四、都会の乳と田舎の乳②
喧騒が、ざわめいております。泡立つ声、壊れた笑い、熱のこもった嬌声、酒瓶のぶつかる乾いた音。そのすべてが、夜を舐めるように這っておりました。
私はその輪の外で、黙って酒を口にしております。誰にも聞こえぬ心の中では、罵詈雑言を並べ立てているのです。くだらない毒舌、下卑た想像、誰かを刺し、貶める言葉たち。声には出していないのに、それらが自分の内側でひどく甘美に響いている。
けれど、その輪のすぐ隣では、まるで別の世界が広がっております。 ココアちゃんの友人たちは、それぞれが自分の舞台の主役であるかのように振る舞っている。
ひとりは声の大きな男で、笑うたびに手を大げさに振り回し、指輪が照明を反射していやらしく光ります。この場で唯一、声量を酒の度数と同じくらい誇っている男です。──イイ男というのは、彼のことです。
もうひとりは細身の女性で、相槌を打つたびに長いピアスをわざとらしく揺らし、淡い香水の匂いをこれ見よがしに漂わせる。あれは香りというより“領土”の主張です。──誰が入ってやるものですか。お舐めなさんな、別嬪さん。
隅の席には、静かな青年。グラスを傾けながらも、時折こちらを一瞥しては、また輪の内側へ視線を戻す。その目つきは、私を招き入れるでもなく、追い払うでもない、中途半端な傍観者のそれです。──お友達に、私など如何ですか。
そして、もう一人の女性。周囲をどこか見下すような顔つきをしておられながら、口を開けば人懐こい笑みをこぼす。その二面性の奥に、ひとつだけ揺るがぬ、私を淡く絡め取り、離さぬ視線。酔いどれてまいりました。耳には、卓を囲む者たちの語りが流れ込んでまいります。皆、それぞれに自分の人生の物語を語っております。失敗から学んだことや、誰かへの感謝や、過去の苦みを未来の糧に変える話。どれもよく整っていて、ちょっとした笑いと涙のスパイスが、きちんと混ぜ込まれている。
しょうもない、しょうもない。どいつもこいつも、言葉を選んでやがる。縁も酣、各々の猥談に花咲かせましょうや。
枠組み、枠組み。現代はただ、枠を積み上げていく。
その線上に唾を垂らし、足でかき消せたなら、
どれほどの真紅の芸術が舞台に降り立てたことだろう。
けれどこの世は、盆暗の楽園。
平和と安全と、久遠の音だけが響く。
糞食らえと嘲笑える久遠が、どこかにあったなら。
この独語はよろしくない、よろしくない。私は、酔いどれ冷ましに外へ出ました。
熱くだれた酔いどれた頭に、すうっと外気のシラフが差し込みます。嗚呼、賢くなる工程とは、これほどまでに心地よいものですか。これで煙草など吸おうものなら、最上の悦が訪れるに違いない。
ポケットから一本を取り出し、唇に挟む。ライターの火が小さく揺れ、オレンジの円が私の顔を淡く照らす。ひと口吸い込むと、乾いた煙が喉を抜け、吐き出される頃には、白い湯気のように宙に散り、消えていく。その煙の行方も、私の期待と同じでございます。上へ昇り、そして、あっけなく消える。
嗚呼、侘しい、侘しい。この私だけに感じる侘しさも、世の常識の一つに過ぎません。人の数だけ侘しさはあり、皆が同じなのです。同じだからこそ、語らず、視線と纏う空気だけで通じ合う。そんな冷たく遠回しで、妙に気取った日常。今、私はその日常を横切っております。これは孤独の風でしょうか。いいえ、私はその空気の中で、わずかに胸を躍らせ、火照っているのですから、違いましょう。分かっているのです、なにも起こらない、きっとなにも起こらない。それでもなにかの騒ぎを期待してしまう、この滑稽さ。
私はこれまで、生きることそのものよりも、誰かの心の中に居場所を持つことを渇望してきました。それは、水を求める砂漠のような、どうしようもない飢えでした。しかし、いざその渇きが満たされると、不思議なことに、あれほど求めたはずのものが、途端に色を失ってしまうのです。
たとえば、雛さんとの日常がそうです。朝、台所から味噌汁の湯気と鰹節の香りが漂ってくる。私が寝ぼけ眼で食卓に着くと、彼女は下卑た笑顔で「おはようさん」と笑い、味噌汁の椀を私の前に置く。
そんななんでもない朝に、私がぽつりと口にした他愛もないこと。お禿への罵詈雑言、醜女についての自己分析、おならの解剖学、前髪の上げ方講座、諸々。そんなのに彼女は、大口広げ、豪快に笑い飛ばし、時には感嘆してくれる。私のつまらぬ戯言が、彼女の中で小さな宝物のように転がっていく様子を見て、私は確かに、満たされる。けれど、その満たされ方は長くは続かない。手にした瞬間から、それは私の中で予兆ではなくなり、日常へと変質してしまう。欲しかったのは愛そのものではなく、その手前にある、喉を渇かすような期待だったのかもしれません。だからこそ、叶った途端、私はもうそれを、「なにも起こっていない」侘しさの仲間に入れてしまうのです。
