第18話 第六区画
朝の柔らかな日差しが差し込む、ウォルターが住むマンションの一室。
いつもなら土埃と油の匂いが漂う殺風景な部屋だが、今朝は少し様子が違っていた。部屋の中央に置かれたテーブルの上で、ランタンから投影された無数の金色の光線が、複雑な幾何学模様を描きながらゆっくりと回転していたのだ。
その光の中心で、等身大のイブリンのホログラムが腕を組み、ひどく神妙な顔つきで宙を睨みつけていた。
「朝からなに難しい顔をしてるんだ」
キッチンで淹れた安物のコーヒーを片手に、ウォルターが声をかけると、イブリンはホログラムの視線をわずかに動かして言った。
「一昨日、あなたが第六区画の奥で掘り出してくれた巨大な群青色の魔導石、あるじゃない? 百四十一万ギニーの大金に化けたやつ」
「ああ、それがどうかしたのか?」
「私の見立てでは、あの魔導石の中心に刻まれていた天然の術式こそが、私をこんな姿に変えた元凶だと思っていたの。で、実際にあの場で掘り出した時にこの目で回路を確認して、それは確信に変わったわ」
ぶどうに目はないはずだが、そこは気にしてはいけないのだろうな、とウォルターは内心で思いつつ、コーヒーをひとくち啜った。
「それで、組合に持って行く前に、私の眼に焼き付けたあの魔導石の回路を丸ごとホログラムとしてコピーして、ここ二日間、徹夜でずっと解析していたのよ」
「なるほどな。で、成果はあったか?」
「それが……」
イブリンは悔しそうに唇を噛み、金色の幾何学模様を手でかき消した。
「全然なくて。術式の構造が、現代の生命工学の常識からあまりにもかけ離れすぎているのよ。どこから解きほぐせば呪いが解けるのか、手がかりすら掴めない。どうしたものかと悩んでいるのよ」
「そうか」
ウォルターは短い相槌を打つと、テーブルにコーヒーカップを置いた。
「そうか……って、他に言い方はないの?」
あまりにもそっけない反応に、イブリンは不満げに頬を膨らませた。
「そんなこと言われてもなぁ……。ぼくは石の扱いなら誰にも負けない自信があるが、目に見えない魔法の構造や呪いの解呪なんて専門外もいいところだ。それに、ぶっちゃけた話、ぼくが困っているわけでもないしな」
「……え? 困ってないの?」
「そりゃそうだろ。君が人間に戻れるかどうかは、あくまで君自身の問題だ。ぼくの仕事には何の影響もない」
正論にして暴論。あまりにも冷たくドライな言い草に、イブリンは「この男は本当に血が通っているのか」と絶句しかけた。
しかし、彼女が文句を言う前に、ウォルターは事もなげに言葉を続けた。
「それに、いまの君は十分役に立ってる。こうして魔力探知もできるし、いざとなればバフもかけられる。飯だって大して食わないし、金もかからない。困る要素がない」
「……なーほーね」
イブリンは少し意地悪な笑みを浮かべ、ウォルターの顔を下から覗き込むようにした。
「じゃあ、私が人間に戻る術を見つけるまでの当面の間……ずっと私の面倒を見てくれるってわけね?」
「そうだな。約束通り、美味い肥料くらいは買ってやるよ」
一切の照れも躊躇いもなく、ウォルターは即答した。
そのあまりにも自然で、当然のことのように言い切る態度に、今度こそイブリンは完全に拍子抜けしてしまった。
――面倒くさがって、嫌がられるかと思っていたのに。
ホログラムの奥底で、胸のあたりがトクンと跳ねる。自分の存在がこの男にとって「いて当たり前」の日常の一部として受け入れられていることが、どうしようもなく安心したし、嬉しかった。
「……うふふっ」
堪えきれず、イブリンの口から自然と笑い声が漏れた。
「なんだ、急に笑い出して」
「ナイショ」
ホログラムの頬がうっすらと赤く染まっているのを隠すように、イブリンはそっぽを向いた。
「変なやつだな」
「あなたにだけは言われたくないわね」
軽口を叩き合いながら、ウォルターは部屋の隅に置かれた大きな木箱へと歩み寄った。
「それはそうと、今日はダンジョンに行くぞ」
「えっ? もう?」
「驚くことじゃないだろ。昨日一日かけて、オズワルド・マテリアルで買った『最新装備』のメンテナンスと調整も終わったし、試すにはいい頃合いじゃないか」
そう言って、ウォルターは木箱の中から真新しい装備を取り出した。
それは、鈍い銀色の光沢を放つ『最新式携帯魔導掘削機』と、衝撃を完全に吸収するという『トルク調整式の柄』だった。
魔導石のエネルギーを超高速の回転運動に変換する掘削機は、洗練されたフォルムで、手に持つだけでかすかな魔力の駆動音が心地よく響く。
