第13話 ダンジョンへ
すっきりと晴れ渡った初夏の朝。
ウォルターはいつものように分厚い作業着に身を包み、使い込まれたミスリル合金のツルハシやノミ、そして昨日スーパーで買ったばかりの数日分の食料をズダ袋に詰め込んでいた。
これから数日間、彼は本業である魔導石の採掘のために、深く暗いダンジョンへと潜る予定だ。
そして、ウォルターの手元にある旧式の魔導ランタンの中には、当然のように「ぶどう」の姿をしたイブリンが収まっている。
ウォルターの仕事に、当たり前のように彼女はついてくる気でいた。もっとも、ウォルターとしても、こんな常識外れの魔法使い(しかも指名手配中)を自分のアパートの部屋に一人で留守番させておくわけにはいかない。放っておけば、退屈しのぎにどんな魔法の実験をしでかすか分かったものではないし、最悪の場合、また勝手に通販で得体の知れない高級品を注文しかねないからだ。自分の目の届く場所に置いておくのが、最も合理的で安全な選択だった。
「いいか? 組合に着いたら、絶対に余計なこと喋るなよ。ホログラムを出すのも禁止だ」
家を出る前、ウォルターはランタンに向かって念押しするように釘を刺した。
『わかってるわよ。ばかじゃないんだから。仕事の邪魔はしないわ』
ウォルターの脳内に、イブリンの少し不満げなテレパスが響く。
「ならいい」
ウォルターは一抹の不安を残しつつも、ランタンを胸に抱え、ダンジョン組合へと向けて歩き出した。
朝のダンジョン組合のロビーは、これから地下へと潜る荒くれ者の鉱夫たちでごった返していた。
汗と土埃、それに安いタバコの匂いが混ざり合った独特の空気が立ち込めている。壁の掲示板には本日の魔導石の買取相場が張り出されており、男たちがそれを囲んで一喜一憂する喧騒が響いていた。
ウォルターはその人混みを抜け、ダンジョンへの入窟手続きを行うために「保安管理課」の窓口へと向かった。
受付カウンターの奥に座っていたのは、いつもの制服姿のエマだった。
「おはようございます、エマさん」
ウォルターが声をかけると、書類に目を落としていたエマがビクッと肩を跳ねさせた。
「あ、……お、おはようございます、ウォルターさん」
顔を上げたエマを見て、ウォルターは少し首を傾げた。目の下にうっすらと隈があり、いつもより顔色が悪いように見えたからだ。
「体調、悪いんですか?」
「えっ? ……いえ、そんなことはないです。その、ちょっと食欲がないだけで……」
エマは力なく微笑み、目を伏せた。昨日のスーパーマーケットでの「絶世の美少女との遭遇」による精神的ダメージが、思いのほか彼女の胃袋を直撃しているらしかった。
しかし、そんな複雑な乙女心など微塵も察することのできないウォルターは、「初夏の暑さによる夏バテだろう」と見当違いの納得をした。
「そうですか。そういう時もありますよね。無理はしないでください」
ウォルターは、自分なりに最大限気を遣ったつもりの優しい言葉をかけ、手渡された入窟申請書にサラサラと必要事項を記入していった。
受け取った書類に不備がないか確認しながら、エマがふと、心配そうな声を上げる。
「ウォルターさん。今回こそ、一両日中……明日には戻ってくるんですよね?」
「善処します。今回は必要な道具も資材も充実しているので、効率よく掘れるはずですから」
ウォルターが淡々と答えると、エマは少しだけ口ごもり、視線を泳がせた。
「……あんまり無理をして長居すると、その……彼女さんが、心配しますよ?」
「……かのじょ?」
ウォルターの手が止まった。
彼の脳内のデータベースが、突如投げかけられた未知の単語を高速で検索し始める。
――彼女。女性の恋人を指す言葉。自分にそんな存在はいない。しかし、エマは誰かのことを指して言っている。昨日、エマと遭遇した時に隣にいた人物……つまり、あの『サラダボウルの中に居候している、ぶどうのイブリン』のことか。
脳内で「彼女=ぶどう」という致命的なバグめいた計算式が弾き出され、ウォルターは本気で困惑した顔になった。
「ほら……一緒に住んでらっしゃる、昨日の方です」
とどめを刺すようにエマが言う。
「ああ……あいつなら、いま……」
いま、ここにいる。
そう言いそうになって、ウォルターはハッとして慌てて口をつぐんだ。危ない。ここで「ランタンの中のぶどうがその彼女だ」などと口走れば、いよいよ正気を失った危険人物として保安管理課の特別監視対象にされてしまう。
ウォルターはコホンと一つ咳払いをして、冷静を装った。
「いや、あいつは……ぼくの帰りが遅くても、心配なんてしないと思いますよ」
あいつ(イブリン)が心配するのは、自分の身の安全と、ご飯(高級肥料)のストックが切れないかどうかだけだ。
ウォルターが事実に基づいてそう断言すると、エマはなぜかさらに悲しそうな、無理に作ったような苦笑いを浮かべた。
「……そうですか。気をつけて、いってらっしゃいませ」
「行ってきます」
ウォルターは手続きを終え、保安管理課のカウンターを後にした。
組合の建物を抜け、巨大な地下空洞へと続く重厚な鉄柵のゲートをくぐる。
外界の暖かな初夏の陽気は完全に遮断され、ひんやりとした湿った風がウォルターの頬を撫でた。岩肌に生えた発光苔の青白い光と、濃密な魔力の匂い。ウォルターにとって最も馴染み深い、仕事場の空気だった。
『ウォルター、あなたもうちょっと何か、言い方があるでしょ』
周囲に他の鉱夫がいなくなったのを見計らったように、ランタンの中からイブリンの呆れたような声が響いた。
「いったい何の話だ?」
『さっきの受付の女の子のことよ。近いうちに、ちゃんと誤解を解いてあげなさいよ。あのままだと可哀想だわ』
「誤解……?」
歩きながら首を傾げていたウォルターだったが、ここに至って、さすがに自分の鈍感な頭でも、エマが何を指して落ち込んでいたのか、その原因に思い至った。
「ちょっと待て。半分はお前のせいじゃないのか?」
昨日、エマの前でわざとらしく肩にすり寄り、「私のこと宝物だって言ったじゃない」などと致命的な爆弾を投下したのは、間違いなくイブリン本人である。
『さあ……どうかしら。私にはなんのことやらサッパリ』
イブリンはいかにもとぼけたように口笛を吹くような真似をした。
「……」
しらばっくれるイブリンに、ウォルターは深く、ひどく深くため息をついた。
「まぁ、お前みたいなのが『彼女』と思われているのは、ぼくとしても非常に癪だからな。帰るまでに、エマさんが納得のいく説明を考えておくよ」
『ちょっと! 私みたいなのってどういう意味よ! 世界一可愛くて天才な大魔導師を捕まえて、癪とは聞き捨てならないわね!』
脳内でギャーギャーと騒ぎ立てる元・人間のぶどうを完全に無視し、ウォルターはランタンのガラスケースを指先で軽く叩いた。
「いいか、くれぐれも仕事の邪魔はするなよ」
『……うふふ、任せなさい!』
――任せなさいとはどういう意味だ?
ウォルターは疑問に思ったが口には出さないでいた。
イブリンの不敵な笑い声と共に、ランタンの放つ青紫色の光が、一段と強く輝きを増すなか、ウォルターはダンジョンへと足を踏み入れた。