そう思っている今に限って、なにかが起ころうとしている気配がするのです。こういう勘は、たまには当たるものです。ココアちゃんの友人のひとりが、私のあとを追うように外へ出てきました。冷たい風が頬を刺します。その方は、飲み会の席でもずっと私に視線を絡めておられた。私が誰かと話すたび、笑うたび、飲むたび、その視線が私をなぞっていたのです。あのざわめきの中で、その方だけが私を見つけ、離さなかった。
確かな造形をした大きな瞳が、まるで時間を引き伸ばすかのように、ゆるやかに細まってゆきます。その仕草は、無言のうちに間合いを縮め、鼻筋のすんとした落ち着きは、一見すると静謐でありながら、どこか線を引くような冷たさを含んでおります。唇には光が薄く残り、言葉を急かさぬようにそっと湿っている。肩先で揃えられた髪は整然と線を描き、その裾にだけ微かに湿りを帯びて光り、風が通るたび、匂いがふわりと揺れるように感じられます。
顔立ちには似つかわしくない小柄な背丈、その華奢な輪郭の合間に紛れ込むささやかな丸み。それらが重なったとき、単なる好ましさを超えたなにかが胸の内に立ち上がります。言葉にすれば野暮というものですが、ただ美しいだけでは説明のつかない余白が、そこには確かにあるのです。ふと気づきが胸を掠めました。顔とは単に肉の配列や刻まれた表情ではなく、内面がすんなりと落ち着くかたちへと収斂していくものなのだと。いつも意地悪を抱えている者の面差しはやがて意地悪くなり、日々を愉しむ者の貌は自然と陽気に緩む。色気を纏って生きる者の顔は、言葉を待たずして既にその含みを漂わせている。彼女の一つひとつの線、湿り、影は、まるで内側の秘密をそっと示す符であるかのようで、だから私の胸には、言葉にならない期待が立ち上がるのです。
確かなことは一つ──彼女は、私が望む「なにか」を起こすに相応しい、最もふさわしい相手なのです。
「ねぇ、どこか別のところに行かない? あなたと二人で飲みたいの」
唇の輪郭は艶を帯び、そこに光る湿りが私の視線を捕えて離しません。吐息は夜気を含んで甘く、耳もとへとそっと流れ込み、首の裏をかすめるたび、肌の表面が反応します。言葉は粗末でも、仕草は確信に満ちており、その一つひとつが、私の内部で火を点けてゆくのが分かります。胸の奥が鈍く熱を帯び、下腹にまで波が伝わるように感じ、身体は自然に前のめりになります。
手の先が無意識に震え、指先に血が巡るのを感じながら、私はもう理性の綱を引き締める術を忘れそうになるのです。
日頃は自嘲で身を固めている私が、こんな瞬間だけ「人生一度きり」などという稚拙な言葉に背中を押される。冷静に見れば、それが色欲の塊であることは明白です。しかし、その理性の声は次第に薄れ、肌の感触と唇の想像が主張を始める。
彼女がわずかに身を寄せ、吐息がさらに密度を増すと、もう私の世界は二人だけの距離に収縮してゆきます。想像の中で、衣服がずれる音が聞こえ、唇が、指が、確かに触れ合う感触が胸の中で増幅するのです。
私は堕ちてゆきます。今は他の余白がなにもなく、情欲の波に自らを預けるほかありません。胸の奥で泡立つ音が次第に大きくなり、破裂する寸前のその濃度こそ、私が望んだ予兆そのものなのです。
貴方を見ていると、どうしようもなく思い知らされるのです。それは、私の底であり、烙印であり、そして抗えぬ憧れでもあります。そのすべてを覆い隠すように、あるいは先回りして差し出すように、私は言います──「田舎の出身です」と。言い訳のように、呪いのように、あるいは自己紹介の最初の一手として、繰り返し、繰り返し。
その言葉の中には、知らず知らずのうちに「高飛車」という響きが潜んでいるのです。けれど、それは私自身がそうだという意味ではありません。むしろ逆、真逆なのです。私は、その足元でせっせと高飛車を担いで生きているのです。「縁の下の力持ち」などという立派なものではありません。名もなき踏み台、土台にさえなれぬ土屑。誰にも知られず、誰にも望まれず、それでも、世界の片隅にしゃがみこんでいる。それなのに、そんな世界の底を這い回る私が、あの「都会者」の顔を見るたびに、心が跳ねるのです。こき使われ、踏まれ、唾棄され、召使いどころか虫ケラのように扱われるはずのその視線。本来ならば憎むべきその眼差しに、私は胸を焦がしてしまうのです。
