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泥華  作者: 神保 小太郎
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序章──悲観にらめっこ

古怪趣味の酔狂者が、夜更けにこそこそ綴った小説です。

神保町の古本屋にて、題名も分からぬ本をうっかり手に取ってしまったようなお気持ちで、お付き合いいただけましたら幸いです。

 ウチな、鬱になったかもしれん──そう田舎の乳の方は仰いました。

「本当ですか?そんな感じに見えませんけど」

「だってな、全然食欲が湧かないん、胃に寸胴ぶら下げられてるみたいな感じするん、それでな、夜は眠れないん。これって鬱でしょ?」

「いや、見当違いだと思います。体と顔の形成お変わりないですよ。もっと、痩せて尖ったりするはずです。ご覧ください、私の顎周り、鋭角でしょ?ほら、お腹なんて肋が浮き出て病気の犬みたいじゃありませんか」

「そんなの生まれつきやん。ウチのはな、体質なん、変わりたいけど変わらない、だから鬱なん。ウチな、昨日、医者に行ってな、薬もらったん。見てこれ」

「色彩豊かですね。白、オレンジ、赤茶、白、青と緑、白、ピンク、水色、サーモンピンク、黄色、淡い黄色、白。活気に満ち満ちてますよ。自分で買い足したんですよね?快活の極みじゃないですか」

「うん、でも鬱なん。だってよく自殺する人って少し元気じゃないとできないっていうやん」

「貴方の元気は有り余ってますよ。何事も度合いっていうのがあるんですよ」

「そうなのかな〜?セイ君はいいよね、ずっと同じだもん。ずっとその顔。羨ましいわ」

「貴方も同じ顔のままですよ。ずっと醜い、そのお顔。絶対嫌です」

「あんた死ねばいいのに」

「ところで、肉親は健康ですか?」

「うん、皆んなピンピンしてるよ」

「私、両親亡くしてます。不幸でしょう?私、鬱なんです」

「えー、可哀想。じゃあ、セイ君も鬱で、ウチも鬱や」

「貴方のは度の超えたかまってちゃんってところですよ、一緒にしないで下さい。本当の鬱は私だけ」

「じゃあ、悲観にらめっこしよ、どっちかが悲しくなったら負けね。はい、にらめっこしましょ、泣いたら負けよ、あっぷっぷ」

「ぷはっ。笑ってしまいましたよ。私の勝ちですね」

「確かに、悲しいの反対は笑うやもんね。あんた強いな〜」

「そうなんですよ、だから鬱なんですよ。どうぞこの悲観に吸い付いてください」

「もう、ええわ。ウチ、他に行くとこあるからもう行くね」

「うん、さようなら。お達者で」

 跳ねる背中で、貴方は歩いていく。あの軽やかな足取りが、私には嘲笑のように見えました。その背中を憎みます。恨みます。肉を裂き、骨を砕き、灰になるまで呪い尽くしたいほどに恨めしい。私は私を憎悪で焼き付けます。憎悪こそが血の巡りであり、呼吸であり、生きながらえる唯一の力です。  

 

 私、鬱になったみたい──そう高飛車の乳の方は仰いました。

「えっ、貴方もですか?あっ、なんでもないです。それより大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫よ」

「大丈夫っていうの、なんか鬱臭いですね」

「うん、なんか人に心配かけたくないんだ。人に心配かけるとかえってそれが拍車をかける気がするの」

「それは本物臭いですよ、匂いますね〜。笑えますか、頑張ったら」

「うん、笑える気がする、頑張らなくても」

「あぁ、間違いない、本物ですよ、それ」

「えっ、やっぱり?私そうだと思ったんだよ」

「ところで、肉親はご健在ですか?」

「うん、皆んな元気だよ」

「あっ、違いましたね、貴方は根暗なだけです。鬱ではありません。ちなみに私、両親亡くしてます」

「だからなに?あんたは鬱じゃないよ。ただの寂しがり屋。見境のない寂しさ撒き散らす、普通の人間」

「そんな事ありませんよ、私は俗から外れた繊細さを持っているんです。だから鬱なんです」

「いいえ、貴方はそんなの持っていない。貴方の鬱って自分のどうしようもない状況を嘆いただけのものでしょ。鬱っていうのは他者に神経すり減らしちゃってなるやつでしょ。貴方のは、自己の努力と素質の欠乏。それを鬱なんて言ったら医者なんて要らないわよ」

