第15話 初めての共同作業
『がんばれー、がんばれー』
「……応援してくれるのは非常に嬉しいが、気が散るからやめてくれ」
真っ暗なダンジョンの奥深く。ランタンの白い光に照らされた岩壁の前で、ツルハシを構えたウォルターは深くため息をついた。
イブリンが示した『淡い虹色の魔力の筋』の先、つまりこの分厚い岩盤の奥に、規格外の魔導石が眠っていることは間違いない。しかし、相手はダンジョンの強固な岩壁である。これから数時間、あるいは半日かけてひたすら岩を砕き続けるという、途方もない肉体労働が待っていた。
にもかかわらず、ランタンの横と言う安全圏にフワリと浮かび上がった等身大のホログラムの少女は、まるで運動会を見学するような呑気なトーンで声援を送ってくるのだ。これではプロの石工としての集中力が削がれてしまう。
『むう。せっかく応援してあげてるのに。じゃあ……こういうのはどう?』
イブリンのホログラムがゆらめき、彼女が指先で空中に複雑な図形を描いた。
その瞬間だった。
「な、……!?」
ウォルターの身体を、温かく、そして力強い『光の膜』がふわりと包み込んだ。
まるで全身の筋肉がバネになったかのような、異常なほどの軽さと万能感が手足にみなぎってくる。手に持っている重さ数キロのミスリル合金のツルハシが、まるで木の枝か羽毛のように軽く感じられた。
「なにを……なにをした?」
自分の身体に起きた未知の現象に動揺するウォルターに、イブリンは悪戯っぽく微笑んで言った。
『つべこべ言わずに、とりあえずその壁を掘ってみたらわかるわ』
ウォルターは半信半疑のまま、言われた通りに岩壁に向かってツルハシを振り下ろした。
本来なら、硬い岩盤に鉄がぶつかる甲高い音と、手首を痺れさせる強烈な反動が来るはずだった。
しかし、ツルハシの先端は、まるで出来立ての柔らかいプリンか、あるいは温かいバターにナイフを入れたかのように、何の抵抗もなく岩盤に深く吸い込まれた。そのまま軽く手前に引くだけで、ボロリと巨大な岩の塊が崩れ落ちる。
「おぉ……!? なんだこれ?」
ウォルターは自分の手元と、えぐれた岩壁を交互に見比べて目を剥いた。
『ふふん。あなたの身体能力とツルハシの運動エネルギーを、岩を掘るのに『最適化』して強化したのよ』
「……そんなことまでできるのか。本当になんでもありだな」
呆れ半分、感心半分で呟くウォルターに、イブリンは可愛らしくウインクをして見せた。
『言ったでしょ? 私ほど偉大で天才的な魔導師にかかれば、造作もないことよ』
悔しいが、確かにこんなデタラメな魔法をぽんっと放つなど、天才以外の言葉は見つからない。
「これはありがたいな……。正直、ものすごく助かる」
『どういたしまして。さあ、どんどん掘りなさい!』
ウォルターは、イブリンが空中に示してくれている『虹色の魔力の流れ』に沿って、面白いように岩盤を掘り進めていった。小気味良い音を立てて、本来なら数時間かかるはずの硬い地層が、ものの数分で次々と崩れ去っていく。
ウォルターはふと、ツルハシを振るいながら素朴な疑問を口にした。
「もしかして、ぼくがこうして物理的に掘り進めなくても、イブリンが直接『岩を吹き飛ばす魔法』でも使って掘った方が早いのでは?」
『そうかもしれないけど……たぶん、いまの私じゃ魔力が持たないわ。魔導石を掘り当てる前に、私が魔力枯渇で衰弱死しちゃう』
「そうなのか。あれだけの光やホログラムを出せるのに?」
『光や映像を出すのと、質量の大きい岩を物理的に破壊するのとでは、必要なエネルギーの桁が違うのよ。そもそも魔力って、生きている『生命エネルギー』そのものだからね。いまの私は本体が小さな『ぶどう』だから、私が直接生み出せるエネルギーの総量はあまりにも少なすぎるのよ』
イブリンは少し悔しそうに肩をすくめた。
『ちなみにいま、あなたを強化しているこの魔法は、私じゃなくて『あなた自身の魔力(生命エネルギー)』をブースターにして使っているから。魔法が切れた瞬間、とてつもない疲労感に襲われるから覚悟してね』
「……おい。ちょっと待て、そんな話聞いてないぞ」
ウォルターの手がピタリと止まった。
『いま言ったじゃない』
「つまり、君の魔法でぼくが超人になっているわけじゃなくて、ぼく自身の未来の『元気』を前借りして、無理やり出力制限を解除しているだけじゃないのか、これ」
『正解。魔法ってそういうものよ。魔力保存の法則があるからね、無から有は生み出せない。仕方ないわね。その代わり、作業にかかる時間は劇的に短縮されるわ』
「単位時間あたりの消費エネルギーを極端に増やすことで時間を削っているだけで、結局、岩を削るための『総仕事量』や『疲労』は変わらないってことか……」
『そうね。だから、普通は魔法の反動を避けるために『魔導具』を使うのよ。魔導具なら、中に組み込んだ魔導石に予め魔力を貯めておけるし、外部から常に魔力を供給できるでしょ? でも、いまみたいに生身の人間に直接魔法をかけるとなると、自分自身の生命力を使うしかないからリスクが高いの』
「なるほどな……」
魔法というのは、夢のような万能の力に見えて、使い勝手の悪い代物なのだ。
