第12話 同居人です
巨大ホームセンター『オズワルド・マテリアル』での買い物を終えたウォルターとイブリンは、再び魔導トラムに揺られ、自宅アパートのある居住区の駅へと戻ってきた。
時刻は午後一時を少し回ったところだ。初夏の陽気はすっかり高くなり、街全体がのんびりとした昼下がりの空気に包まれている。
二人が次に向かったのは、駅からアパートへ帰る道すがらにある、中規模のスーパーマーケットだった。
石造りの店構えの前では、商品を空輸する専門業者である魔導輸送団の姿があった。四人一組のチームを組んだエルフの男女が、宙に浮かせた木箱の横で、冷たい果実水を飲みながら談笑している。彼らの尖った長い耳が、楽しげな会話に合わせてピクピクと動く様子を、イブリンのホログラムが珍しそうに眺めていた。
「この街ではエルフが荷運びなんてしてるのね。森から絶対に出てこないような閉鎖的な種族だったのに」
「ここは元々エルフの森だったらしいからな。今は物流を支える重要な労働力だよ」
ウォルターは淡々と答えながら、自動ドアを抜けてスーパーの店内へと足を踏み入れた。
昼時を過ぎた店内は比較的空いていた。ウォルターは迷うことなく、特売品の硬いバゲットや、日持ちのする干し肉などが並ぶ保存食のコーナーへと直行しようとする。
その時だった。
「あら、ウォルターさん? こんにちは」
惣菜コーナーの近くから、聞き覚えのある声が掛かった。
振り返ると、お弁当の入った小さな買い物カゴを手にした女性が立っていた。ダンジョン組合保安管理課のエマである。今日は仕事らしく、いつものカチッとした制服を着ている。
「……こんにちは。買い物ですか?」
「こんにちは。仕事が忙しくてやっとお昼ご飯を買いに来れたんです。ウォルターさん、今日はちゃんとお休みを取られたんですね。良かったです。あれから体調はいかがですか?」
「おかげさまで、元気ですよ」
世間話を早々に切り上げ、足早に食料品コーナーに向かおうとしたウォルターだったが、エマの視線が彼の胸元――両手で大事そうに抱えられている「明かりの灯った魔導ランタン」に釘付けになった。
「ちょっと、ウォルターさん」
エマの声音が、保安管理課のそれへとワントーン下がった。
「休日でもランタンを持ち歩いてるなんて余程大切にされてるんですね。あかりを灯したままなのは何か理由が……」
興味津々といった様子のエマの言葉が、ピタリと止まった。
彼女の視線が、ウォルターのすぐ隣に立っている「存在」に気づいたのだ。
紫色の三角帽子に、ゆったりとした同色のローブ。少し癖のある長い銀髪を揺らす、息を呑むほど美しい顔立ちの少女。
エマは目を丸くし、お弁当を入れたカゴを取り落としかけた。
「あ、あの……そちらの方は……お友達、ですか?」
エマの声が、かすかに上ずっていた。無理もない。いつも薄汚れた作業着で、色恋沙汰など一切無縁に見える堅物のウォルターの隣に、こんな絶世の美少女が並んでいるなど、天地がひっくり返っても想像していなかったからだ。
「こんにちは!」
イブリンが、花が咲いたような極上の笑顔で明るく挨拶をした。
そして次の瞬間、彼女はちょっとした悪戯心を起こした。入り口に積まれていたスーパーの買い物カゴを念動力でふわりと浮かせると、まるで自分の手で持っているかのように自然な動作で引き寄せ、ウォルターの隣にぴたりと寄り添ったのだ。
第三者であるエマの目には、それが『彼氏の買い物を手伝う、気が利く実在の彼女』にしか見えなかった。
「友達というか……同居人です」
ウォルターは事実をありのままに述べた。
彼からすれば、彼女は自分の部屋のサラダボウルの中に居候している「育てているぶどう」以外の何者でもないからだ。
「ど、同居人!?」
エマが悲鳴のような声を上げた。顔からみるみるうちに血の気が引いていく。
「そんなに驚くことですか?」
ウォルターは不思議そうに小首を傾げた。石工が部屋で観葉植物を育てていることの何がそんなにショッキングなのか、彼には全く理解できなかった。
「あ、あの……こんなこと、聞いてはなんですが……その、お二人は、お付き合いされているってことですか?」
若干青ざめた顔で、縋るようにエマは尋ねた。
しかし、ウォルターはエマの顔色の変化になど全く気づかない。彼は呆れたように鼻で笑った。
「まさか。こんなのと付き合えるわけないでしょう」
これもまた、ウォルターにとっては完全な事実だった。
相手の本体は『ぶどう』なのだ。人間がフルーツと交際するなど、生物学的にあり得ない。
