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ギルド職員は立ち見席にいる

 客席の床が、わずかに傾いた。


 ほんの少しだった。


 足元の板が沈み、体が半歩だけ前へ流れる程度。


 それでも、人は悲鳴を上げる。


「うわっ!」


「押すな!」


「下がれって!」


「前に行くな!」


 小屋の入口付近にいた数人が、慌てて後ろへ下がろうとした。


 だが、後ろには人がいる。


 外から覗き込んでいた者たちが、布幕の向こうを見ようとして前へ詰めていた。


 下がる者と、前へ出る者。


 その流れがぶつかり、入口前が一瞬で詰まる。


「押すな!」


 グレンが吠えた。


「前にいる奴を潰す気か!」


 大柄な体が人の流れの横へ入り、肩で押し返す。


 グレンの仲間たちも左右へ散り、通りを空けようとした。

 衛兵が声を張る。

 ギルド職員が子どもを下げる。

 マーレが手を振り、通路を開けろと叫ぶ。


 だが、人の流れは簡単には止まらない。


 驚いた者は、逃げようとする。

 見たい者は、前へ出ようとする。

 何が起きているのか分からない者は、その場に留まる。


 その全てが、混ざる。


 小屋の奥で、白い仮面が静かに笑っていた。


「本番と参りましょう」


 その声が響いた瞬間、頭上の梁から布が落ちた。


 ばさり、と重い幕が揺れる。


 正面の布幕ではない。

 小屋の内側、客席と舞台を区切るように吊られていた黒い幕だ。


 幕は完全には落ちない。


 途中で止まり、視界を斜めに切る。


 小屋の中に入っていた数人からは出口が見えにくくなる。

 外にいる者からは、中の様子が余計に気になる。


 最悪だった。


 見えないから逃げたい。

 見えないから覗きたい。


 両方が同時に起こる。


「右の入口を空けろ!」


 マーレが叫ぶ。


「子どもを先に下げろ! 押すな、列を崩すな!」


 リオは書板を握ったまま、視線を小屋の内側へ走らせた。


 客席の床。

 支柱。

 縄。

 梁。

 足場板。

 吊り輪。

 滑車。


 全てがつながっている。


 客席の重さが動けば、上が揺れる。

 上が揺れれば、さらに下が鳴る。


 仕掛けは、まだ壊れていない。


 壊れないように作られている。


 すぐには落ちない。

 すぐには潰れない。


 だから、人は逃げ遅れる。


 リオはそれが一番怖いと思った。


 壊れない罠。

 壊れそうに見せる罠。

 逃げるか、見るか、迷わせる罠。


 その迷いまで、カーテンコールは舞台に組み込んでいる。


「黒蝶殿」


 白い仮面が、梁の上でゆっくりと両手を広げた。


 声は、小屋全体に反響していた。


 どこから発しているのか分からない。


 本人の声か。

 音筒か。

 風で運んでいるのか。


 いずれにせよ、その声は人々の耳へ届くよう調整されていた。


「お客様がお待ちです」


 ざわめきが走る。


「黒蝶?」


「黒蝶が来るのか?」


「本物か?」


 リオは唇を噛んだ。


 黒蝶は、すでに出してある。


 日が傾き始めた頃、リオは現場整理の合間に、誰も見ていない荷車の陰で複製体を出していた。


 黒い装備袋は、ギルドを出る前に持たせてある。


 本体のリオが現場で記録係として動く間、黒蝶には別の道から旧荷車通りの屋根へ回らせた。


 今どこにいるかまでは分からない。

 戻るまで、何を見ているかも分からない。


 それでも、あの黒い仮面なら、この開演を見逃さない。


 リオは、小屋の屋根を見た。


 壊れた屋根板の隙間。


 夕方の闇の中を、黒い影が滑った。


 誰かが見れば、ただ鳥が横切ったようにしか見えなかっただろう。