「仰る通りですね。じゃあ、貴方のも鬱じゃありませんよね。私のと同じことだと思いますが」

「うん、そうね。まぁ、私たち若いからしょうがないんじゃない」

「そうかもしれません、これほどお似合いのカップルはいませんね。抱いてくださります?」

「嫌だよ、気持ち悪い。別れよ」

「私ね、さっき田舎の乳失ったんですよ。高飛車な乳まで失ったらどうしたらいいんですか?片乳でも無ければ、喉枯らして死んじゃいます」

「死ねよ」

「やなこったですよ。ねえ、悲観にらめっこしませんか?はい、にらめっこしましょ、泣いたら負けよ、あっぷっぷ」

「貴方、泣いてるよ。私の勝ち」

「嗚呼、涙が止まりません。どうしたらいいのですかね?」

「知ったこっちゃないわよ。さようなら」

 彼女はそれだけを吐き捨てると、まるで石を転がすように無愛想な足取りで去っていきました。軽やかさも華やぎもなく、ただ私の涙など意にも介さぬ冷え切った背中。私は呆然とその姿を見送り、頬を伝う涙だけが私の世界を確かに引き裂いていきました。

 またまた、今生の別れ。


 おはようございます。変な夢でしたが、あながち夢でもない気がします。だって私は本当に両乳を失ってしまったのですから。

 人を乳呼ばわりするなど、下劣の極み。それでも私は、その毒を愛しました。毒を抱きしめ、毒に口づけし、毒に溺れるしかなかったのです。


天真爛漫が華開き、

その果てに姿を現すは──天醜爛漫。

無垢が極まれば、醜もまた咲き誇る。


私は貴方の月賊にもなり得ぬ、

貴方の風馬牛。

光を盗むことすら叶わず、

ただ無縁のまま野に放たれたもの。


されど都の灯のほとりに、

妖艶にして魔的なる女、ひとり立つ。

玻璃の楼閣を背に、

唇より滴る紅は毒、

瞳に宿るは虚空の焔。

歩むごとに石畳は呪詛となり、

笑みひとつで男どもを骨に帰す。


その女、やがて露西亜の地へと渡らむとす。

雪と氷の都に学びの座を求め、

白樺の影にて己が焔を養はむとす。

されど我にはただ、

彼女の背に翻る外つ国の風のみが、

凍りつく幻として映る。


かかる夜に、我、酒に浸りて酔う。

瑞獣を渇望し、

ぶよの羽を広げる傭人のごとき、腫れぼったき魂を曳きずりて進む。

この酩酊をもって不生出の極みと勘違ひす。

盃の底に揺らぐは救済ならず、

ただの濁酒にして虚妄。


私は何処へ向かうのか。

月は遠く、

駑馬は無縁に彷徨い、

魔的なる女は都会の燈を燃やしつつ、

露西亜の雪原にてその魔を新たに孕まむ。

夜を黒曜に封じ込めて嗤う。


嗚呼、私はその誰にもならず、

その誰にも奪われぬ。

ただ孤独そのものを咲かす花、

天醜爛漫の徒花にすぎぬ。


 至らぬ独語を零しながら、それでも私は、今日という日を歩いています。言葉はつまずき、声は揺らぎ、それすらも私を生かす一雫として。


ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。

人の嫌なところや、自分の卑しさばかりを書き殴っておりますゆえ、読後感もあまり健康的ではございません。

もし、おタバコの一本でも吸いたくなってしまったなら、たぶんそれが正しい効能です。

まだまだ暗く湿っぽい話が続いてまいりますが、それでも読んでいただけましたなら、作者としてこれ以上の喜びはございません。

どうぞ今後とも、懲りずにお付き合いいただけましたら幸いです。

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