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泥華  作者: 神保 小太郎
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10/11

四、都会の乳と田舎の乳①

こんばんは。

最近、自分のことばかり考えております。

別に悩みがある訳ではありません。

むしろ何も無いから考えているのかもしれません。

人間というものは不思議で、内側へ潜れば潜るほど、自分のことが見えなくなっていくようです。

最初は怒りだったものが悲しみに見えたり、悲しみだったものが傲慢に見えたり、その傲慢さえ実は恐怖だったのではないかと思えてきたりします。

そうしているうちに、外の世界はぼんやりしていきます。

人の顔も。

人の声も。

人の人生も。

皆どこか遠くの出来事みたいになっていきます。

ところが妙なことに、そういう時ほど他人の言葉だけは妙にはっきり聞こえるのです。

普段なら聞き流すような一言が、何故か胸の奥へ落ちてくる。

その人の話を聞いている筈なのに、気づけば自分のことを考えている。

他人を見ている筈なのに、結局見ているのは自分の影だったりする。

実に面倒な生き物です。

今回の話も、そんな話です。

「樋口、お前さ、声ちっせぇんだよ。何言ってんのか全然聞こえねぇ。びくびくしてるだけで仕事した気になってんじゃねぇよ……悲しい顔したって誰も見ちゃいねぇよ。見られてないことにすら気づかれねぇんだよ、うすのろが」

「ココア、お前まだダンサーやるつもりでいんの? 三年だぞ、ここ。夢追ってるフリするなら勝手にやれよ。でもな、そんなバイトみたいな気持ちでここにしがみつかれても迷惑なんだよ……痛々しいんだよ、見てる方が恥ずかしくなる」

「乾、格好ばっかつけてんじゃねぇよ。その安っぽいカーディガンに、安っぽい言葉しか詰まってねぇんだろ。小説家?笑わせんなよ……そんな自分を本にでも活かせるとでも思ってんのかよ。いや、本にもならねぇ日記帳だな」

 毛塚様が年甲斐もなく、公衆の面前で毒を吐いておいでです。毛塚様、どうして、わざわざ人の一番弱いところを狙う言い方をなさるのですか。毛塚様はいつも、あの恍惚に近いニンマリを浮かべる。こちらの胸が凍るような一言で、相手の足元をすっとすくい上げるそのやり口を、私は幾度も見てきたのです。分かりますよ、人の急所を見抜き、寸分違わず突き刺すあの暗き快楽を。眼の奥に射す光の鋭さ、吐息の重みに胸が軋む、その律動まで。

 それでも私は、自分の性を必死に律して生きているのです。もしそれを解放してしまえば、きっと一日中悪口を写経しているような化け物になってしまうでしょう。それではこの世を渡っていけない。だから私は、自分が発する言葉や振る舞いを常に気にかけ、慎重に生きているのです。

 人は関心を向ける対象にしか目が行きません。服が好きな者は他人の服装に目を奪われ、車が好きな者は街を行き交う車に視線を注ぐ。それらと同じで、貴方の悪癖がどうしても気になって仕方がない。だからこそ、毛塚様の所業は身に染みて痛いのです。学もおありで、経験も積んでこられたはずの毛塚様が、なぜわざわざそんな下卑た芸を振るうのか、その愚かさが理解できません。私よりも長く、ずっと先に人生を歩んでこられたはずではありませんか。それなのに、なぜ、あんな惨めで低劣な芸当を弄するのですか。思い出してください。幾年にもわたる年月、幾度もの季節、幾つもの出会いが毛塚様を形作ってきたはずです。その肌には刻まれた皺や痕跡があり、その頭には蓄えられた思索があり、その心には積み重なった感情があるでしょう。悲しみも喜びも、恥も誇りも、すべて毛塚様自身の体で味わい、目で見てこられたはずです。それらは、歳月という名の研磨で得られるはずの武器でもあります。ならば、どうしてそれを使わず、ただ人の痛みを笑いの種にするのですか。年を重ねることは知恵を与えるべきであり、経験は他者への手加減を教えるはずではなかったのですか。人の弱さを知り、自分の弱さも知ったうえで見せるべき強さ、それが大人の矜持であるはずなのに。どうして、その矜持が毛塚様からすり抜けてしまったのですか。私は、その喪失を、理解不能の憤りとして胸に抱えています。


 乾君の肩がさらに沈み、そのとき毛塚様の目が、私をかすめました。その視線は鋭くもなく、淡々としているのに、なぜだか自分の存在を肯定されたような重みがありました。

「なんで皆んな聖太みたいに契約とれねんだよ」

 煮えたぎっていた怒りが、すっと引いていく。あの人は皆の心も、この空気も、一手に引き受けている。その人間に認められている──ただそれだけの事実が、胸の奥を甘く痺れさせます。温もりが広がり、同時に背筋が冷えていく。あれほど怒っていたはずなのに、嬉しくて仕方のない自分がいるのです。

 鼓動は、喜びか、悔恨か、それとも怒りか、判別のつかぬまま、高く、深く鳴り渡る。奸智めいた左脳が、愚かな右脳の騒ぎを押し込めるように働き、呼吸を無理やり大きく、ゆっくりと整えさせる。その強制された冷静さがまた別の言葉を作り上げ、舌頭に言葉の輪郭を浮かび上がらせて、胸の脈拍は再び身体の隅々まで伝わり、脇の下を伝う汗は触れれば冷たく、体温との落差に思わず身が縮んでいく。下の歯をゆっくりとなぞれば、不揃いな歯並びがざわつきを呼び、気持ちの乱れが一層増していく。

