第21話 地中の星空
数トンの岩の塊が崩れ落ちた轟音が嘘のように、第六区画の未知の空洞には、再び深い静寂が舞い戻っていた。
空気中にはまだ、砕け散った岩の粉塵が細かく舞っている。
ウォルターの胸元に置かれた旧式の魔導ランタンが放つ純白の光と、機能を停止したゴーレムの残骸――その頭部の奥底で未だに脈打っている二つの魔導石の青白い光が、空間を漂う粉塵に反射してキラキラと瞬いていた。
真っ暗な巨大空洞の中に無数の光の粒が浮かび上がるその光景は、まるで地底の奥深くに切り取られた『星空』の中にいるようだった。
そんな幻想的な空間の中で、等身大のホログラムの少女が、巨大な岩の残骸の周りを興奮しきった様子で飛び回っていた。
『……なーほーね! そういうことだったの! 二つの魔導石の間に特殊な魔力の『橋梁』を作って、魔力の流れを相互に循環・強化していたのね! それでこれだけの質量の巨石を動かすことができるんだわ。しかも魔力線が神経のように岩の末端まで行き渡っていて……これが天然で作られるなんて凄すぎる! めちゃくちゃ参考になるわぁ……!』
ぶつぶつと専門用語を並べ立て、虚空に光の数式を書きなぐりながら、イブリンは天然のゴーレムの構造解析に没頭していた。
その様子を、少し離れた安全な岩肌に寄りかかりながら、ウォルターは水筒の水をあおりつつ半眼で眺めていた。強化魔法の反動による凄まじい疲労感は、十分ほどの休息を経てようやく、なんとか自力で歩ける程度にまで回復してきている。
「……おい、イブリン。そろそろその石、掘り出しても良いか」
『あと五分……お願い、あと五分だけ待って! もう少しで回路の完全な解析が完了するから!』
「お前、一時間前にも全く同じこと言ってなかったか?」
『言ってないわよ! まだ十分くらいしか経ってないでしょ!』
「ぼくの体内時計は正確なんだ」
実際のところ、倒してからまだ二十分ほどしか経過していなかったが、疲労困憊のウォルターにとっては一時間にも感じられた。
とはいえ、特に急ぐ理由もない。入ってきたトンネルは完全に土砂で塞がれてしまっているため、どうせ自力で壁をぶち抜いて帰らなければならないのだ。急いだところで、疲労が溜まった身体ではまともに作業もできない。
ウォルターは「まぁ別に急いではいないけどな」と呟き、ゆっくりと腰を上げた。
体力が底を脱した彼がまず向かったのは、入り口を塞いでいる土砂の山だった。
その下には、先ほどの崩落で手放してしまった『最新式携帯魔導掘削機』が埋まっているはずである。これを取り出さなくては、硬い岩盤を抜けて外に出ることは不可能に近い。
「ええと、この辺りに埋まっているはずだが……」
ウォルターは愛用のツルハシを使い、崩れた岩と土砂を慎重にどかしていく。下敷きになっている機械のモーターやシールド発生器をツルハシの刃で傷つけないよう、最後は素手で土を掻き分けた。
やがて、土砂の中から鈍い銀色の金属ケースが顔を出した。
「……あった」
ウォルターは両手で大切に掘削機を抱え上げると、ふぅっと安堵の長いため息をついた。百万ギニーの大金をつぎ込んだ、職人としての魂とも言える最新の相棒である。
外装の金属ケースにはいくつか擦り傷がついていたが、致命的な破損は見当たらない。ウォルターは自分の作業着の袖で、表面にこびりついた砂埃や泥を我が子を撫でるように優しく、丁寧に拭き取ってやった。無事でいてくれたことへの、底知れぬ感謝と安堵が胸に広がる。
密室に閉じ込められ、外界からの退路を完全に断たれているというのに、ウォルターとイブリンの間には悲壮感というものが微塵も存在しなかった。
一人は新しいおもちゃを与えられた子供のように解析に夢中になり、もう一人は高価な仕事道具が無事だったことに心底ホッとしている。二人のマイペースすぎる時間は、地中の星空の下でひっそりと流れていた。
