一、化け物の成り立ち②
子供の頃の「変わってるね」なんて言葉はですね。
案外、小さな呪いみたいなものなのかもしれません。
褒められているような気もするし、少しだけ仲間外れにされたような気もする。
だから人は、「じゃあ、せっかくだから変でいようかな」などと、妙な方向へ育ってしまう気がします。
まぁ、人間とはそのくらい曖昧で、そのくらい不器用な生き物なのでしょう。
今回は、そんな少しばかり不格好なお話でございます。
葬儀の日
大人が、揃いも揃って泣いておりました。私の知らない顔。その顔が、皆そろって涙を流しているのです。誰なのですか、泣いているのは。親戚ですか? 両親の親たちはもう死んでいます。正当に泣いていいご身分の方など、もういないはずです。皆様、あれほどまでに無関心を気取っていたくせに、なぜ今日になって、関心を持ち、足を運び、涙まで流しているのです。みっともないったら、ありゃしませんか。大人ども。
偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善、偽善。
その中に、たった一人だけ、正当に哀しい人がいました。叔父です。
叔父は、グッと歯を食いしばり、精悍な目を悲しげに濡らしながら、祭壇を見つめていました。偽善たちは彼の肩を、次々に優しく叩いていきます。その度に叔父は、目元を和らげ、涙を流しはじめました。
一人、また一人と、偽善が肩に手を置き、優しい言葉を置き去りにして去っていきます。叔父の泣き声は次第に高まり、涙の強度を増していきました。そして、その泣き顔の中で、叔父は微かに笑ったのです。関心の光に照らされ、悲哀の衣を纏い、その歓喜が彼の頬をゆるめていました。まるで私の化身じゃありませんか、お父様。
悲しみを疑うなど、人道に外れたことだと承知しております。涙を測ろうとするなど、浅ましいにもほどがある。ですが、どうにも、怒りがこみ上げてくるのです。一体、皆さまは何を悼んでおられるのでしょう。本当に、両親の死ですか?それとも、両親を通じて、自分の中の“哀しみ役”を演じておられるのでは?その涙は、誰のものなのですか。あなた方の肉親でしょうか、ご友人でしょうか。それとも、過去に失った誰かの名残りでしょうか。それらは、鬱屈としていた独白を、こっそり誰かに聴かせたい──そんな自己陶酔の残響のようにも聞こえます。
泣いていいのは私だけ。この怒りに燃える涙こそが本物。皆、笑え。笑え。そんなやり場のない独り言が、私の胸を締め上げ、更なる涙が溢れ出てきました。この涙もまた、誰かに見せたいという下心の中にあるのだとしたら、なんと滑稽で、なんと惨めなことか。
涙が、重く、確かに、熱を帯びて頬を伝っていきます。まるで、血が滲み出しているような感覚です。
大きく不規則なのぼせがどっと喉元に込み上げ、嗚咽が抑えきれなくなりました。初めて聞く私の泣き声に、皆がぎょっとし、我に返ったように顔をこわばらせています。その震えは、耳ではなく、心へと直に届くのです。
どなたかが、私を抱きしめておられます。今の私には、それを振り払う力など残っておりません。ただ、泣くことしかできないのです。目下に見える簾満月のような頭──兵藤先生じゃありませんか。あの、衣食のためだけに労働に勤しんでいるような不届き者のお禿げ様。その御方が、今や先陣を切って、私を抱きしめておられるのです。その温もりは、熱すぎて、冷たく感じられました。
「聖太、大丈夫だ。先生たちがついている。お前は決して一人になんかならない。大丈夫だ、大丈夫……今は泣いてもいいんだ」
喉元の震えが、今度は顔全体を痺れさせ、鼻から音が漏れ出します。いつの間にか、無数の人々が私を囲み、円を描いておりました。涙に霞む目には、人の色がぼやけ、やがて彩度を失い、真っ白に塗り替えられていきます。誰が誰だか、判別がつきません。どなたか、この私の目を正面から見てくださるのでしょうか。皆さまはきっと、この私の“本心”など、見えておられないのでしょう。誰か、誰か様、どなたか──この私の、本当の目を、悲しみを見てはいただけませんか。
こんなことを言いながら、気持ちは音もなく高ぶってゆくのです。つい先ほどまで偽善と見下していたはずの同情に、今や、私の胸は強く揺さぶられているのです。嬉しさで。悲しみで。怒りで。理由のわからぬ昂りで涙が止まりません。体の震えが止まりません。哀惜からの慟哭。いいえ、憤怒からの慟哭です。彼らこそ性善で、私こそが悪。だってこの、両親の死に光などが見えてしまう化け物の性悪が、彼らのぬるい温度で溶かされ始めているのですから。しかし、天邪鬼が、まだ消えません。どうにも、はいそれと肯首できる頭じゃないのです。