 次の瞬間、黒蝶(ファントム)は、旧巡業小屋の梁の上へ降り立っていた。


 誰かが、最初に息を呑んだ。


「……黒蝶だ」


 その声は、小さかった。


 だが、次の瞬間には人垣の中を走った。


「黒蝶だ!」


「本物だ!」


「本当に来た!」


「見ろ、上だ!」


 歓声が上がる。


 それは助けを求める声ではなかった。


 見世物を見つけた声だった。


 黒蝶は、その声を聞いた。


 胸の奥が、冷えた。


 喜ばれている。


 待たれている。


 だが、それは悪人を止める者としてではない。


 舞台へ上がった役者としてだった。


「聞こえますか、黒蝶殿」


 カーテンコールが穏やかに言う。


「これが、幕が上がった音です」


     *


 黒蝶は、梁の上に膝をついた。


 足場は細い。


 古い梁の上に、後から足場板が渡されている。

 板はわざと少し鳴るように組まれていた。


 踏めば、音が出る。

 走れば、揺れる。

 揺れれば、下の縄が鳴る。


 舞台だった。


 戦場ではなく、舞台。


 それも、人に見上げさせるための舞台だ。


 下には客席。

 その外には、入口へ詰まった人々。

 さらにその奥には、衛兵とギルドと冒険者。


 黒蝶は眠り銃に手を添えた。


 梁の向こうに、白い仮面が立っている。


 深い色の衣装。

 細い手袋。

 つばの細い黒いシルクハット。


 顔には、目も鼻もない白い仮面。

 口元にだけ、薄く笑う線が描かれている。


 右手には、細身のステッキ。


 観客に見せるための小道具のようでいて、黒蝶には分かった。


 ただの飾りではない。


 あれは、梁を叩くための道具だ。

 縄を引っかけるための道具だ。

 舞台を動かすための指揮棒だ。


 カーテンコールは、観客へ向けるように一礼した。


「ようこそ、黒蝶殿」


「人を下げろ」


 黒蝶は低く言った。


「おや。第一声がそれですか。もう少し、観客の皆様へ愛想を振りまいてもよろしいのでは?」


「人を下げろ」


「いけません」


 カーテンコールは、軽く首を振った。


「客席がなければ、演目は成立しません」


「客席じゃない。罠だ」


「呼び方の違いです」


 黒蝶は眠り銃を抜いた。


 カーテンコールは、その銃口を見ても動かなかった。


「撃ちますか?」


 柔らかい声だった。


「どうぞ。ですが、ここで霧を使えば、下へ落ちますよ」


 黒蝶の指が止まる。


 眠霧弾。


 高所で撃てば、重い白霧は梁の上に留まらない。

 下へ落ちる。

 客席へ落ちる。

 逃げ遅れた人々の足元へ絡む。


 眠るのはカーテンコールではない。


 客席だ。


「優しい方は、弾を選ぶのにも時間がかかる」


 カーテンコールが笑う。


 黒蝶は通常の眠り弾へ指をずらした。


 だが、カーテンコールはすでに動いていた。


 梁から落ちるように身を沈め、片手で吊り縄を掴む。


 体が弧を描く。


 白い仮面が、黒蝶の目の前を横切った。


 ステッキが伸びる。


 先端が、眠り銃の銃身を軽く叩いた。


 強い打撃ではない。

 ほんの指一本分、射線をずらすだけ。


 それで十分だった。


 外れた弾の先には、客席がある。


 黒蝶は撃てなかった。


「良い判断です」


 カーテンコールは、吊り縄を軸に回りながら笑う。


「舞台上で迷う一拍は、観客にとって最高の間です」


 黒蝶は返事をしない。


 銃を下げ、踏み込んだ。


 カーテンコールのステッキが、今度は梁から垂れた縄を弾く。


 かん、と乾いた音。


 黒蝶の進路にあった足場板が、半歩横へ逃げた。


 黒蝶は跳ぶ。


 だが、空中で外套が引かれた。


 ステッキの先に、小さな鉤がある。

