別の岩壁』から、甲高く澄んだモーターの駆動音が響き渡った。
「あぁん? なんだいまの音は。誰かもうドリルを回したのか?」
ゴードンが怪訝な顔で振り返る。
次の瞬間。彼らが掘ろうとしていた崩落現場ではなく、そこから十メートルほど離れた右側の硬い岩盤に、うっすらと円形の亀裂が走り――。
轟音と共に、岩壁が綺麗な円形にくり抜かれて吹き飛び、大人一人が通れるほどの真新しい穴がポッカリと空いたのだ。
「な、なんだ!?」
ドワーフたちが慌ててツルハシを構える中、もうもうと舞い上がる土煙の向こうから、一つの影がひょっこりと顔を出した。
「……ふぅ。さすがは最新式の掘削機だ。硬い岩盤でもバターみたいにくり抜けるな」
真新しい銀色の携帯掘削機を満足げに撫でながら、作業着を少し土埃で汚しただけの青年が、何事もなかったかのように新しいトンネルから顔を出した。
「う、ウォルターさん!?」
最初に見つけたのはエマだった。彼女は信じられないものを見る目で、その場にへたり込みそうになるのをこらえて叫んだ。
「……えっ? その声は、エマさん?」
新しく空いたトンネルから顔を出したウォルターは、目の前の光景を見てポカンと口を開けた。
崩落現場の前に、ゴードンをはじめとする大勢のベテラン鉱夫たちと、大型の重機、そしてなぜか事務員のエマまでが勢揃いして、全員が目を丸くして自分を見つめていたからだ。
「それに、ゴードンさんにみんなも……一体どうしたんですか? こんな大所帯で、何か新しい大型の鉱脈でも見つかったんですか?」
ウォルターは、自分を助けに来てくれたなどとは微塵も想像しておらず、首を傾げて本気で不思議そうに尋ねた。
「何かあったんですか? ……じゃないですよ!!」
エマの堪えていた感情が、ついに爆発した。彼女は涙をボロボロとこぼしながら、ウォルターに駆け寄った。
「みんな、すっごく心配したんですよ!? 第六区画が崩落して、ウォルターさんが巻き込まれて死んじゃったかもしれないって聞いて、仕事も放り出して救助班を組んで駆けつけたのに……!」
「あ……」
そこでようやく、ウォルターはこの大騒ぎの原因が自分であることを理解した。
「なるほど……ご心配とご迷惑をおかけしたみたいですね。すみません。でもこの通り、特になんともないです。別ルートを自分で掘って帰ってきたので」
ペコリと事務的に頭を下げるウォルター。そのあまりにも呑気でマイペースな態度に、ゴードンたちは一瞬ポカンとした後、やがて腹を抱えて大爆笑し始めた。
「がははは! なんだよお前、自力で壁ぶち抜いて帰ってきたのか!」
「俺たちがせっせと土砂を掘ろうとしてる真横から出てくるとはな! 心配して損したぜ!」
「ウォルター、無事だったか! お前のことだから大丈夫だとは思ってたが、やっぱり大した奴だ!」
「元気そうで良かった!」
集まっていた面々も、呆れながらも口々に安堵の声を漏らし、ウォルターの肩をバンバンと叩いて無事を喜んだ。
重苦しかったダンジョンの空気が、一気に和やかなお祭りムードに変わる。
ウォルターも「はは、お騒がせしました」と苦笑いを浮かべ、事態が丸く収まったことにホッと胸を撫で下ろしていた。
しかし。
ウォルターは、この極度の緊張状態から解放された安堵感から、ある致命的なミスを犯していることに全く気づいていなかった。
彼の胸元には、革紐でしっかりと固定された旧式の魔導ランタンがぶら下がっている。
そして、ここは暗いダンジョンの中であり、まさか大勢の人が待ち受けているなどと思いましなかったウォルターは、ランタンの中のイブリンにホログラムを消せという指示を出し忘れていたのだ。
