二、東京百面相②
「営業なんて、口が上手い奴の仕事だろ」
そう思っていた時期が、私にもありました。
実際は違います。
本当に向いているのは、
少しだけ人間不信で、
少しだけ愛に飢えていて、
他人の機嫌に異常に敏感な人種だと思っています。
「ガスと電気、ひとつの画面、ひとつの紙で、簡単に確認できるようになります。お手続きは、ガスでいただいている情報でこちらで全部できますので、お客様にやっていただくことは一切ございません。お客様番号と供給地点番号だけお伺いする必要があるのですが、お手元に、毎月の電気代の明細書などはございますか?……ありましたか!ありがとうございます。えー、まずご住所が~で、弊社でお使いいただいている契約者様のお名前は~なんですが、電気も同じですか? 同じですね。でしたら今お使いの電気会社様のお客様番号と供給地点番号をお願い致します。……ありがとうございます。ではこちらで手続きを進めさせていただきます。今後とも、どうぞよろしくお願い致します!」これで一件。
えぇ、恥ずかしながら、類まれなる才気を恥ずかしげもなく、下品にぶちまけております。
持論を述べさせていただくなら、人というのは、「売られる」ことをひどく嫌う生き物です。とりわけ「金の話」となると、どこか動物的な勘がはたらくのでしょう。人はそこに潜む“卑しさ”の匂いを、すぐさま嗅ぎ取る。額面の損得を提示しただけで、ふっと心の窓を閉ざす人の、なんと多いことでしょう。けれどもし、自分がなにかを“してあげている”という、優越の立場に立たせてやれば、人々は、すっと態度を変えるのです。
そう気づいてからの私は、田舎から出てきた赤ら顔で頑張り屋の青年。そんな自分を想像しながら、不器用で、ひたむきで、朝のドラマにでも出てきそうな”田臭漂う愛されボイス”と“健気な口調”を装いました。それがこの仕事の“正解”だったんです。
「おい、小説家気取りのお前だよ、乾。なんで今そこで安くなること言わなかったんだよ。馬鹿かお前。そのサスペンダー、お前に見合ってないから明日からもう着てくんなよ」
「すいません、計算したら安くならなくて……」
「そんなん別に百円安くなるって言っとけばいいんだよ。大して変わらねえんだから。ほんと使えねえ、お前」
毛塚様が、怒号を乾君に浴びせています。私に初めての職を授けた方、私の才能を見逃さなかった恩人。けれど、馬鹿なのです。毛塚様は。人の感情というものが、微塵も分かっていない。
子供ならまだいいのです。子供は憎まれ口を叩く生き物です。純粋無垢な正直さのゆえに。大人がとうに手放したものを、子供はまだ抱えている。だから大人は、それをただ微笑ましく、羨んでいればいいのです。
「この野郎、また口が悪いな」と頭をくしゃくしゃしてやる──口が悪いほど可愛いってもんですよ。
しかし、大人は違う。大人は皆、思いやりを求めています。大人は弱く、愛に飢えている。だからこそ、大人は子供のように無邪気な馬鹿ではいけない。弱く、しかも賢くなければならない。
では、その賢さとはなにか。それは、他者理解の深さに他なりません。人は皆、己の経験のなかで痛みを覚え、もがき、傷をこしらえて生きていく。その痛みを「自分だけのもの」とせず、他人の痛みに照らし合わせられるか。そこにこそ、大人の成熟があるのです。
「あの人はなぜ苦しんでいる? どんな事情なんだろう?」
そう問いながら、自分の内の引き出しを開け、その時の感情を探り出す。けれど、見つけたものをそのまま語るのは愚かです。傷ついている人間には、あなたの経験など取り合う余裕はない。自己の痛みに集中しているのですから。
経験を積んで「はい、それ立派だろう」と胸を張るのはもっと馬鹿。死人の真似事です。
苦しむこと、弱くなること、その意味をどこかで正当化し、未来へと繋げる見通しを持たねばならない。己の身をどれだけ他者に落とし込んで考えられるか。その解像度の高さこそが、知能の高さです。
優しさを欠いた大人というのは、異常であり、欠陥品です。優しさを持つこと、それは大人であるための最低条件です。年齢はただの数字ではありません。その数字のぶんだけ、人は世の中から成熟を問われる。歳を重ねるとは、賢さを背負わされることなのです。
──それをまあ、あの毛塚様は。
手足があるから人間ですか? 脳味噌があれば人間ですか? いいえ、心がなければ人間ではありません。あんなのは、人間の皮を被った猿です。あの醜く太った腹。針などプツリと刺せば、一気に甘く、馥郁たる香りが立ちのぼるでしょう。あのウェーブをかけた洒落た前髪も、甘い、甘い。自分に甘すぎるのです。私だって、あんな波打つパーマに憧れる年頃なのです。嗚呼、もう我慢ならぬ、あの盆暗の頭をぶん殴ってやろうか。
「はい、今後ともどうぞよろしくお願い致します!」そんな独言をほざきながら、二件目です。天才、鬼才の快男児、ここでの私です。こんにちわ。
さあ、金の勘定などしながら、三件目を狙いましょう。 月給三十二万円。インセンティブ八万円。計四十万円。家賃八万一千円。電気代六千八百円。ガス代四千二十円。水道代は二ヶ月で四千三百円、割って二千百五十円。食費三万円。健康保険料一万九千八百二十円。年金三万六千六百円。雇用保険料二千四百円。所得税一万四千円。住民税二万二千五百四十円。これらすべてを引き算いたしますと、残金は十八万四百九十円。来月からは、酒と煙草の勘定も追加いたしましょう。
「はい、今後ともどうぞよろしくお願い致します!」三件目。もう言わずもがなです。
さて、ここで一つだけ、どうしても見当たらぬ項目がございます。交際費──それが、項目としても、概念としても、予定表にも、夢の中にも存在していない。
私とて、人肌が恋しい夜があります。湯気の立つ食卓を囲みながら、「今日もお疲れさま」と言いたい。居酒屋の割り箸を割って、あらぬ方向へ飛ばして、「おっと」と笑われたい。けれど、私の中には計算機が棲んでおります。他人と出会うたび、それは自動的に起動し、「投資対効果」を弾き出してしまう。
「その会話は、いくら相当でしたか?」
「その笑顔には、いかほどの真意が?」
「割り勘でこの空虚なら、次は“無”でよろしいのでは?」
“銭がねえのは首がねえにも劣る”──私の大好きな言葉です。私は損得のことばかりを考えて生きています。情と理、善意と損得、そのあわいで、私は小さな電卓をぽちぽちと叩くのです。慎ましき仮面をかぶりながら、どこか後ろめたさを纏いつつも、それでもやはり、金は大事。私の心は、いつしか経費精算書のように折り目正しくなってしまいました。 なんと卑しきことでしょう。他者との交流に損得を混ぜる、この卑しき下心。
ケチの貧乏ったれ、下賤の守銭奴、人間の皮を被った算盤──それが、今の私でございます。
「はい、今後ともどうぞよろしくお願い致します!」四件目。
最後まで読んでくださり、有難うございました。
主人公は散々、人間を観察し、分析し、電卓を叩いておりましたが、
たぶん一番計算できていなかったのは、自分自身だったのでしょう。
とはいえ、四件契約は立派です。
宴です。