 黒い外套の縁を、そこが拾っていた。


 半拍。


 たったそれだけ、着地が遅れる。


 梁の上では、それだけで危険だった。


 黒蝶は風を足元へ流し、着地点をずらした。

 細い梁に爪先を乗せ、膝を沈める。


 下で、歓声が悲鳴に変わった。


 最初は、黒蝶の動きに湧いた声だった。


「すげぇ!」


「飛んだぞ!」


「黒蝶だ!」


 だが、足場板が跳ね、客席側の縄が鳴った瞬間、その声色が変わる。


「待て、床が!」


「傾いてる!」


「押すな、落ちる!」


「子どもがいるんだ!」


 見上げていた顔が、足元を見る。


 拍手になりかけていた手が、隣の腕を掴む。


 その瞬間、観客はようやく気づき始めた。


 自分たちは、見ているだけではない。


 巻き込まれている。


 黒蝶は顔を上げる。


 カーテンコールは、別の梁の上で悠然とステッキを回していた。


「足場は、そこにあるから踏めるのではありません」


 白い仮面が傾く。


「踏ませるために置くのです」


 黒蝶は、初めてはっきりと理解した。


 カーテンコールは逃げているのではない。


 攻撃している。


 ただし、黒蝶を斬るためではない。

 黒蝶を落とすためでもない。


 黒蝶に、踏ませる。

 迷わせる。

 撃たせない。

 観客から見える位置へ戻す。


 攻撃そのものが、演出だった。


 黒蝶は梁を蹴った。


 前へ出る。


 銃ではなく、身体で詰める。


 細い梁を走り、吊り縄を掴み、体を振る。

 風を足元へ薄く流し、着地点の揺れを読む。


 カーテンコールは楽しそうに後退した。


 逃げているのではない。


 誘導している。


 上へ。

 さらに上へ。


 黒蝶はそれを分かっていて追った。


 追わなければ、あの男は下を動かす。

 追えば、こちらも仕掛けを踏まされる。


 どちらにしても、舞台の上だ。


 なら、少しでも観客から遠い方へ押し上げる。


 カーテンコールの足が、梁から梁へ飛ぶ。


 風が、彼の外套をわずかに持ち上げる。


 黒蝶はその動きを見た。


 飛んでいるのではない。


 落ちる先を選んでいる。


 落下を恐れていないのではない。

 落下を計算に入れている。


 スキルか。

 身体感覚か。

 風属性か。


 おそらく、その全部。


 軽業師としての経験。

 舞台装置師としての構造理解。

 風属性による姿勢制御。

 そして、危険な足場を恐れない異常な精神。


 強い。


 単純な魔力や腕力ではない。


 この場所で戦う限り、カーテンコールは強い。


 黒蝶はそう判断した。


 次の瞬間、カーテンコールが足場板を蹴った。


 板が跳ね上がる。


 黒蝶の足元ではない。


 黒蝶の進路の先。


 飛び移るはずの場所が、半拍早く消える。


 黒蝶は空中で体をひねった。


 眠り銃を撃つ。


 岩絡み弾。


 糸が吊り縄に絡み、黒蝶の体を引き寄せる。

 その糸を支点に、黒蝶は別の梁へ着地した。


 だが、着地の瞬間、足元が沈む。


 梁そのものが少し下がった。


 下で、客席が鳴る。


 人々の悲鳴。


 黒蝶は歯を食いしばった。


 追うほど、下が鳴る。


 これは空中戦ではない。


 下を巻き込むための空中戦だ。


「ご覧ください、黒蝶殿」


 カーテンコールが片手を広げた。


「皆様が、あなたを見上げている」


「見ているんじゃない。巻き込まれてるんだ」


「同じことです」


「違う」


 黒蝶は低く言った。


「だから、お前は止める」


 カーテンコールのステッキが、梁を叩いた。


 乾いた音が、小屋の中に響く。


 その音を合図に、黒い幕が横から流れ込んだ。


 視界が切れる。


 黒蝶は風を読む。