「……ところで、ウォルターさん」
涙を拭ったエマが、ふと我に返ったような顔をした。彼女の視線が、ウォルターの背後――彼が開けた真新しいトンネルの穴の向こう側に向けられている。
「……そちらの女性は?」
「…………あ」
ウォルターの背筋に、氷柱を突っ込まれたような悪寒が走った。
振り返るまでもない。ウォルターの胸のランタンから、青紫色の光の粒子が背後へとフワリと伸びている。
「ふぁぁ〜……! あー、やっと狭いところから外に出られたぁ!」
トンネルの穴の中から、紫色のローブを纏い、美しい銀髪を揺らした等身大のイブリンが、気持ちよさそうに背伸びをしながら姿を現した。
ゴードンたち救助班の笑い声が、ピタリと止まった。
薄暗く、むさ苦しい男たちしかいないダンジョンの奥深くに、到底不釣り合いな絶世の美少女が突然現れたのだ。全員が幽霊でも見たかのように口を半開きにしている。
そんな周囲の異常な空気に気づきもしないイブリンは、大勢の鉱夫たちとエマの姿を見つけると、ニッコリと愛想の良い極上の笑顔を浮かべた。
「あら、こんにちは。皆さんお揃いでどうしたんですか?」
悪びれもせず、非常に礼儀正しく挨拶をする。
「う、ウォルターさん……!?」
エマの声が、先ほどの心配の涙から一転、地を這うような怒気を孕んだものに変わった。
「か、彼女さんとダンジョンに来るなんて……入窟手続きの際には一言も聞いていませんけどぉっ!?」
エマの顔が真っ赤になり、嫉妬と混乱でワナワナと震えている。
「おいおいウォルター! 俺たちが必死で穴を掘ってる時に、お前はダンジョンの奥で可愛い彼女とデートとは、随分と余裕だなぁ!」
「隅に置けないじゃないか、この野郎!」
「こっちは死ぬ気で助けに来たってのによぉ! がははは!」
救助班のドワーフたちは、怒るどころかヒューヒューと口笛を吹き、ウォルターをからかって笑い飛ばしている。
「ど、どういうことですか! 一般人を無断で危険な下層区域に入れるなんて、組合の規則違反ですよ!」
怒り心頭のエマと、ニヤニヤとからかってくるゴードンたちを前に、ウォルターは完全に逃げ場を失っていた。
「これは……ええっと、その……」
実直で嘘がつけないウォルターの脳内がオーバーヒートを起こし、口ごもる。ここで『彼女はランタンの中のぶどうです』などと真実を言えば、精神科送りにされるどころの騒ぎではない。
ウォルターが返事に窮していると、隣にいたイブリンがスッと前に出た。
「……ごめんなさい」
イブリンは、華奢な肩を震わせ、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳で深く頭を下げた。
「私が、悪いんです……。ウォルターがいつも命がけで働いている『ダンジョン』という場所を、どうしても自分の目で見てみたくて……彼が止めるのも聞かずに、こっそり後からついていってしまったんです」
その声は、健気で、純粋な愛情に満ちた乙女の告白そのものだった。
「私が無理にくっついてきたものだから、ウォルターは『ここは危険だから』ってすぐに私を地上に連れ帰ろうとしてくれたんですけど……その途中で崩落に巻き込まれてしまって……。全部、わがままを言った私のせいなんです。どうか、彼を責めないでください……!」
涙を拭うような仕草で、イブリンがウォルターの袖をきゅっと掴む。
――こいつ、息を吐くように嘘をつきやがる。
立て板に水のようにスラスラと出てくる完璧な悲劇のヒロインの嘘に、ウォルターは内心で呆れ果て、その天性の詐欺師っぷりに舌を巻いていた。
