第17話 採掘中毒
硬いバゲットと干し肉を腹に入れ、しばらく岩壁に寄りかかって休んでいると、底を突いていた体力がわずかに回復してくるのを感じた。
ウォルターは「ふぅ」と一つ長い息を吐くと、膝に手をついてゆっくりと立ち上がった。全身の筋肉はまだ悲鳴を上げているが、動けないほどではない。
「よし。じゃあ、もう少し奥の層に行ってみるか」
岩肌に立てかけてあったツルハシを背負い、事もなげにそう言ったウォルターを見て、ランタンの中のイブリンがギョッとしたように声を上げた。
『えっ? ちょっと待って、帰らないの!?』
「帰る? どうしてだ。ダンジョンに潜ってから、まだ一日も経ってないだろ。食料も水も数日分あるし、ツルハシの刃も欠けてない。まだまだ採掘できるぞ」
『やめた方が良いんじゃないかしら……』
「だから、どうして?」
首を傾げるウォルターに、イブリンはホログラムの額に手を当てて深くため息をついた。この男は、仕事のこととなると自身の肉体の限界というものを全く考慮しないらしい。言葉で言っても聞かないなら、物理的に証明するしかなかった。
『……口で説明するより、目で見た方が早いわね』
そう言うと、イブリンはホログラムの指先をウォルターに向け、何やら複雑な印を結んで魔法を放った。
ウォルターは咄嗟に身構え、たじろいだ。
「おい、また変な魔法をかけたな!? これ以上どっと疲労が押し寄せるやつなら、絶対に嫌だぞ!」
『そんな意地悪はしないわよ』
イブリンは不満げに口を尖らせた。
『これは『体力を視覚化する』魔法よ。人間の魔力……つまりは生命エネルギーを、光の色と量で外部に示すもの。特に身体への影響はないわ』
「それは良かった……。で、この光はどういう状態なんだ?」
ウォルターが自身の手のひらや胴体を見下ろす。彼の身体の輪郭に沿って、まるで薄いオーラのように『赤黒い光の層』がゆらゆらと包み込んでいた。しかもその赤い光は、警告を促すようにチカチカと不吉な明滅を繰り返している。
『見た通り、体力がだいぶ失われているわね。赤い光は『いつ倒れてもおかしくない危険な状態』であることを示していて、光の層の厚さは残っているエネルギーの量……今のウォルターの命の火が、風前の灯火みたいに弱々しいことを示しているわ』
「ぼくは元気だぞ。まだまだ岩を砕ける」
『嘘おっしゃい。激しい疲労感が抜けている訳じゃないでしょう? 仕事への異常なやる気が出ているから鋭く光り輝いてるけど、精神力で誤魔化すにはもう危うい線だわ』
「……」
イブリンの理詰めの指摘に、ウォルターは返す言葉がなかった。
強い疲労感があり、鉛のように身体が重いのは事実だったからだ。
『きょうのところは大人しく帰りましょう。あの巨大な魔導石を掘り出したんだから、今回の成果としてはもう充分じゃない』
「そうは言ってもなぁ……なんかこう、物足りなさがあるんだよなぁ」
『完全な採掘中毒ね』
イブリンは呆れ果てたように肩をすくめた。
「だいたい、ぼくがこんなに疲労しているのは、君が変な魔法をかけたせいじゃないのか?」
『私のせいじゃないわよ!』
イブリンはムキになって言い返した。
『大体あなた、自分で『仕事の総量は変わらない』って理屈を理解してたじゃない。最終的な疲労は何も変わらないわよ。本来ならもしかしたら二日がかりの仕事を、半日で終わらせたってだけよ。カロリーを一気に消費したから、体重だって減ってると思うわ。魔法を使うまでもなく頬がこけてやつれて見えるし、悪いことは言わないから帰って休んだ方がいいわ』
イブリンの、いつになく真剣で心配そうな表情に気圧される形で、ウォルターは渋々うなずいた。
「……わかった。帰ることにするよ」
『うん』
イブリンが指を鳴らすと、ウォルターの身体から赤い光がスッと失われ、同時に彼女のホログラムもランタンの中へと消えていった。
『さ、帰るわよ』
「はいはい」
ウォルターは巨大な魔導石をポシェットに慎重にしまい込み、重い足取りで地上への緩やかな螺旋坑道を登り始めた。
地上へ向かう帰り道、これから下層へ向かおうとする何人かの同僚とすれ違った。彼らは一様に、すれ違いざまにウォルターの顔を見てギョッと目を丸くし、異口同音にこう言った。
「今回も長く潜っていたのか?」
「顔色が悪いぞ。ずいぶん疲れてるみたいだな……倒れる前に早く地上に戻れよ」
ダンジョン内には鏡がないため、ウォルター自身には自分の顔がどうなっているのかよくわからなかったが、どうやら傍目にも疲労困憊なのがハッキリとわかるレベルらしい。
ようやくダンジョンの鉄柵ゲートを抜け、地上にあるダンジョン組合の建物へと戻ってきた。
初夏の眩しい太陽の光が目を刺す中、ウォルターは重いズダ袋を引きずるようにして、入窟手続きの解除を行うために「保安管理課」の窓口へと向かった。
カウンターの奥に座っていたエマは、近づいてくるウォルターの姿を認めた瞬間、持っていたバインダーを取り落とし、目を限界まで丸くして立ち上がった。
「う、ウォルターさん!? 今回は早く戻っ……て、一体なにがあったんですか!? ずいぶんお疲れのよう……というか、ゲッソリしてるじゃないですか!」
「ああ、エマさん。いや、ちょっと奥の層で大きな魔導石を掘っていたんですよ」