 幕の向こうに人影。


 いや、仮面だけ。


 また囮。


 次の瞬間、右側から風が来た。


 強風ではない。

 頬を撫でるほどの弱い風。


 だが、梁の上ではそれだけで十分だった。


 着地の角度が、指一本分ずれる。


 黒蝶は体を沈め、片手を梁に添えた。


 その頭上を、ステッキが通り過ぎる。


 突きではない。


 押し込み。


 脇腹を狙った浅い一撃。


 地上なら避けるまでもない。

 だが、この高さ、この足場では違う。


 半歩押されれば落ちる。


 黒蝶は梁を蹴り、逆にカーテンコールへ詰めた。


 カーテンコールのステッキの先が、黒蝶の肩当てを叩く。


 軽い。


 だが、角度が嫌だった。


 肩ではなく、体の軸をずらしにきている。


 黒蝶は眠り銃を逆手に持ち、銃身でステッキを弾いた。


 金属同士が鳴る。


 カーテンコールが笑った。


「良い音です」


「うるさい」


「舞台では、音も演出ですので」


「人の悲鳴もか」


「沈黙よりは、扱いやすい」


 その言葉に、黒蝶の目が細くなった。


 下で、また客席が鳴る。


     *


 リオ本体は、外からその音を聞いていた。


 梁の軋み。

 足場の落下。

 人々の悲鳴。

 グレンの怒鳴り声。

 セナの指示。

 マーレの声。


 全部が重なる。


「右へ寄るな!」


 セナが叫んだ。


「そっちは床が沈む! 左の柱から離れて!」


「言われても動けねぇんだよ!」


「押すな!」


「子どもがいる!」


 入口付近の人々が詰まり、前の数人が小屋の内側へ押し出される。


 客席の最前列に足をかけた職人見習いが、床の傾きで膝をついた。


 その重みで、客席側の縄がさらに張る。


 上で何かが鳴る。


 吊り桟敷の一部が、わずかに傾いた。


 グレンが歯を食いしばる。


「まずいな」


「何がですか」


 リオが聞くと、グレンは小屋の上部を睨んだ。


「あの上の足場、落ちるぞ。今すぐじゃねぇ。だが、人が動くほど早まる」


「支えられますか」


「外からじゃ届かねぇ。中に入るには人をどかさなきゃならねぇ」


 セナが膝をついたまま、床下へ伸びる縄を見ている。


「切っちゃ駄目」


「何をですか」


「この縄。切れば上の足場が落ちる。けど、張ったままでも客席が沈む」


「では」


「支えるしかない」


 支える。


 その一言が、リオの胸に刺さった。


 灰守。


 灰守(バスティオン)なら。


 土属性で足場を固められる。

 アンカーステークで支点を作れる。

 梁を受けられる。

 観客席の沈みを止められる。


 だが、いま出ているのは黒蝶だ。


 黒蝶は上にいる。


 カーテンコールを追っている。


 灰色の装備はここにはない。


 いや、正確には、近くの資材置き場に届けられている救助用の荷箱の中にある。


 ミラが、昨日のうちに「崩落対応用の試作品」としてギルドへ回していたものだ。


 だが、それを着る者がいない。


 いま動いている複製体は、黒い装備をまとって梁の上にいる。


 黒蝶なら追える。


 灰守なら支えられる。


 だが、いまここにいるのは、追うための黒だ。


 支えるための灰ではない。


 リオは小屋の上を見る。


 黒い影と白い仮面が、梁の間を走っていた。


 一瞬だけ、黒蝶がカーテンコールへ迫る。


 届きそうだった。


 あと少し。


 あと少しで、あの白い仮面に手が届く。


 その時、客席の床がさらに沈んだ。


 ぎしり、と嫌な音がした。


 小屋の内側にいた子どもが泣き出す。


 母親が手を伸ばすが、押された人の流れで届かない。


 頭上では、細い桟敷が傾いている。


 落ちれば、最前列を潰す。


 リオは、息が止まりそうになった。