* * *
一方その頃。
地上のダンジョン組合保安管理課のフロアでは、怒号と悲鳴が入り混じる大パニックが巻き起こっていた。
「おい、エマ! 第六区画に入っていた巡視隊からの緊急報告だ! 第六区画の最深部、第四区画との境界付近で、大規模な土砂崩れが発生したらしいぞ!」
血相を変えて飛び込んできた泥だらけの鉱夫の報告に、カウンターの奥で書類整理をしていたエマは、持っていたバインダーを床に取り落とした。
「……第、六区画……ですって!?」
「ああ! ものすごい地鳴りが響いて、坑道の一部が完全に塞がっちまったそうだ!」
その言葉を聞いた瞬間、エマの頭の中が真っ白になった。
今朝、誰よりも早くあのゲートをくぐり、まさにその場所へと向かっていった無愛想な青年の顔が脳裏にフラッシュバックする。
「第六区画には……ウォルターさんがいます!!」
エマの悲痛な叫びに、フロアにいた全員の動きがピタリと止まった。
「ウォルターが巻き込まれただと!? 馬鹿な、よりによってどうしてまた第六区画の奥なんかに!」
騒ぎを聞きつけて査定購買課から飛び出してきたゴードンが、血相を変えてカウンターに歩み寄る。
「今朝、入窟手続きをしていきました……。あの巨大な魔導石が埋まっていた場所に、まだ掘り残しがあるはずだからと……!」
エマの言葉に、ゴードンは報告に来た鉱夫の肩を掴んで激しく揺さぶった。
「現場で、あいつの姿は確認できたのか!?」
「い、いまのところ人の姿は見てないぞ! ただ、崩落現場のすぐ手前に『新しいトンネルの掘削跡』があったらしい! ウォルターの奴がそのトンネルの奥を掘っていたとしたら、間違いなく閉じ込められているか……あるいは、完全に生き埋めになっているかだ……!」
「……っ!」
エマは急激な立ちくらみを起こし、その場に倒れそうになった。木製の重厚なカウンターに必死にしがみつき、なんとか姿勢を保持する。
もし生きているとしても、密閉された空間の空気が持つのは長く見積もっても一日だ。二十四時間以内に掘り起こして救出できないと、確実に命が危ない。最悪の事態の想像が、どろどろと胸の奥底に渦巻いていく。
「ウォルターさんは……ウォルターさんは、絶対に生きてます! あんなところで死ぬような人じゃありません! 急いで救出班を組織してください!」
エマの悲痛な叫びに呼応するように、フロアにいた屈強なドワーフの鉱夫たちが次々とツルハシを手に立ち上がる。
「おうよ! 数年前の崩落事故で、俺たちの仲間を命がけで救ってくれたのはウォルターだ!」
「今度は俺たちがアイツを助ける番だ!」
長年現場で生きてきた元・石工であるゴードンも、たまらず太く重厚な声を張り上げた。
「保安管理課の連中だけじゃ手が足りねぇ! 手の空いてるベテランは俺についてこい! 第六区画の岩盤ごとぶち抜いてやる!」
組合本部が総力を挙げた決死の救出作戦。
地上では今まさに、ウォルターの命を繋ぐための緊迫した戦いが始まろうとしていた。
* * *
そんな地上の悲痛な緊迫感や大騒動とは、全くの無縁である地下の密室。
『……ふぅ、遅くなったわね。やっと解析完了したわ!』
満足そうに額の汗を拭うような仕草をして、イブリンのホログラムがくるりと宙返りをした。
「こっちも掘削機を無事に掘り出せたぞ」
ウォルターは、膝の上に置いた砂まみれの掘削機を指さした。
『あら、良かったじゃない……で、ちゃんと動くの?』
「ああ。問題ない」
そう言ってウォルターは、掘削機のスイッチを入れてみた。心地よい駆動音と共に刃が回転し、試しにすぐ横の岩壁に押し当てると、豆腐のようにあっさりと岩盤を数十センチほど削り取ってみせた。これなら、問題なく脱出用のトンネルを開通させられる。