しかし、エマの耳には全く違う意味として響いていた。
――『こんなに美しい同棲中の彼女がいるのに、照れ隠しで必死に謙遜している』。
そうとしか受け取れなかったのだ。
「もー、そんな照れちゃってー」
そこに、イブリンの悪ノリが炸裂した。彼女はローブの袖で口元を隠し、わざとらしくウォルターの肩にすり寄る。
「え……え……?」
混乱するエマにトドメを刺すように、イブリンは上目遣いでウォルターを見つめた。
「私のこと、『宝物』だって言ってたじゃない」
「……っ!」
ウォルターは目を見開いた。確かに数日前、ゴードンから彼女を守るために「これはぼくの宝物だ!」と叫んだのは事実だ。しかし、この文脈でその事実を切り取られるのは悪意しかなかった。
ウォルターは「余計なことを言うな」とイブリンに冷たい目線を送ったが、イブリンはどこ吹く風でニコニコと受け流している。
「そ、そうですか……。お、お邪魔しました……。どうぞ、ごゆっくり、デートを楽しんでください……」
エマの目から、完全に光が消えていた。
「……? お疲れ様です」
「……お疲れ様です」
すっかり意気消沈し、肩を落としてとぼとぼと惣菜コーナーの奥へ去っていくエマの後ろ姿を、ウォルターはただ不思議そうに見送った。
「エマさん、なんだか急に元気がなくなったな。よほどお腹でも空いていたんだろうね」
「……ほんと、罪な男ねぇ」
自分のしでかした破壊工作を棚に上げ、イブリンが呆れたようにため息をついた。
「どういうことだよ? まあいい、とりあえず今日の昼ごはんと夕ご飯と、明日からの仕事で使う保存食を買うぞ」
「あれ? お昼、どっかのお店に食べに行かないんだ」
「お金がもったいない。君の肥料で出費があったからな」
「なーほーね。まあ、私としても早く美味しい肥料を貰いたいから、早く帰りましょ」
肉や新鮮な野菜をしきりに要求するイブリンの声を無視し、ウォルターは一番安い硬いパンと干し肉だけをカゴに入れ、そそくさとレジを済ませた。
こうして、様々な波乱を含んだのんびりとした休日の買い物は終わりを告げ、二人は静かなアパートの一室へと帰還した。
西日が差し込む薄暗い1DKの部屋。
小さな木製のテーブルの上に、ウォルターはいつものガラスのサラダボウルと、ホームセンターで買ってきたばかりの『トマト・果樹兼用液体肥料』の箱を並べた。
ランタンから本体である一粒の「ぶどう」を取り出し、新しい水を張ったボウルの中にそっと沈める。
「ええと、五百倍希釈だから……」
ウォルターは工具の手入れをする時と同じ、職人の真剣な目つきになった。小瓶に入った薬剤①と薬剤②のキャップを開け、ガラスのスポイトを使って、それぞれほんの一滴ずつ、ボウルの水に慎重に垂らしていく。
ポチャン、という微かな音と共に、透明な液体が水の中に溶けて広がった。
「――っ!!」
ボウルの横に立っていたイブリンのホログラムが、ビクンと肩を震わせた。
「どうだ? 具合が悪いか?」
「ち、違うわ! これ、すっごく美味しい! 今までただの水道水だったから余計にわかるわ、窒素とリン酸が蔓の隅々まで染み渡る感じ……! 最高よウォルター!」
等身大のイブリンが、両手を頬に当ててうっとりと身悶えしている。どうやら、人間用の農作物に向けた肥料の味は、魔法生物と化した彼女にとっても極上のごちそうだったらしい。
「へぇ……。そんなに美味いのか」
ウォルターは感心したように呟いた。
そこまで絶賛されると、純粋な好奇心が湧いてくる。成分は植物の栄養素とミネラルだ。人間が口にしても、直ちに毒になるようなものではないはずだ。
ウォルターは、水で薄める前の肥料の原液(薬剤①)のボトルの口にそっと指先を当て、ほんの僅かに付着した液体を、自分の舌先にちょんと乗せてみた。
「……っ!!」
次の瞬間、ウォルターの顔が梅干しを食べたように激しく歪んだ。
強烈な苦味と、舌を刺すようなエグい酸味が、口の中いっぱいに広がったのだ。とてもじゃないが、人間の味覚で「美味しい」と感じられる代物ではない。
「……なんだこれ、めちゃくちゃ不味いじゃないか」
水道の水で慌てて口をゆすぎながら、ウォルターは涙目で恨めしそうにイブリンを睨んだ。
「当たり前でしょ! それは植物のご飯なんだから! バカねえ」
ケラケラと笑うホログラムの少女と、口の中に残る最悪の苦味。
ウォルターは、ぶどうの味覚は全く当てにならないなという至極真っ当な結論に至りながら、買ってきたばかりの硬いバゲットを無言でかじり始めたのだった。