 追う役。

 支える役。

 逃がす役。


 ひとつを選べば、ひとつが抜ける。


 その言葉が、今になって骨の奥へ刺さった。


     *


 黒蝶は、カーテンコールへ手を伸ばしていた。


 白い仮面まで、あと一歩。


 岩絡み弾の糸が、カーテンコールの足元の縄へ絡んでいる。


 逃げ場は狭い。


 ここで踏み込めば届く。


 だが、その一歩で下が沈む。


 黒蝶は見た。


 梁の隙間から、客席が見える。


 子どもの頭上で、吊り桟敷の支えが外れかけている。


 母親の手が届かない。


 グレンが人を押し戻している。


 セナが縄を見て叫んでいる。


 マーレが通路を開けようとしている。


 そして本体のリオが、書板を握りしめたまま立ち尽くしている。


 黒蝶なら追える。


 灰守なら支えられる。


 けれど、いまここにいるのは黒蝶だけだ。


 下では、まだ黒蝶を見上げている者がいた。


「黒蝶、やれ!」


「そいつを捕まえろ!」


「逃がすな!」


 だが、そのすぐ隣で別の声が裂ける。


「誰か、こっちを!」


「床が沈む!」


「子どもが挟まる!」


「助けてくれ!」


 追えという声。


 助けてくれという声。


 その両方が、同じ場所から上がっていた。


 白い仮面へ伸ばしかけた手が止まる。


 カーテンコールが、それを見た。


 白い仮面の口元に描かれた線が、笑っているように見える。


「どうしました」


 声は穏やかだった。


「幕の上で迷うのは、あまり美しくありませんよ」


 黒蝶は答えない。


 下へ視線を落とす。


 客席が、さらに鳴った。


 もう待てない。


 黒蝶は、白い仮面から目を離した。


 そして、下へ跳んだ。


 梁の上に残されたカーテンコールが、ほんのわずかに動きを止めた。


「……いけませんね」


 声は静かだった。


 だが、そこに初めて、薄い不快が混じった。


「主役が、幕の途中で舞台を降りてしまうのは」


 黒蝶は答えない。


 落下しながら、岩絡み弾を撃つ。


 糸が客席上の桟敷へ絡む。

 黒蝶はその糸を引き、落下の軌道を変えた。


 支える力はない。


 灰守のように梁を受け止めることはできない。


 だが、落ちる向きは変えられる。


 ほんの少しなら。


 桟敷が軋む。


 黒蝶は糸を引き、落下しかけた板の角度を変えた。


 直撃だけは避ける。


 だが、それだけだ。


 客席そのものの沈みは止まらない。


 支柱の軋みは続いている。


 グレンが叫ぶ。


「今のうちに抜け! 前から順に出ろ! 押すな!」


 セナが続ける。


「左! 左へ流して! 右の縄に触らない!」


 黒蝶は客席の上を横切り、揺れる梁の端へ着地した。


 人々が見上げる。


「黒蝶だ!」


「下りてきた!」


「助けてくれ!」


 黒蝶は一瞬だけ目を伏せた。


 違う。


 自分は、ここを支えるための姿ではない。


 ここに必要なのは黒ではない。


 灰だ。


 その間にも、梁の上では白い仮面が遠ざかる。


 カーテンコールは、細い縄を掴み、風に身を乗せて奥の暗がりへ移っていく。


 逃げる。


 追える。


 だが、追えば下が落ちる。


 リオ本体は、拳を握りしめた。


 黒蝶の視線も、本体の視線も、同じものを見ていた。


 逃げる白い仮面。

 沈む客席。


 追えた。


 支えられた。


 でも、同時にはできない。


「どちらかを選ぶために」


 誰にも聞こえない声で、リオは呟いた。


「この力があるんじゃない」


 足元の影が、かすかに震えた。

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