第14話 岩の違和感
組合の鉄柵ゲートを抜け、緩やかな螺旋状の坑道を下っていく。
地下深くへと進むにつれて、外界の暖かな空気は完全に遮断され、肌を刺すようなひんやりとした湿気がウォルターを包み込んだ。足元は地下水で濡れそぼっており、分厚い革靴が石畳を踏むたびに、ぴちゃり、という冷たい音が暗闇の奥へと反響していく。
だが、今日のウォルターの視界は、いつもの何倍も明瞭だった。
彼が手に持つ旧式の魔導ランタン――その中に居候しているイブリンが放つ純白の光が、真っ直ぐにダンジョンの暗がりを切り裂き、広範囲を照らし出しているからだ。
普通の鉱夫が使う安物のランタンでは、ぼんやりと黄色がかった光しか出せず、数メートル先を見るのがやっとだ。しかし、この規格外のぶどうの天才魔導師が放つ光は、まるで真昼の太陽を凝縮したかのように白く、そして強い。
ダンジョンの壁面を覆う濡れた岩肌が、その強烈な白い光を乱反射し、まるで細かな宝石を散りばめたようにキラキラと輝いていた。
「……よく見える。足元の亀裂や、岩の地層の境目までくっきりと分かるな」
プロの石工として、ウォルターは純粋な感嘆の声を漏らした。
『ふふん。さっそく役に立ったでしょう』
ランタンの中から、得意げなイブリンの念話が脳内に直接響く。
「……悔しいが、全くその通りだ」
ウォルターは素直に認めた。たかが照明と侮っていたが、光源の質が上がるだけで、落石の危険や足元のぬかるみをいち早く察知できる。これだけでも、生存率と作業効率は飛躍的に上がるだろう。
『それで? これからどこへ行くの?』
イブリンの声は、まるで休日のピクニックに向かう子どものように無邪気ではしゃいでいた。一応、こちらは命がけの仕事に向かっているんだけどな……と苦笑しつつ、ウォルターは答える。
「イブリンを最初に見つけた鉱区に向かう」
昨日、ウォルターが休んで買い物をしている間に、あの場所には組合の保安管理課による調査が入ったらしい。今朝、エマから受け取った資料の端に、簡単な報告が記載されていた。
結果として、『天井が崩落しそうになっている異変』の原因らしきものは何も見つからなかったが、今のところ追加の崩壊や有毒ガスの発生といった直接的な危険も確認されなかったため、調査は早々に打ち切りになったそうだ。
『あら奇遇ね。私もそこに行きたかったのよ』
「犯罪者は現場に戻るって言うもんな」
『ちょっと! 誰が犯罪者よ。私はこんなにも可憐で清楚で、か弱き乙女なのよ!』
「清廉潔白ではないと、自分から認めたな」
『うっ……。だ、誰しも後ろ暗いことのひとつやふたつ、あるでしょ?』
「警察に追われるほどの壮絶な過去は、普通の市民は持ってないと思うぞ」
『だからぁ、警察が血眼になって追ってくる理由が、必ずしも犯罪とは限らないわよ!』
「他に何があるって言うんだ……?」
『とにかく! これだけは信じてもらいたいんだけど、私は断じて凶悪犯罪なんてしてないわよ』
「ダンジョンに不法侵入したのは、立派な犯罪にならないのか?」
『それは前にも言ったでしょ。切羽詰まった緊急避難よ、緊・急・避・難!』
「警察から全速力で逃げることを、世間では緊急避難とは呼ばないと思うがなぁ」
これ以上、かつてと同じ堂々巡りのやり取りをしても仕方がない。ウォルターは歩きながら、少し質問の角度を変えてみることにした。
「百歩譲って、君の行動が緊急避難として成り立つとしてだ。……どうして、逃げ込む先に『ダンジョン』を選んだんだ? 身を隠すなら、地上のスラム街や森にでも逃げ込めば良かっただろ」
ウォルターの真っ当な疑問に対し、イブリンは少しだけ間を置いて、真面目なトーンで答えた。
『ダンジョンはね……私たち魔導師にとって、他には代えがたい宝の山なのよ』
「魔導石工にとってもそうだぞ」
『あなたたち石工は、物理的な力を持った『魔導石』そのものを欲しがっているでしょう? でも、私たち魔導師が欲しがっているのは、石じゃない。そこに刻まれた『トラップ(現象)』の方よ』