しかし、そんなウォルターの内心など知る由もないむさ苦しいドワーフたちは、絶世の美少女の涙ながらの懇願に一撃でノックアウトされていた。
「お、おお……そういうことなら仕方ねえよな!」
「あんなに心配されたら、男としては無下にはできねえってもんだ!」
「ウォルター、お前ほんとに愛されてんなぁ!」
「……そういうこと、なんです。お騒がせしてすみません」
周囲の空気が完全にイブリンの味方になったのを察知し、ウォルターも仕方なくその嘘に同調して頭を下げた。
「はぁ……わかりました。無事だったから良かったものの、規則は規則です。後で始末書の提出と、しかるべき処分があることは覚悟してくださいね」
エマはまだ少し不満そうに唇を尖らせていたが、イブリンのあまりの可愛さと健気な態度にすっかり毒気を抜かれ、渋々といった様子でため息をついた。
だが、このままではまだ部外者の不法侵入という事実は残り、地上に戻ってから面倒な取り調べを受けることになってしまう。
ウォルターは事態を完全に有耶無耶にするための、最強のカードを切ることにした。
「処分はおとなしく受けます。ただ、崩落に巻き込まれた際に、こんなものを拾いましてね」
ウォルターは腰のポシェットに手を入れ、アダマンタイトの絶縁袋からそれを取り出した。
暗いダンジョンの中に、息を呑むほど深く、美しい『青白い光』が広がった。
ウォルターの掌の上には、先ほど巨大ゴーレムの頭部から抉り出したばかりの、二つの小ぶりな魔導石が乗っていた。
「なっ……!?」
それを見た瞬間、ゴードンの目の色が、ただの陽気なドワーフから超一流の鑑定士のそれへと完全に切り替わった。
「お……これは……」
ゴードンが興味深そうに声を上げた。
「大きさこそ小ぶりだが、精錬されたあとのように綺麗な球形だ。天然でこんなものが産出されるのか……!」
「ホントだ! また珍しいものを掘り当てたなウォルター!」
「最近調子良いじゃないか!」
ゴードンのつぶやきを皮切りに、救助班の鉱夫たちの意識は完全に謎の少女からレアな魔導石へと持っていかれた。
「これもなかなか良い値がつくぞ」
大の大人の男たちが、新しいおもちゃを見つけた子供のように目を血走らせてお祭り騒ぎを始めている。
「ちょ、ちょっと皆さん! まだ彼女の不法侵入の件が……!」
エマが声を張り上げて規則を主張するが、石に夢中な鉱夫たちの耳には届いていなかった。
ウォルターは、大騒ぎするゴードンたちを眺めながら、ホッと胸を撫で下ろした。
どうやら、イブリンの正体が『警察に追われている指名手配犯』だとバレる心配は、これで完全に消え去ったようだ。
確かに以前、魔導トラムの中でイブリンは言っていた。「私だってわからない」と。
その時は意味がわからなかったが、今なら理解できる。警察が追っている本物のイブリンの手配書の特徴と、今この場にいる魔法で作り出されたホログラムの可憐な少女の姿は、全く結びつかないのだ。
理由は定かではないが、彼女が指名手配犯であることを見破られる可能性は、このホログラムのアバターを使っている限り、限りなくゼロに近いのだろう。
「……まぁ、終わり良ければ全て良し、か」
ウォルターが小さく呟くと、隣に立つイブリンのホログラムが、してやったりのドヤ顔でウィンクを飛ばしてきた。
「とにかく、全員無事で良かった! 今日は組合の酒場でウォルターの生還と、大発見の祝賀会だ!」
「おーっ!!」
ゴードンの号令と共に、鉱夫たちが一斉に歓声を上げる。
怒号と悲鳴から始まった救出劇は、最終的に和気あいあいとしたお祭り騒ぎへと変わり、ウォルターとイブリンは、大勢の仲間に囲まれながら地上へと続く緩やかな坂道を登っていくのだった。




