エピローグ『ひみつの部屋』
ブランクは、それから賢者の書にこもった。何かあれば、クロエに外の本を開いてもらうようにお願いして、中を徹底的に探し回った。
サラがいつ何を仕掛けてくるとも分からない恐怖もあったが、そればかり気にかけては息つく暇などない。エレノアの申し立てもあって、ブランクはその好意に甘えることにした。しかし──。
「ダメだ! これじゃない……」
書内の資料は全て見漁ったが、そのどれもが鍛冶や日常のことばかりで、ブランクの持つ能力に関する事柄は、一切触れられていなかった。
「ほんとにないのかな……」
もしなければ、ここで手詰まりになる。しかしここで諦めれば、これまでの努力が水の泡となる。
「くそっ!」
ブランクは暖炉の岩を殴りつけ、後悔した。悶絶し、横転し、床の上で歯の隙間からひいひいと息を漏らしてのたうち回る。
「……ん?」
そうして涙が頬を流れていた時のことだった。ブランクは、濡れた頬に、風が当たるのを感じた。ブランクは不思議に思った。普通、空気は風や何かが動かない限りは風を生むほど動くことはない。隙間風か、とも思うのだが、それにしたって閉め切った家の中ですうっと優しく撫でてくるのだから、あまりに奇妙な話だと、ブランクは床を這いながら、その出所を探した。
「…………あった……」
ブランクは、ようやくその場所を引き当てた。そこは、一見するとただの床板で。しかしその上に乗れば、ギィっと軋み、飛び乗れば低い音が鳴る。奥に空洞がある証拠だった。
(基礎が石造りなのに、こんなの絶対おかしい、何かあるんだ……!)
ブランクは周囲を見渡す。仕掛けらしいものは見当たらない。しかし今まで意識をしていなかっただけで、それはすぐに見つかった。
(床板の継ぎ合わせに奇妙なところがある……?)
ブランクの違和感は確信に変わりつつあった。木目がただ変わってるのを見れば、ああ、端材でも使ったのかと思うのだが、それが四つ、一定の規則性を持ってあるというのだから、ブランクは「間違いない……」と自分の仮説を裏付けるように呟いた。
「すこし沈む……?」
手で押すとゆっくり沈んでカコンと鳴るのだが、離すと戻る。押し直すと、やはり同様にカコンと鳴る。全て押して回ったが、変化はない。ただ全てにその仕掛けがあるのだから、偶然にしては出来過ぎているというのが、ブランクの所見だ。
(同時に押すのか……? 人の手を借りる? いや、ダザン一人でやってたはずだ。でも、そんなこと一体どうやって──)
分身するのか? と思いかけて。ブランクはあっと閃いた。その仕掛けの幅は、ちょうど食卓を囲んでいたテーブルとよく似ている。
「試してみる価値はあるか……!」
ブランクはゴアドを唱え、テーブルを引きずらないように持ち上げた。そうして端材の床面へ向かわせると、それはピッタリ四足の真下に当てはまった。
「やっぱり、思った通りだ!」
カチッと音が鳴り、四つの端材は沈み込んだ。それから、隙間風のあった床板は一段沈み込むと、スルスル他の板材の下へ吸い込まれ、消えていく。
後に残ったのは壁に置かれたカンテラと、怪しい地下への階段だけで。
「この先に、きっと何かある……」
ブランクはカンテラに火を灯すと、怪物の口のようにぽっかり開いた地下へ、意を決して踏み込んだ。
地下はひんやりとしていて、けれど屋敷の地下よりは温かかった。さほど湿度も高くなく、階段もすぐに終わりを迎えた。
「ここは……」
突き当たりには、机と椅子のセットにペン、それからインクがあった。他には何のためにあるか分からない石の台座くらいで、作業スペースにしては仰々しく、薄暗くて不向きだ。
「……だめか」
そうなると怪しいのは台座なのだが、上に乗れども跳ねども、うんともすんともいわない。ダメ押しにもう一度思いっきり踏みつけてみるのだが、突き抜けた衝撃で脛が痛くなるだけだった。
「うーん……ただの飾りなのかな。でもこの台座の形、どこかで見たような覚えが──」