「それじゃあ、本体の魔導石を掘り出しても良いか?」
『良いわよ! 傷つけないように慎重にお願いね』
ウォルターは掘削機を置き、再びハンマーと平たいノミを手に取った。
先ほどの巨大な群青色の魔導石を掘り出した時と同じように、極限の集中力でノミを振るう。ゴーレムの岩の頭蓋の奥、最も強固に守られていた中枢部分の岩を少しずつ削ぎ落としていく。
「そういえば、ずいぶんとこの魔導石の構造を気にしてたみたいだけど、何か特殊なものでもあったのか?」
カンッ、カンッと規則的な打撃音を響かせながら、ウォルターが尋ねた。
『ええ。あの二つの石を繋ぐ魔力橋梁のシステムが、私が失った実体を取り戻すための大きなヒントになるかと思ってね』
「なるほど……。で、成果はどうなんだ?」
『うふふ……。地上に帰ったら、ゆっくり見せてあげるわ』
自信満々に笑うイブリンに、ウォルターは淡々と相槌を打った。
「そうか」
『なによそのそっけない返事。天才魔導師の世紀の大発見なんだから、もっと身を乗り出して楽しみにしなさいよ!』
「してるしてる。ものすごく期待してるよ」
『絶対に思ってないわねそのトーンは!』
そんな軽口を叩き合いながら、ウォルターはついにゴーレムの頭部から、二つの青白い魔導石を完全に分離して取り出すことに成功した。
ゴロン、とウォルターの掌に転がり落ちたのは、意外にも小ぶりな石だった。
手のひらに収まる程度の、完全な球体の結晶が二つ。純度は高いものの、これ単体で、あの身の丈三メートルを超える六脚類の巨大ゴーレムを作り出し、暴れ回るほどの強大な力を秘めているようには到底思えなかった。
『見た目は普通の小粒な魔導石なのにね』
イブリンが空中に浮かびながら、その二つの石を覗き込んだ。
『でも、この二つの石の間に目に見えない魔力の橋梁ができたことで、片方の石が放出した魔力をもう片方が吸収・増幅して送り返すというブースト回路が形成されていたのよ。魔力生成所みたいな、都市一つを動かすような強大な魔力を必要とするシステムで使われる技術なんだけど……まさか、それが天然のダンジョン内で、自然発生的に出来上がっているなんて、本当に珍しいわ』
興奮した様子で早口に解説してくれるイブリンの言葉に、ウォルターは目を丸くした。
「ふうん……そういうものなのか。自然の力というのは、時に人間の技術を軽く凌駕するんだな」
『ええ。そして、その強大な魔力を使って、この空洞もゴーレム自身が作り出したものなのかもしれないわね』
その言葉にハッとして、ウォルターは改めて辺りを見回した。
先ほどまでは暗闇と死闘のせいで気づかなかったが、ランタンの光で照らし出されたこの巨大な空洞は、見事なまでに綺麗なドーム状をしていた。自然の崩落や地下水脈の浸食によってできた歪な形ではない。明らかに、何者かが意図的に空間を押し広げ、削り出して作った人工的あるいは魔力的な構造物に見えなくもなかった。
「……なるほど。天然のトラップってのは、本当に奥が深いな」
ウォルターは感心したように呟き、二つの青白い魔導石をアダマンタイトの絶縁袋に丁寧にしまい込み、ポシェットの奥底へと収めた。
これで、この空洞での仕事はすべて完了だ。
「よし。戦利品の魔導石も回収したし、そろそろ外に出るぞ」
『了解! 早く帰って、私のご飯の時間にしましょ!』
ウォルターは立ち上がり、腰のホルスターにポシェットを固定すると、足元に置かれていた最新式携帯魔導掘削機を力強く構え直した。
そして、土砂で塞がれた入り口とは別の方角――地上への最短ルートとなる分厚い岩壁のポイントへと狙いを定め、轟音と共にドリルの刃を突き立て、新たなトンネルを掘り始めたのだった。