トラップ。
それはダンジョン内で天然の魔導石が魔力暴走を起こし、無作為に発現する魔法現象のことを指す。突然、壁から灼熱の炎が吹き出したり、地下水が逆流して鉄砲水になったり、あるいは踏み込んだ人間を別の階層へと転移させたり……。鉱夫たちにとっては、命を奪いかねない最も恐ろしい『異変』である。
「トラップ? あんな厄介で危険なものを、どうして魔導師が欲しがるんだ」
『時には、現代の魔法学では解明されていない『未知の術式』が、トラップの中に埋もれていることがあるからよ』
イブリンの声に、研究者としての熱が帯びる。
『そもそも、人類がいま使っている魔法のほとんどが、大昔の天才たちがダンジョンのトラップを解析して、その天然の回路を模倣して生み出したものなのよ。自然が作り出した現象こそが、新しい魔法の源泉なの』
「あぁ……なんか、子どもの頃に学校の授業でちょっと習った記憶があるな」
『つまり、ダンジョンと魔導師は、切っても切れない密接な関係があるってわけ。高位の魔導師になればなるほど、ダンジョンに惹かれるのは必然なのよ』
「なるほど。それはよく理解した」
ウォルターは頷き、そして冷たく言い放った。
「だが、君が指名手配されてダンジョンに逃げ込んだ理由の説明には全くなってないぞ」
『……あ、ほらウォルター! そこの角を右に曲がるのよね!』
「話をそらすなよ……」
あからさまに話題を切り替えたイブリンにウォルターはため息をついたが、これ以上追及しても、どうせのらりくらりと躱されてまともに答えてくれそうにない。彼はそれ以上聞くのを諦め、イブリンの言う通りに右の坑道へと折れた。
しばらく進んだ後、周囲の空気が一段と重く、淀んだものに変わった。
一昨日にウォルターが足を踏み入れた、あの『異変』の場所――極端に天井が低くなり、押し潰されるような圧迫感のあるエリアへと到着したのだ。
ウォルターはランタンの光を高く掲げ、周囲を観察した。壁のあちこちに、昨日入った調査隊が残した安全確認用のチョークの印が白く引かれている。
ウォルターは腰のポシェットから使い慣れたハンマーを取り出し、低く垂れ下がった岩壁の表面をコンコンと軽く叩き、その反響音に耳をすませた。
硬く詰まった音が返ってくる。岩盤の中身に空洞や脆い部分はなく、極めて強固で安定していた。崩落の危険性はゼロだ。
「……音に違和感はないな」
ウォルターはハンマーを下ろし、何気ない顔で呟いた。
「……『岩』だけに」
静寂。
ダンジョンの奥深く、水の滴る音だけが虚しく響き渡る。
ウォルターはどうだ?と言わんばかりの得意げな顔でランタンを見下ろしたが、一秒、二秒と待っても、イブリンからのツッコミも、呆れ声も返ってこない。
『ねえ、さっきから黙ってるけど、何か言った? 音の反響を探ってるのかと思って静かにしてたんだけど』
「……いや、なんでもない」
渾身のギャグを文字通り完全にスルーされ、ウォルターは内心で血の涙を流しながら、コホンと咳払いをして誤魔化した。
気を取り直し、ウォルターは再び石工としての鋭い思考モードへと切り替わった。
この一帯で起きている異変の原因は、おそらく一昨日拾ったイブリン(を封じ込めていた魔導石)そのものだったのだろう。あの時、彼女の石を台座から引き抜いたことで、魔法が暴走し、周囲の魔力バランスが崩れたのだ。
しかし、ウォルターにはどうしても解せないことがあった。それは、この場所で『二つの異変』が同時に起きているという事実だ。
一つ目は、この『天井が低く、通路が狭くなる』という物理的な地殻変動の異変。
そして二つ目は、『人間をぶどうに変える』というイブリンに起きた異変だ。
魔導師が杖を複数持ち歩く理由について、以前イブリンはこう説明していた。『ひとつの杖(魔導石)にはひとつの魔法』と。それは自然界でも同じだ。ましてや、天然の魔法回路が一つの魔導石の中に「二つ」も別個に作られるなど、魔導力学的に考えにくい。
