第19話 空洞
一見すると、今日のダンジョンには普段と変わった様子は見られなかった。
時折、遠くの坑道から響いてくる他の鉱夫たちのツルハシの音。地下水が岩肌を伝って滴り落ちる微かな水音。そして、鼻を突く湿った土とカビの匂い。
ウォルターにとっては、いつも通りの退屈で危険な職場の風景だ。
だが、魔導ランタンの中で揺らめくイブリンにとっては、どうやら違うようだった。
『……ねえウォルター。気のせいかもしれないけど、魔力の流れが前回ここに来た時と変わっている気がするわ』
薄暗い螺旋坑道を下りながら、イブリンがホログラムの眉をひそめて周囲の岩壁を窺う。
「そうなのか? ぼくには違いがわからないな。いつも通り、ジメジメして陰気な空気って感じしかしないが」
『魔力を持たないあなたには見えないでしょうけど、ダンジョン全体がまるで呼吸をしているみたいなの。ただ、その呼吸がおかしいのよ。ダンジョンから外へ出ていく魔力より、下層へと吸い込まれていく魔力の方が圧倒的に多くなっているように感じるのよね』
「それはつまり、どういうことだ?」
『わからないけど……何らかの巨大なエネルギーの空白を埋めるために、ダンジョン自体が魔力をかき集めている。もしかしたら、下層で新しい異変や大規模なトラップが生まれようとしているのかもしれないわね』
「なるほど。それならいつも通りだな」
『……そうなの?』
ウォルターのあまりにも平坦な返しに、イブリンは目を丸くした。
「ダンジョンってのは生き物みたいなものだ。日々新しい異変やトラップが起こり得るし、昨日安全だった道が今日も安全だとは限らない。だから毎回、気は抜けないんだよ」
『ウォルターがそう言うなら、そういうものなのかしら……』
イブリンは少し気がかりだったが、長年この場所で生き抜いてきたプロの石工があえて平然としているのだから、これ以上異を唱えることもしなかった。
目的の第六区画に入るまでは、特におかしなことは起きなかった。
特に異変はなく、崩落の危険もない。第六区画に入り、一昨日にウォルターが一息に掘り進めた新しいトンネル跡に到着しても、周囲の岩盤は安定しており、以前と変わりがないように見えた。
あの百四十一万ギニーの大穴は、ぽっかりと暗い口を開けたまま静まり返っている。
「さて……それじゃあイブリン、魔導石を探してみてくれ」
『りょうかい』
イブリンのホログラムがランタンからフワリと抜け出し、宙に浮かび上がって指先を空間にかざした。
途端に、彼女の指先から無数の淡い光の粒子が生まれ、それが一本の細い光の筋となって、ダンジョンの岩壁へと真っ直ぐに伸びていく。
しかし、その伸びた光の先――分厚い岩盤の壁を見て、ウォルターが「おや」と首を傾げた。
『どうかしたの?』
「ぼくの記憶違いでなければ、この壁の向こうは『第四区画』との境界線の間だ」
『それがどうかしたの?』
「組合が発行している最新の地質図だと、第六区画と第四区画の間には、巨大な『空洞』が存在することが予測されているんだ。何が潜んでいるかわからないし、何より空洞を掘り抜いても魔導石の鉱脈はないから無駄骨になる。だから、いままで誰も手を出さずに放っておかれていた場所なんだよ」
『へえ! つまり、私は誰も見つけていない新発見をしたってことね!』
「……うーん、どうだろ?」
『なによ、私の魔力探知に不満があるの?』
「いや、不満はないが……まぁ、とりあえず壁を掘ってみないことにはわからないな」
ウォルターはそう言うと、背中に背負っていた『最新式携帯魔導掘削機』を下ろした。
『この前みたいに、私の身体強化の魔法、いる?』
イブリンが悪戯っぽく笑いかけるが、ウォルターは即座に首を横に振った。
「……いらない」
一歩歩くのすら困難になるあの凄まじい疲労感は、二度と味わいたくなかった。なにより、今日は大金叩いて手に入れた最新の掘削機がある。魔法の力に頼らなくても、自分の腕とこの道具で十分なんとかなるはずだ。
ウォルターは早速、新品の掘削機の鋭いドリル先端を岩壁に据え付け、動力のスイッチを入れた。
甲高いモーター音と共に、魔力駆動の刃が猛烈な勢いで回転を始める。
「……やっぱり魔導具は便利だな。ダンジョンだとシールドを貼り付けないと使えないとはいえ」
ウォルターが感心したように呟くと、横で見ていたイブリンが不満そうに腕を組んだ。
『ねえ、さっきから思ってたんだけど、この掘削機になんでシールド後付けしたの? 魔力を外に漏らさないように封じ込めた分、動力の伝達ロスが発生してるわよ。この掘削が終わったら、私がもっと高出力が出るように回路を改良してあげるわ』
「壊すのはやめてくれ。高かったんだ」
『壊したりしないわよ! 魔導石とモーターを繋ぐ回路の無駄を省いて、直結に修正するだけよ』
自信満々に言うイブリンに、ウォルターはドリルを押し込みながら呆れたようにため息をついた。