人類が魔法そのものを人間が直接行使するのではなく、ランタンやトラムといった『魔導具』という機械的な形に落とし込んで活用するようになったのは、「魔導師でなくても魔法を使えるようにするため」だと学校で習った記憶があった。しかし、そもそもの理由として「人体に直接魔法をかけることの物理的リスクが大きすぎるから」という背景もあるのか……と、ウォルターは職人として妙に納得のいく新しい気づきを得ていた。
魔法のロジックについて語り合いながら小一時間ほど掘り進めた頃には、ウォルターたちの背後には、えぐり出された岩の残骸が小山のように積み上がっていた。
その時。
ツルハシの先端から伝わる感触と音が、わずかに変わった。プリンのように柔らかかった岩盤の中に、極めて硬く、それでいて微かに共鳴するような芯のある手応えが混ざったのだ。
『どうしたの?』
動きを止めたウォルターに、ホログラムのイブリンが声をかける。
「いや……たぶん、本命の魔導石のすぐ外側、境界層まで来た。ここからは、ハンマーとノミで掘る」
ウォルターは背中にツルハシを収め、代わりに腰のポシェットから、使い慣れた鉄のハンマーと平たいノミを取り出した。
どれだけ魔法で身体が強化されていようと、ここから先はツルハシのような大雑把な道具は使えない。万が一、刃先が魔導石の本体に当たって傷をつけてしまえば、石の価値は暴落し、最悪の場合は中に刻まれた『魔法回路』が破損して大暴走を引き起こす危険があるからだ。
『ずいぶんと地道な作業ね』
「仕事ってのはそんなもんだ」
ウォルターは岩盤にノミを当て、慎重に、まるで木材にカンナをかけて薄皮を剥いでいくかのように、岩壁を少しずつ削ぎ落としていく。
やがて、灰色だった岩肌の色が、徐々に虹色の美しいグラデーションを帯びて変色し始めた。周囲の魔力濃度が跳ね上がり、空気がパチパチと静電気を帯びる。
そして――分厚い岩の層が剥がれ落ちた奥から、ついに『それ』が顔を出した。
「これは……また、とんでもなく凄いのが出てきたな」
ウォルターは思わず息を呑んだ。
岩壁の奥に埋まっていたのは、両手の掌に乗せても余るほどの巨大な魔導石だった。
その色彩は、まるで深い夜空をそのまま結晶化させたかのような『極めて濃い透明な群青色』だった。色合いの濃さと、それに矛盾するかのような高い透明度。内部には不純物が一切なく、ただ純粋な魔力だけが凝縮されている証拠だ。
イブリンが空中に示していた『虹色の魔力の光の筋』が、まるで故郷に帰るかのように、その巨大な群青色の魔導石の中へと吸い込まれていく。
『……すごい! 見てウォルター、あの石の奥!』
イブリンのホログラムが、興奮した様子で石を指差した。
『石の中心に、金色の糸みたいなものが複雑に絡み合っているのが見える!? あれが天然の魔法回路よ! 間違いない、あれが空間を歪め、私をぶどうに変えたトラップの大元だわ!』
「そうなのか……ぼくにはよくわからないな」
ウォルターはその後も、手元のノミを正確に振るい続けた。
『傷つけずに掘り出せそう?』
「もちろん」
さらに繊細で丁寧な手つきで、ウォルターは魔導石の周囲の岩を削ぎ落としていく。イブリンの魔法による身体強化のおかげで、極度の集中力を要する精密作業であっても、指先に寸分の狂いも生じなかった。
瞬く間に、ウォルターは巨大な群青色の魔導石を、岩壁から無傷でポロリと取り出すことに成功した。
「……よし。抜けたぞ」
両掌に乗せた魔導石は、ずっしりとした心地よい重さをウォルターの腕に伝えてきた。これほどの純度と大きさの石。向こう一ヶ月は生活に困らないくらいにはなりそうだ。
『きゃあーっ! 凄い凄いっ! やったわねウォルター!』
きゃあきゃあと無邪気に歓声を上げ、ホログラムのイブリンがウォルターの周りをぴょんぴょんと飛び跳ねる。彼女のあまりの喜びように、ウォルターも自分の技術が絶賛されるのは悪い気はしなかった。
「ああ、大収穫だ。とりあえず、これで採掘の作業は終わりだ。魔法のバフはもういらないぞ」
『了解っ! お疲れ様!』
イブリンが笑顔で指をパチンと鳴らした。
その瞬間だった。
「――っ!?」
ウォルターの身体を包んでいた温かい光の膜がフッと消え去ったのと同時に、ドンッ、と目に見えない巨大な鉄塊が全身にのしかかってきたような、異常な重力に襲われた。
ドクン、ドクンと心臓が破裂しそうなほど高鳴り、全身の毛穴からぶわっと滝のような冷や汗が吹き出す。酸素が全く足りず、喉の奥からヒュー、ヒューという悲鳴のような呼吸音が漏れた。
「な、……い、イブリン……! なにを……!?」
息も絶え絶えに、ウォルターはその場に膝をついた。全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げ、指先一本すら自力で動かせないほどの極限の疲労感だった。
『だから、最初に言ったでしょ? 魔法が切れた瞬間、時間を短縮した分の凄まじい疲労が一気に襲ってくるって。数時間分の激しい肉体労働の疲労が、いま一秒で押し寄せてるのよ』
「なる、ほど……な……。そういう、ことか……」
ウォルターは手に入れたばかりの巨大な魔導石を落とさないように胸に抱え込んだまま、バタリと冷たい岩の床に倒れ込んだ。目の前がチカチカと点滅し、意識が遠のいていく。
「……もう、二度と……この魔法は、使わないで、くれ……」
床に這いつくばったまま、ウォルターはかすれる声で切実に懇願した。
『あらそう? こんなに早く掘れるのに。残念ね』
くすくすと笑うイブリンの声がダンジョンに響き渡った。