では、問います。 どちらの涙が深いでしょうか──私の涙です。 どちらの涙が賢いでしょうか──私の涙です。
では、どちらの涙を、世界の基準に採用いたしますか。──それは、貴方たちの涙です。 私の涙を採用したところで、世の中は、もっと孤独になるだけ。質より量、幸福の総和が勝ちとなる。だから、正しいのは貴方たちです。貴方たちの、安き涙の、生ぬるい世界。それが壊れてはいけないのなら、壊れていいのは、私のほうです。善を疑い、涙を疑い、自らの怒りで、心を焼き尽くしてしまえばいい。
心が、灰のように静かになっていきました。いつの間にか、怒りも悲しみも忘れ、ただただ、彼らの温もりが心地よく、それを手放したくないと、ひたすらに泣き続けていました。
泣く度に、温い、温い。 ありがたや、ありがたや。 ──参りました。
「お前の父ちゃん、お酒飲んで運転したんだろ。犯罪者の子供ー、あっち行け」
私は、学校で苛められるようになりました。それまで矜持で張っていた孤高が、いとも容易く剥がされ、皆がそのことに嬉々として、私を玩弄物のように弄びました。不思議と、それが辛くはなかったのです。 無関心は悪、関心は善、そう信じていた化け物でしたから、なにをされても、頬に小蝿が止まるほどのこととして、自己の悲観にのみ耽っておりました。そんな折に決まって、先生たちは少年らを叱咤し、私を抱きしめました。
「貴方は一人じゃない。私たちがついている。大丈夫だよ、大丈夫だよ」
その度に、私は震え、泣きました。悲惨、無惨、孤独──それらの衣を、まるでお気に入りの寝間着のように肌に馴染ませ、わざとらしい微笑みを貼りつけ、哀れな役を、丁寧に演じていたのです。他者のまなざしも、関心も、慈悲も、そしてなによりも、無償で注がれる甘美な感情は、私にとって、の玩具でした。
哀れまれることで得られる特権。悲しみを抱えているという、それだけで世界の中心に立てる錯覚。その錯覚のなかで、静かにブランコを漕ぐ子供のように、前後に揺れておりました。胸の奥に巣食ったその悦びに、誰にも気づかれぬように。けれど、誰かに気づいてほしくて、私はその“可哀想”を、まるで小さな勲章のように胸に飾っていたのです。
思春期だったから──そう言ってしまえば、どれほど楽だったでしょう。けれど、違うのです。私は、自らの憐れさを唯一の価値と信じ込み、その言葉にすがることでしか、生を感じられなかったのです。悲劇めいた言葉の布団に、丁寧に身を横たえ、ぬくもりの中で、すやすやと眠る。心の底では、どこかで気づいていながらも、私はその「特別」を、信じておりました。
今となっては、なんとも青く、可笑しな話ですが、あの青さこそが、当時の私を生かしていたのです。陰鬱な言葉にまみれ、世界のすべてが自分の痛みを祝福してくれていると信じる、そんな滑稽な陶醉のうちに、私はまぎれもなく、息をしていたのです。
大人は、相も変わらず、私に優しく接してくれるようになりました。どれほど戯言を叩こうが、先生たちは微笑み、頭をぽんぽん。近所のマダムたちも、手を振りニコニコ。叔父もまた、賢き甥を誇らしげに見つめております。大人は、恐ろしいです。
「今日な、隣の上草さんから葡萄もらったんだよ。食べな。それと、このカレーは近所の、ほら、洋食屋やってる成田さんから貰ったんだ。今日の夕食にでもしような」
叔父は、生き返ったように元気です。よく父が、叔父のことをこう言っておりました。
「アイツはなあ、すげえいい奴なんだよ。けどな、俺と違って、アイツ不細工なんだよ。 ほら、あの痘痕顔だぜ。気の毒なもんだぜ、アイツは。俺はスカした気取り屋だ。そりゃあ、人が毛嫌いすんのも真っ当だ。けどな、アイツはいい奴なんだ。けど、顔が醜い。それだけで人が寄り付かねえんだから、気の毒なもんだぜ、アイツは。へっへっへ」
そんなふうに言われていた叔父が、今や喜色満面の毎日。あの顔一面に刻まれた孤独と強さ。吹きすさぶ風に削られ、樹皮のように硬く深まった苦労皺。その隙間に滲む凹凸は、幾度となく投げつけられた石の記憶。それを「人の愛に飢えた獣」へと変えてしまったのは、果たして誰だったのでしょうか。
いや、そんなことはどうでもいいのかもしれません。だって、叔父は赦しているのですから。それとも、叔父は怒りなどはなから持たぬ、無関心という希少種なのでしょうか。優しさという才能を満点に備えた痘痕顔。仏の顔というのは、きっとこんな顔を指すのでしょう。私の冠など、とうにこの人に譲られていたのかもしれません。
──冠履転倒です。