えぇ、分かっています。都会の皆様がそんなことを考えてなどいないことくらい、重々承知しています。これは私の、肥大した、病的な自意識の産物にすぎません。それでも、そう思わずにはいられないのです。
好きなのです。「愛おしい」などというぬるい言葉ではありません。「恋しい」でもない、「欲しい」でもない。ただ、好きなのです。あの顔が、あの態度が、あの自信が。気高く、傲慢に、他人の不幸など眼中にない様子で、背筋を伸ばし、街を踏みしだいてゆくその姿は、あまりにもまぶしく、どこまでも遠く、そしてこの上なく美しい。
私は自分を笑います。愚かで、臆病で、同時にこんなにも浅ましい。目の前で煌めくものを手にしているという事実が、私を滑稽に昂らせるのです。掌に残る温度は確かなのに、そのぬくもりを誇る資格など私にはないと、理性がすぐに告げます。しかし、胸の奥のなにかは、そうした理性の声を押しのけ、ただ熱を増していく。唇の端の感触、そばに漂う匂い、肌に触れた刹那に立ちのぼる記憶のような湿り──それらは言葉にならぬ証であり、私の内部で泡立つ生の証拠なのです。
気付くと私は、ふと冷めた観察者の目を取り戻しています。あの高飛車な象徴は、皺や産毛や匂いという下世話な現実も包含している。理想は割れ、凡庸が顔を出す。しかも、その象徴の一つが、今まさに私の掌に収まっているのだという事実が、冷静さをますます齎せなくする。
実際に触れると、胸は想像よりずっと凡庸で、形は左右で違い、肌には日常の痕が刻まれている。しかしその「ありのまま」の生々しさが、逆に私の中の熱を煽るのです。その落差が私をさらに昂らせるという逆説に、私は苛立ちと羞恥の入り混じった笑いを漏らすのです。
美は、外殻だけではない。欠陥の隙間からこぼれ出す生感までがあって初めて、私の求めるものは成立するのだと、私は密かに確かめてしまいます。
しかし、同時に、現実の重みが戻ってきます。枕元の橙はやがて冷え、室内の空気は日常へと引き戻される。私は服を整え、乱れた呼吸を押さえ、己の醜さを心の中で何度も詫びます。
あの短い濃密な時間は確かにあった。けれど、その後に残るものは曖昧で、少しだけ哀しいのです。望んでいた「なにか」はじきに影を潜め、残されたのは私の内側で蠢く欲と、そこへ名前をつけられないままの後悔だけなのです。
それでも、私は知っています。欲の濃度と後の冷えとは表裏一体であり、どちらも私の一部であると。今はただ、その混沌を胸に抱えながら、ゆっくりと眠りに落ちてゆこうと思うのです。
けれど、貴女──この夜に、私はふと、もう一つの胸を思い出しております。それは、田舎の胸とでも呼ぶべきもので、活気を帯びながらも柔らかく受け止め、触れる者に抵抗を与えず、ぬくもりをそっと返してくれるものです。
その奥に常に宿る静けさが、荒れた心をゆるやかに鎮め、日々の緊張を、ため息のように溶かしてくれる。私はその優しさを、赦しのようなものとして、今も大切に思っております。
貴女の高飛車な乳が私を挑発で満たすなら、雛さんの田舎の乳は、私を赦しで包み込むのだと確かに感じるのです。私はそのどちらも手放すことができず、どちらにも背を向けられずにいます。
右手と心は、二つの在り方のあいだで引き裂かれているように思え、どうにも居心地が悪く、しかし抗いがたいのです。
その不快と陶酔の狭間に、私はふと立ち止まります。
──恋とは、いったいなんなのでしょうか。
恋をしても不便、恋をしなくとも不便。恋とは、人間が己の性を正当化するために作った、ささやかな余興にすぎません。人は真理を突き詰めることを恐れます。なぜなら、その先には、繁殖も慰めも残らないからです。突き詰めた果てにあるのは、欲も理屈も剥ぎ取られた“生”という真空だけ。そこでは、愛も倫理も、美談も凍りつく。だから人は、己の欲を保護するために、「愛」という甘言を弄し、「絆」という飾りを掛ける。それを“人間らしさ”と呼び、拍手までしてみせる。
だが結局のところ、恋愛とは、性欲の包装紙であり、孤独の演出です。その包装を剥がした瞬間、人間はただの動物に戻ってしまう。だから誰も、最後の一枚を剥がそうとしない。
それでも、恋をし続ける。この矛盾を笑って、涙して、語り継いで、今日もまた、人は「愛している」と口にする。けれど、こう結論づけてみると、不思議と私は胸を張ってしまうのです。この滑稽な人間の系譜を、著しく持ち合わせている自分の言動が、むしろ誇らしく思えてくる。
だって、人間ですもの。仕方がないではありませんか?悔しいったらありゃしませんね。