ウォルターが力なく笑うと、エマはカウンターから身を乗り出して捲し立てた。
「こんな短期間でやつれるなんて……一体どんな危険な仕事をされたらそんなことになるんですか! もっとご自分の身体を大事にしてください!」
本気で心配して怒ってくるエマの剣幕に押され、ウォルターは反省したようにコソコソと俯いた。そして、胸に抱えたランタンに向けて、小声で念話を飛ばした。
「(おい、イブリン。お前のせいで叱られたじゃないか)」
『私のせいじゃないわよ、多分』
ランタンの中から、いかにも他人事のようなイブリンの返事が脳内に響く。
「ちょっと、ウォルターさん! 聞いてるんですか!?」
「あ、はい……すいません」
「まったく、そんなんだと……彼女さんが心配するでしょう?」
少し言い淀みつつ、エマは上目遣いでチクリと刺すように言った。
「……彼女?」
ウォルターは本気で誰のことを言われているのかわからず、間の抜けた声を出した。
「ほら、一緒に住んでらっしゃる方ですよ」
「ああ……あいつなら心配いらないですよ」
「ウォルターさんが心配するかどうかの話をしてるんじゃなくてですね……!」
致命的なまでに乙女心を理解しないウォルターの返答に、エマは深い深いため息をついて頭を抱えた。
「……まぁ良いです。とにかく無事に帰ってきてくれたんですから」
エマの小言からどうにか解放され、入窟解除の手続きを終えたウォルターは、そのまま隣のフロアにある「査定購買課」の窓口へと向かった。
カウンターの奥では、ベテラン査定員のゴードンが書類仕事に追われていた。
「こんにちは。今回の魔導石です」
ウォルターはポシェットから魔導石を取り出してカウンターに置いた。重々しい音がフロアに響き渡った。
瞬間――信じられないほど深く、そして透明な『群青色の光』がフロア中にパッと広がった。
「…………っ」
ゴードンは持っていたペンを落とし、目を見開き、口をパクパクと金魚のように動かした。彼は震える両手でズダ袋の口を大きく広げ、その中に鎮座する巨大な魔導石を食い入るように見つめた。
「こ、これは凄い……! 長年この仕事をしてきたが、今まで見た中で一番大きくて、信じられないほど純度も高い……!」
ゴードンのただならぬ様子と、カウンターから漏れ出す尋常ではない魔力の光に気づき、査定購買課の他の職員や、たまたま居合わせた魔導石工たちが何事かとわらわらと集まってきた。
ウォルターの持ち帰った石を見た瞬間、荒くれ者たちの間にどよめきが走った。
「おい嘘だろ、こんな大きいものが存在するのかよ!」
「純度が桁違いだ。王族の宝物庫の品でもこんな極上品はねえぞ」
「こんなものを細かく砕いて加工するなんて、もったいないな」
「いっそ国に天然記念物の申請をした方が良いかもな!」
「組合のロビーに飾ろうぜ!」
周囲が興奮のるつぼと化す中、ゴードンはハンカチで額の汗を拭いながら、どこか悔しそうな、申し訳なさそうな顔でウォルターを見た。
「ウォルター……。鑑定額は組合の規則に則って算出せざるを得ない。うちの規定では、魔導石の値段はあくまで『重量』と『魔力純度』の掛け合わせでしか評価されないんだ。この石の歴史的な希少価値を加味する項目が存在しない」
ゴードンは深くため息をつき、頭を下げた。
「だから、規則通りにはじき出された金額は……百四十一万四千ギニーだ。こんな歴史的遺物に対して、希少性を無視してただの石と同じ計算式を当てはめ、安く買い叩くような真似しかできない自分が情けない。本当にすまない」
百四十一万四千ギニー。
一生遊んで暮らせるような大富豪の額ではないが、普通の鉱夫の生活水準なら、しばらく働かなくても生活費の心配を一切せずに悠々自適に暮らせる大金だった。半日の仕事の成果と考えれば、十分に破格のボーナスである。
ウォルターは顔色一つ変えずに淡々と頷いた。
「十分すぎる金額ですよ。ゴードンさんの最大限のお気遣い、ありがとうございます」
「この石、組合のショーケースに飾る時には、採掘者名としてお前の名前を載せても良いか?」
「別に構いませんよ」
手続きを終え、分厚い札束が詰め込まれた革袋を受け取ったウォルターは、周囲の羨望の眼差しを背に受けながら組合の建物を後にした。
外に出ると、初夏の夕暮れの風が心地よく吹き抜けていた。
周囲に人がいなくなったのを見計らい、胸のランタンの中からイブリンがウキウキとした弾むような声で話しかけてきた。
『やったわね、ウォルター! 百四十一万ギニーよ! これでしばらくは生活費の心配もしなくていいし、美味しいものを食べて、悠々自適に暮らせるわね!』
イブリンが嬉しそうに言うと、ウォルターは革袋の重みを確かめながら、満面の笑みで頷いた。
「ああ……! この金があれば、前から狙っていた最新式の魔導掘削機が買えるし、トルク調整式の柄だって新調できる! これからもっともっと、仕事が捗るぞ!」
『……そ、そうね』
当分の生活が保証されるほどの大金を手にしてなお、彼の頭の中には「より効率よくダンジョンで働くこと」しかなかった。
ブレない男の呆れるほどの『採掘中毒』っぷりに、イブリンはランタンの中で、静かにため息をつくのだった。