「見ろよこれ。旧型と比べてモーターの出力が段違いだ。しかもこのトルク調整柄があれば、どんな硬い岩盤に打ち込んでも腕への反動を最小限に抑えられる。まさに職人のための芸術品だな……!」
まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように、目をキラキラと輝かせながら掘削機の刃の手入れをするウォルターを見て、イブリンは呆れたように息を吐いた。
「百万ギニー以上のお金を手に入れて、一番にやることが仕事道具の買い替え。……本当に、呆れるくらいの仕事熱心なのねぇ」
「君が寝食を忘れて魔法回路をずっと解析し続けられるのと同じだよ」
「……なーほーね」
自分の専門分野に対する異常な執着。その点においては、天才魔導師もプロの石工も、似た者同士なのかもしれない。
新しい装備一式を腰のホルスターと背中にしっかりと固定し、ウォルターは意気揚々とアパートを出た。
胸元の革帯には、イブリンの入った魔導ランタンがしっかりと結びつけられている。
朝の活気に満ちた街を抜け、ダンジョン組合の建物に到着すると、ウォルターは入窟手続きのために「保安管理課」の窓口へと向かった。
「おはようございます、エマさん」
「あっ、おはようございます、ウォルターさん! ……って、わぁ!」
カウンターの奥で書類を整理していたエマは、ウォルターの姿を見るなり目を丸くした。
「すごい! 装備、全部新調したんですね!? その腰の掘削機、カタログでしか見たことない最新モデルじゃないですか!」
「ええ。この前の魔導石で余裕ができたので奮発しました。これで採掘効率が飛躍的に上がりますよ」
得意げに笑うウォルターを見て、エマも嬉しそうに微笑んだ。一昨日の死にかけの幽霊のような顔色から一転、今日の彼はエネルギーに満ち溢れている。
「それで、ウォルターさん。今日はどの区画に入るおつもりですか?」
エマがバインダーにペンを走らせながら、業務上の必須事項を尋ねてきた。
「第六区画に行きます」
「……えっ? 今回も、第六ですか?」
エマの手がピタリと止まり、少し不安げな表情を浮かべた。
「あの特大の魔導石を掘り出した場所ですよね? あそこには、まだ何かすごいお宝が埋まっていそうなんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんですが……」
ウォルターは少し声を潜めて言った。
「あれだけ巨大で高純度な魔導石が地脈から抜け落ちたんだ。ダンジョン内の魔力の流れや、岩盤のバランスに変な影響が出ていないか気になって。……とりあえず、昨日までは他の中隊からの報告で、おかしなことは起きていませんでしたよね?」
「はい。昨日も何組かのパーティーが第六区画に入りましたが、地盤沈下や魔物の異常発生といった報告はあがっていません」
エマが書類を見返しながら答える。
「それに」とウォルターは少しニヤリと笑った。
「職人の間のジンクスみたいなものですが、ああいう巨大な魔導石が埋まっていた場所の周辺には、その恩恵を受けた『小さな高純度の魔導石』がまとまって見つかることも多いんですよ。いわゆるおこぼれってやつです」
「ああ……なるほど! それで昨日、他の鉱夫の皆さんもこぞって第六区画に足を運んでたんですね!」
「えっ、そうなんですか!? しまった、一足遅かったか……!」
同業者たちに先を越されたと知り、ウォルターはあからさまに悔しそうな顔をした。
「どうでしょう? 皆さん意気揚々と向かっていきましたけど、帰ってきた時は手ぶらでブーブー文句を言っていましたから、あまり成果は出なかったみたいですよ?」
「そうですか……深い地層に隠れているのかもしれないな。まぁ、とりあえず行ってみますよ」
「はい! 新しい装備の無理な使いすぎには気をつけてくださいね。いってらっしゃいませ!」
エマに見送られ、ウォルターはダンジョンへと続く巨大な鉄柵のゲートをくぐった。
カチャリ、とランタンに火を灯す。純白の光が、新調した銀色の携帯掘削機を鋭く照らし出した。
『ねえウォルター。他の鉱夫が見つけられなかった石、私なら見つけられると期待してるんでしょ?』
暗い螺旋坑道を下り始めた途端、ランタンの中からイブリンの得意げな念話が響いた。
「そうだよ。期待してる」
『ふふ……任せなさい!』
軽口を叩き合いながら、二人は足早に地下へと降りていく。