「……絶対にもう一つあると思うんだよなぁ」
ウォルターは岩壁を撫でながら独りごちた。
イブリンをぶどうに変えた強力な魔導石は、今まさに彼女の本体としてランタンの中に収まっている。ならば、この『天井を低くした』原因となる魔力を持った魔導石が、この空間のどこかにもう一つ、確実に眠っているはずなのだ。
『昨日、ここの調査隊はくまなく探して、結局何も見つからなかったんでしょ?』
「そうなんだけどさ……」
『あなたが前自分で言ってたじゃない。「遠くの魔導石の地脈が影響して、離れた場所でトラップが起きることもある」って』
「ああ。だが、その割にはあまりにも異変の範囲がピンポイント過ぎる。この空間の数メートル四方だけが異常に歪んでいるんだ。原因は絶対にこのすぐ近くにある」
『保安管理課の調査した人達も、プロならそこは考えるんじゃないの?』
「いや……普通、組合の異変調査っていうのは『安全確認』が最優先なんだ」
ウォルターはハンマーをポシェットにしまいながら答えた。
「毒ガスが出ていないか、崩落の危険はないか。それだけを確認して問題なければ、彼らはすぐに引き上げる。トラップの根本原因まで深く追って、岩盤をぶち抜いてまで調査するようなことはしない。そんな途方もない時間と労力があるなら、安全な別のエリアで魔導石を掘った方がマシだからね。それが普通の鉱夫の考え方だ」
『なーほーね。じゃあ、なんでウォルターはわざわざここに戻って来たの?』
「途方もなく大きい高純度の魔導石が、この壁のすぐ裏側に埋もれていると確信しているからだ」
『根拠は?』
「ない。ただの石工の勘だ」
『ずいぶんと強固な根拠ね』
呆れ半分、感心半分のイブリンの声に、ウォルターは肩をすくめた。
「うるさいな……。そういう君は、なんだってわざわざこの現場に戻ってきたかったんだ?」
『私は、自分をぶどうに変えた異変を起こした『天然の魔法回路』が、どんな構造だったのかをこの目で見たいからよ』
「ぶどうに変えた原因の魔導石とはいま繋がってるじゃないか」
『これじゃないわ。これは天井に異変を起こしたものよ』
「なんでそう断言出来る?」
『自分のことだからよ』
納得できるような、できないような理屈だ。
「で、その君をぶどうに変えた魔導石はどこにある?」
『うふふ……ここよ』
その時、ランタンの中からふわりと青紫色の光の粒子が溢れ出した。
粒子はウォルターの隣で急速に集束し、紫色のローブを纏った美しい少女――イブリンの等身大のホログラムを形成した。暗く冷たいダンジョンの中に、突如として華やかな存在が受肉する。
「この魔力の流れの先にあるわ」
ホログラムのイブリンが、誇らしげな笑みを浮かべてそう言った。
彼女はスッと右手を上げ、何もない暗闇の空間を、美しい指先で優雅になぞった。
すると――彼女の指が通った軌跡に沿って、真っ暗な空間に『淡い虹色の光の筋』がフワリと浮かび上がった。
それは、ウォルターのランタンが放つ物理的な白い光とは全く違う、神秘的で、どこか温かみのある魔力特有の輝きだった。虹色の光の筋は、まるで生き物のように脈打ちながら、岩壁の奥深くの一点を指し示して集束している。
「この光の先、岩盤の奥深くに、私たちが求めている極上の『石』と『術式』が眠っているわ」
「……本当か?」
「疑うなら、その自慢のツルハシで掘ってみればわかるわ」
イブリンは悪戯っぽくウィンクをして、岩壁を指差した。
「……まぁ、いい」
どちらにしろ、自分の勘を信じてここを掘るつもりで来たのだ。今日くらいは、この常識外れの居候の『眼』を信じてみようじゃないか。
ウォルターの目つきが、一瞬にしてプロの職人のそれへと変わった。
彼は静かに背中に手を伸ばし、使い込まれたミスリル合金のツルハシを、力強くその手に握り直した。