こんなことを言いながら思うのは、人間とはやはり、性善なるものなのでしょう。ただし、わざわざ先頭に立って優しさを掲げるような真似はいたしません。だからこそ、大義名分さえ整えば、街灯に群がる蛾のように、人の悲しみに吸い寄せられていくのです。見ものではありませんか。
大抵の人間は、なんとなくの平和な音頭に合わせて、ほくそ笑んでいるだけで満たされた気になっているのです。努力を怠った内心の空洞を抱え、渡る世間に鬼すら見い出せぬ烏合の衆。
それでよいのですよ。どうせ平和なのですから。多数派の鳴らす音は大きく、その響きが世界を覆い隠していく。人間は、性善を携えて産み落とされるのでしょう。小さな歪みや醜さは胸の隅に巣くうものの、魂の奥までは、そう易々と腐りはしない。だからこそ、彼らは目の前の痛みに敏感です。 誰かが泣いていれば立ち止まり、道端で力尽きていれば駆け寄り、家族が傷つけられれば怒りを露わにし、友が夢破れれば肩を抱く。子が危機に瀕すれば、己の命すら惜しまない。飢えには食を、寒さには外套を、孤独には言葉を。──そうして人は、善を演じ、善を信じるのです。
心の奥など覗き込むものではありません。覗けば泥の澱が沈んでいるのは、誰しも同じ。それでも蓋をしておけば、表面は善き響きのままに過ごせる。善の才能に恵まれた多数派が、この世界を、平和らしく、やわらかに彩っているのです。
もちろん、性悪に生まれついた者もおります。失敗を笑い、倒れた者を踏み越え、弱きを嗤う者たちです。だが、そんな少数の不協和音など、ふん、と気高く無視してしまえばいいんです。
性善の心にも影は忍び込みます。疲労や嫉妬や恐れのひび割れから、するりと入り込み、片隅に腰を下ろす。しかしそれは刹那の曇りにすぎず、他者を刺す刃にまで研ぎ澄まされることは、ほとんどない。当たり前の話でしょう。光は、影があってこそ光たり得るのですから。
常に闇を纏い、人を傷つけることを己の音とする少数派については、私は仕方のないものとして、そっと棚に置いておくことにしています。世界は、多数派の「善き響き」でできているのですから、それで吉なのです。
私は、性悪の側に属する人間です。なぜなら、私はそんな「善き人々」が怖くて仕方がないからです。私を苛める子供たちなど、ちっとも恐ろしくはありません。彼らの悪意よりも、むしろ、善意をもって近づいてくる人間のまなざしのほうが、ずっと、耐えがたいのです。
──それでも私は、そんな善意のひとつに育てられました。
私は今日まで、叔父に育てられました。苛めなども、皆が成長するにつれてぴたりと止みました。可愛い小童は、いつしか怖い大人へと変わっていったのです。叔父との暮らしで、私に求められていたのは、ただ一つ。哀れな振る舞いを、忘れないことでした。
衣服を与えられ、湯気の立つ食事を与えられ、雨風をしのぐ屋根の下で眠り、学校に通うことができた。私はただ、“可哀想”なままでいればよかったのです。それだけで、日々は壊れずに続いてくれました。叔父のエゴ──そう呼べば、どこか罪のように響くでしょう。けれど違います。断じて違います。あの方は悪くない。むしろ、それはそれは徳の高い方でした。
奥歯を砕かんばかりに食いしばり、鈍色の電車にすし詰めにされ、冷たい上司の指先に晒されながら、どれほど重く、黒い汗を流されたことでしょう。その果てに手にした金を、まるで当然の務めであるかのように、私のために費やしてくださったのです。地を這い、泥にまみれ、それでも神のような微笑みを絶やさなかったお背中。そんな“献身”の上に、私は成り立っておりました。お恵みをいただくために、私はただ、哀しい目をしていればよかった。さも痛みを噛みしめているふうに、さも思い出に胸を震わせているふうに。哀しい目をしていればよかった。叔父はその目に、惜しみなく同情も愛情も注いでくださった。
けれど私は悟っていました。哀しい顔ばかりでは、やがて鬱陶しく思われることを。だから、時に笑みを添えたのです。笑いながら、なお哀しい目をしたまま。その揺らぎこそが、“可哀想”としての私を支えていました。
本当は、知っていたのです。私が“咀嚼したふりをして飲み込んでいた”ものが、どれほど熱く、重く、愛に満ちた贈りものであったかを。
“聖者”の慈悲に生かされた“可哀想な子”。そうやって哀しい役を自分に与えていたのは、ほかならぬ、私自身のエゴでありました。
読んでくださってありがとうございました。
なんか偉そうに「化け物」とか言っておりますが、書いてる本人はコンビニで店員さんに「温めますか?」と聞かれただけで挙動不審になります。
人間、結局その程度です。
でもですね。
そんな小さくて情けない部分があるからこそ、妙に愛嬌があるのかもしれません。
……いや、やっぱりないかもしれません。
とりあえず、また書きます。