「いいか、イブリン。魔導具のシールドってのはな、ただの飾りじゃないんだ。魔力が外に漏れないようにするための『安全装置』なんだよ。ダンジョンってのは、極めて純度の高い魔力溜まりみたいな場所だ。そこに、外から持ち込んだ異質な魔力……しかも機械で増幅された高出力の魔力が漏れ出したらどうなると思う?」
『……どうなるの?』
「ダンジョンの環境が過剰反応を起こすんだよ。漏れた魔力が地脈に干渉して、局地的な地震や落盤を引き起こしたり、最悪の場合は岩石が変異して強大な魔物を生み出したりする。いわゆる『異変』だ。だから、組合の規定でもシールドされていない魔導具の使用は厳しく罰せられるんだよ」
『……そうなの?』
「なんで、王立魔導学院の天才がそんなことも知らないんだ」
『だ、だって、生命工学の研究ばかりしてたから、土木用の工具の安全基準なんて作ったこともないし、気にしたこともなかったもの!』
「……ぜったいに君には触らせない。約束しろ」
『えー、ちょっとくらい弄らせてくれてもいいじゃない!』
「君のおもちゃじゃないんだ。これはぼくの命を預ける、大事な仕事道具なんだ」
そんな口論を交わしながらも、ウォルターの手元は微塵も狂わなかった。
最新式掘削機は、まるで柔らかいバターに熱したナイフを沈めるかのように、分厚い岩盤をあっという間にくり抜いていく。
やがて重苦しい音と共にドリルの先端の抵抗がフッと消えた。
「……貫通したぞ」
ウォルターが掘削機を引き抜くと、そこには人が一人くぐり抜けられるほどの穴が開いていた。
穴の向こう側からひんやりと冷たい風が吹き込んでくる。
それは、ただの地下の冷気ではなかった。何百年、あるいは何千年も密閉され、誰の目にも触れることなく澱んでいた、カビと濃密な魔力が混ざり合ったような『重く不気味な匂い』を孕んだ風だった。
『ここが、さっき言ってた空洞ね』
「たぶんね」
イブリンの放った探知の光の筋が、壁に開いた穴を通って、空洞の深い闇の中へと一直線に吸い込まれていく。光の筋を中心にぼんやりと周囲の空間が照らし出されるが、反射するような巨大な鉱脈や物体は見当たらず、ただ暗闇の中でチリが微かにきらめくだけだった。
ウォルターとイブリンは、崩れないように慎重にトンネルをくぐり抜け、未知の空洞へと足を踏み入れた。
中は予想以上に広く、声を出せば不気味な反響音を返してきそうなほどの静寂が支配していた。肌を刺すような冷たい空気が、ウォルターの背筋に嫌な汗をかかせる。
「イブリン。ランタンの明かりをもう少し強くできるか? 可能なら、この空間の全体像を見たい」
『お安い御用よ。魔力供給、最大出力――』
イブリンがランタンの光量を上げようと詠唱を始めた、その直後だった。
背後で、鼓膜を破るほどの巨大な爆音と地鳴りが響き渡った。
驚いて振り返ったウォルターの目に飛び込んできたのは、もうもうと舞い上がる土煙と、完全に土砂と岩で塞がれてしまった、先ほどのトンネルの入り口だった。
「……嘘、だろ?」
ウォルターは顔面を蒼白にさせ、信じられないものを見る目で崩落跡を凝視した。
あの最新式掘削機は、ただ物理的に穴を開けるだけの魔導具ではない。削り出した岩の粉塵を魔力で瞬時に硬化させ、空けたトンネルの壁面が絶対に崩れないよう『補強』する機能が付随しているのだ。
脆い砂岩の地層や、激しい地下水脈を不用意に掘り当てたのでもない限り、あんなにも容易く、しかも一瞬で崩落するなど物理的にあり得ないことだった。
『なに今の音? トンネルが崩れたの!?』
イブリンもホログラムの顔を引き攣らせて叫んだ。
「そうみたいだ。まぁトンネルは掘り返せば良いだけだ」
冷静にウォルターは答える。その様子にイブリンも気分が落ち着いた。
『そうなの? じゃあ特に心配はいらないのね』
「……だといいんだが、あれは、自然に崩れたんじゃない」
ウォルターが冷や汗を流しながら、ギリッと奥歯を噛み締めた瞬間。
空気を切り裂く鋭い音と共に、暗闇の奥から飛来した『何か』が、ウォルターとイブリンの間を紙一重でかすめ飛んだ。
背後の岩壁に激突したそれは弾け飛んで粉々に砕け散る。
「なんだ!?」
飛んできた破片を見ると、それはただのいしつぶてだった。しかし、大の男が全力で投げた程度では、岩壁に当たってあんな風に粉砕することなどあり得ない。まるで大砲から撃ち出されたような異常な威力だ。
ウォルターが咄嗟に掘削機を構え直し、石礫が飛んできた暗闇の奥へと鋭い視線を向ける。
土煙がゆっくりと晴れていく中、絶対的な静寂に包まれた空洞の奥底に、ふたつの『青白い光』がフワリと浮かび上がった。
それは何か巨大な生物の眼のようだった。
そして――イブリンの指先から伸びている魔力探知の光の筋は、その恐ろしい青白い眼を持つ存在の中心へと、寸分の狂いもなく真っ直ぐに繋がっていたのである。




