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泥華  作者: 神保 小太郎
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一、化け物の成り立ち①

今回は、少々黒めの話にございます。

おタバコのご用意などしていただけますと、丁度よろしいやもしれません。

 黒い太陽が笑っていました。

「ねえ、聖太くん。なんで太陽を赤で塗らないの? 黒なんて変だよ」

「だって、その方が美しいからだよ。言ってる意味、分かる?」

 私がそう答えると、その少年は眉をひそめ、鉛筆を握った指で机をとんとんと叩きました。小さな抗議の音が、教室の空気に小波を立てます。

「ねえ先生、聖太くんが太陽を黒で塗ってる。これ、間違いだよね?」

 先生は振り向き、眼鏡をずり上げながら私の絵を覗き込みました。白い蛍光灯がレンズに反射して、一瞬、先生の瞳が消えました。

「違うよ。これはね、個性っていうんだよ。みんな違って、みんないい。だからこれもいいの。覚えておいてね」

「意味わかんないよ〜」

 少年たちは口を尖らせ、机の上の赤いクレヨンを転がしました。

 私は分かっておりました。個性という言葉の意味も、太陽に赤を塗るのが正しいことも。だって、私の性根がちゃんと教えてくれていたのです──太陽は赤い、と。その「正しさ」を知ったうえで、なお黒く塗りつぶすことにこそ、私の衝動はありました。誰に教わるでもなく、私は“気を衒う”という生き方を、いつのまにか心得ていたのです。

 上唇をひとなめ、下唇をひとなめ、最後に、べーっと舌の先を突き出して先生に見せつけました。 蛍光灯の白い光の下、クラスメイトたちの視線が一斉に集まります。私の舌頭には、あらゆる光が反射していました。それは黒い太陽よりも赤裸々に、挑発的に輝いていたのです。

「なんですか? 先生を馬鹿にしているんですか?」

「先生、先生なんだから、もっと辞書みたいに喋りなよ。税金喰らいが泣いて呆れるよ。

個性ってのはさ、人とか物がそれぞれに持つ、他と同じになれない傷口みたいなもんだよ。走るのが速いとか、絵が歪んでるとか、笑い声がやけにでかいとか──みんな、同じ“痛み”の形。あの先生の至らなさだって、ちゃんとした傷の跡。個性ってそういうもんだよ」

 先生は、私を下卑た乞食に触れられたような顔をして、傲慢で攻撃的な、上等人種気取りの視線を向けてきました。私はもう一度、べーっと舌を突き出しました。先生は見て見ぬふりをし、他の子の作品に視線を落としました。

 私の振る舞いが、大人の目にどんな影を落とすか──それを、私は幼いころから手に取るように分かっていました。私は、卑しい叡智だけを授かった子供でした。狡猾で、下卑ていて、けれども人の目を渇望する性。まるで天罰を待つ者のように、己の欲を玩び、火遊びのように弄しては笑っていたのです。

 生まれ落ちたその瞬間から、特別たらんとする呪いを抱かされたのでしょう。卑しさの英才教育を、まだ母の胎のうちに、どこかの悪魔から受けたのかもしれません。黒い太陽を頭上に掲げ、快男児を気取る子供。──天才ごっこの天才。それが、私のはじまりでした。そして、笑止ながらも、それが私の個性のすべてだったのです。


 そんな個性は、願い叶って、天才らしく、独りでした。 朝の「おはよう」、昼の「遊ぼう」、放課後の「さようなら」──そんな凡庸な言葉たちが、私に向けられることはありませんでした。

 代わりに私は、頭の中で、悲痛、悲哀、悲壮、哀愁、堕落、破壊、混沌……そんな覚えたての気取り言葉たちを呪文のように唱え、舌の上で転がし、喉の奥で響かせ、心の底で反芻していました。それらはまるで、私という存在を定義づける“装飾語”のように、日々の自意識にそっと縫い留められていたのです。

 無関心の白、憤りの赤、不満の紫、嫌悪の黒──私に注がれる視線と、注がれぬ視線とを、涎を垂らすような渇望で舐め回しながら、「白は悪、他の色は可と赦し、羨望の黄色はどこなんだ」そんな歪んだ独り言をこぼし、気味の悪い万華鏡の幻影に絡みついていました。

 孤独ではない、孤高なのだと、私は意地悪い顔で呟き続けました。孤独の冷たさに身を凍えさせながらも、涙を心の奥にひそかに宿していました。その凡庸な孤独さえも、孤高が背負う宿命、私だけに許された冠だと信じて。

 低脳未熟児どもの馬鹿頭には到底与えられぬ、私だけの栄冠。「私は王様だ、家臣ども」そんな傲慢無礼な威張りん坊が胸を張り、滑稽な威勢をぶら下げて学校中を闊歩していました。なにか特別な痛みや悲劇を、自分だけの冠のように掲げていたかった。そうでなければ、生きる意味など見出せなかったのです。 私はその小さな舞台の上で、痛みと悲劇を誰にも奪えぬ“冠”のように掲げ、哀しみを装うことで、生を支えていたのです。


 けれど、その“冠”は、ある日、現実に追いつかれてしまったのです。──私の両親が、死んでしまったのです。

 大荷物を車に積み込み、空港へと向かう途中のことでした。私を捨てる勇気を得るために酒を口にしたのか、それとも旅立ちの門出を祝うために盃を重ねたのか、その真意は知る由もありません。ただ、両親は酒を飲んでいた。飲酒運転だったのです。反対車線へと揺れたハンドルは、対向車のトラックに弾かれ、二人の命を木っ端微塵にしました。

 家に帰ったその日、家の中は異様な静けさに包まれていました。最初はそれを快適だと感じ、しばらく一人で横になっていました。けれど、その静謐があまりにもうるさくなり、痺れを切らして両親の部屋へ向かいました。

 そっと扉を開けると、そこはもぬけの殻。私は、すぐに捨てられたのだと思いました。とうとう私の気衒い癖に嫌気が差し、逃げ出したのだと。そう思った瞬間、私は泣きました。泣き続けました。

──そんな時です。

 叔父が息を切らして駆け込み、一息置くと、低く抑えた声で告げました。

「聖太君、落ち着いて聞いてくれ。弟たちはトラックに撥ねられて……死んでしまった」

 私はそれを聞いた時、とっさに“悲しい”とだけ思いました。お父さんとお母さんが死んだ。もう帰ってこない。私ひとり──。そんな暗澹たる闇のただ中で、一瞬の光芒が走りました。私は震えました。震える私を、叔父は優しく、強く、抱きしめてくださいました。

「聖太、大丈夫だ。俺がいる。俺がお前の側にいる。ずっといてやるからな」

 叔父の腕に抱かれながら、私は湿った皮膚のまま膝を抱えていた幼生から、ひとつの個体へと、ゆっくりと形を成していったのかもしれません。化け物の呼吸が、ゆっくり、ゆっくりと、心臓を波打ち始めました。

読後感の悪さにつきましては、どうかご容赦くださいませ。

作者もわりと困っております。

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