 言葉は喉の奥で泡立ち、弾ける直前で止まり、胸の内には熱だけが渦を巻いていく。立ち上がってまくしたてたいほどの活気だけは心に湧きたつが、それを外に表現するほどの下品な大胆さは、私には備わっていない。だから私はただ座したまま、自分の内心を傍観する隠者のように、騒ぎを外側から眺めるしかありません。

 声は出ず、熱と抑制とが胸の中でぶつかり合い、時間だけが濃縮されていく。誰も口を開かず、視線はただパソコンの画面に集中しております。視線を向けてもよいという対照だけが、この場の緊張を際立たせるのです。

 画面は、私の意志とは切り離されているのに、確かに何かが動いております。通知が点滅し、カーソルが瞬きし、数字と文字が淡々と刻まれていく。文明とは、こうして隙間を埋めるための力でもあるのだと、改めて思わされます。

 誰かが受話器を取り、通話を始めました。それを合図に作業のリズムが戻り、皆が声を発し始めます。こういう時の私は、殊更に調子がよいのです。電話をかけるたびに契約が取れていき、獲得件数は七件目、八件目、九件目と刻まれていく。獲得が一つ増えるごとに胸の奥に小さな満足が広がり、指先の動きはますます確かになっていくのを感じます。

 最近は、ただただ同じ日々の繰り返しでございます。繰り返し、巡り、また繰り返し。脳内は渦が重なり合って爆ぜそうで、渦、渦、と音を立てております。丸みのある渦の優しさなど、もうどうでもよく、私は直角を、鋭い角を欲しているのです。渦の縁が裂けて角となり、円は断片となって胸の中で鋭くひかる。毎朝同じベル、同じ声、同じ光景の中で、内側だけが奇妙に尖ってゆくのです。外は律儀な反復、内は歪んだ創造。その隔たりが私を刺激し、私はまた自分を罵る。結局、繰り返しでしか存在の証明ができない自分に、私は軽蔑と吐き気を抱いております。


 今日最後の通話を終え、私は受話器をそっと戻しました。指先に残るプラスチックの冷たさは、まるで薄い氷片に触れているかのようで、妙に生々しく感じられます。受話器を置く音がぽつぽつと連なり、事務所の空気は少しずつ冷えを帯びていきました。

 時間の流れが拡散していくように、温度がじわじわと下がっていくのが分かります。毛塚様の机の端には、黒い表紙のノートが開かれておりました。全員が一人ずつそこへ歩み寄り、ペンを取り、今日の獲得件数を記していきます。書き込まれる数字たちはまるで、今日の空気を食べて痩せた夜の欠片のようで、ページの上でひっそりと震えております。

 毛塚様はその数字を一瞥なさると、次の者が書き終えるごとに短く舌打ちをなさいました。その舌打ちは小さな石を投げたかのように事務所の表面に細い亀裂を走らせ、残響だけが長く留まります。やがて毛塚様は、その余韻を背負うようにして、何事もなかったかのように室を出て行かれました。その瞬間、音は消え、黒いノートだけが静かにページを抱え込んでいきました。

 人は平等を好むそうです。少なくとも言葉の上では。しかし私は平等というものを見たことがありません。二人の人間が向かい合った瞬間から、そこには既に何かが生まれている気がするのです。強いか弱いか、美しいか醜いか、賢いか愚かか。本人たちはそんなことを考えていないつもりでも、身体のどこかが勝手に測り始めている。まるで呼吸のように、あるいは脈拍のように。それは理性よりもずっと古く、善悪よりも深く、人間という生き物の骨の内側へ染み込んでいる性質のように思えます。

 私は長いこと、それを教育のせいだと思っておりました。社会のせいだとも思っておりました。しかし最近は少し違う気がしております。誰かに教えられたのではなく、人間という生き物そのものが序列という観念を必要としているのではないか、と。鳥が空を飛び、魚が水を泳ぐように、人は人を見た瞬間にその位置を探してしまう。どちらが上なのか、どちらが下なのか、どちらが価値を持つのか。そんなことを言葉で考えている訳ではありません。もっと無意識で、もっと原始的で、もっと救いのない何かです。

 だから時々、自分の感情が信用できなくなります。尊敬だと思っていたものが服従であったり、嫌悪だと思っていたものが羨望であったり、憐憫だと思っていたものが優越感であったりする。人間は自分の心を理解しているつもりで、その実、結果だけを見て理由を後から作っているのではないでしょうか。感情というものは、名前を与えられる頃には既に何度も変質し、何度も姿を変え、その本来の輪郭を失っているような気がします。

 もしかすると私たちは、自分自身のことすらほとんど知らないのかもしれません。他人を見ているつもりで自分を見ており、自分を見ているつもりで他人を見ている。そしてその境界さえ曖昧なまま、理解した気になり、愛した気になり、軽蔑した気になって生きている。そう考えると少しだけ安心します。もし人間が本当に自分を理解できる生き物なら、ここまで他人に振り回されることも、自分自身に失望することもないでしょうから。

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