言いかけてブランクは、あっと声を上げた。それは、いつかにウィルと冒険した遺跡の中で、ダザンに教えられた通りに、カンテラの灯りを消したことがあった。
「もしかして……いや、絶対そうだ!」
試してみる価値はあると、ブランクはカンテラの灯りをふっと吹き消した。辺りには静寂とひんやりとした暗闇が立ち込めて、ブランクの胸をドキドキ高鳴らせた。
もしかして違っただろうか。師からの挑戦状を受けているような気持ちに固唾を飲んで待っていると、
「やっぱり……!」
ガコン、と音が鳴った。それから、ゆっくりと壁が奥手へ開いていく。その先からは遺跡同様に、翡翠色の光が差し込んだ。ブライト鉱石の光である。
ブランクはゆっくりと進んでいく。この奥に、一体何があるというのだろう。こうも用心深く保管されているとすれば、それはきっと何か、重大な秘密に違いない。そして、それはきっと、遺跡で見つけた能力についてではないか。
宝物庫へでも向かうような気持ちになるのだが、現実はひどく殺風景だ。ブライト鉱石による道案内も終わりを迎えそうになったがために、ブランクはカンテラに火を点けた。
「ここは……」
奥は一面鉄の壁だった。いや、果たして鉄だろうか。少なくともどこにも錆は見当たらず、しかし踏み締めるとたしかに鉄特有の硬さと音が響き渡る。
「わっ!」
ブランクが足を踏み入れると、自動的に光が灯った。それは、ブライト鉱石とも火の光とも違う、鮮烈な光だった。
「驚いた、すごく光が強いんだ……」
光っているのは一箇所なのに、室内全体が隅々まで見渡せる。持ち帰ってみたい好奇心に駆られるのだが、今は目的が優先された。
「これだけあれば、絶対何かあるぞ……!」
見つかったのは本棚だ。置いてある本はそれほど多くはないのだが、古臭いながらもどれも見事な装丁で、いかにもそれっぽい。ブランクはパラパラとページをめくると、それが昔の日記であることに気がついた。
「たぶんこれだ、鍛治をする前のダザンの日記……」
冒険の手記や、魔物、それから動植物の特徴など。様々なことが走り書きしてある。今手にしているのは東の──グランヴァレフの気候などについて記されている。ヴリテンヘルクと比べると熱帯であるなど、それこそあの冒険譚の原典とも言える生々しい情報ばかりで、ブランクは興奮してページをめくると手が止まらなかった。
「ダザン……結構挑戦的だったんだ」
生食に挑戦して腹をくだしたことなども書いてあった。昔のダザンはかなり負けず嫌いだったようだ。ブランクは、冒険譚など氷山の一角で、その旅の手触りは、もっと淡く輝いた尊いものだと気づいてゆく。
「そういえば僕、ずっとキッシュベルクにいるや。僕も早くこんな冒険がしたいな……」
そうとなればこの領内の問題を早期に解決したかった。名残惜しい気持ちに蓋をして、後で読めると自分に言い聞かせながら、ブランクはページをめくる手を逸らせる。
「それにしても……こんな立派な見た目の本を日記にだなんて。いかにもダザンらしいや」
故郷に残した仏頂面の師を思いながら、ブランクは苦笑する。ダザンは何かと日記をつける癖がある。あの遺跡のことだって、きっとどこかに残しているはずだ。ブランクは、そう思いながら、次の本へと手を伸ばした。
「これは……!」
ブランクは、思わず目を見開いた。グレフ村についての記述である。少なくとも、賢者の歴史を思えば、比較的最近の話である。一行ずつ流し目で読み進めていく。
「ダザンも最初は苦労したんだ……」
グレフ村で宿を探すものの、よそ者を容易に受け入れることはなく。年貢のこともあって食料すら分けてもらえず、野宿をしたと日記に書いてあった。しかし、ここで諦めないのがダザンらしいなとブランクは思った。
読み進めるうちに徐々に受け入れてもらえる様子も記されており、ブランクはそれが我がことのように嬉しかった。
「おっと、いけないいけない」
ブランクはパラパラとページをめくる。グレフ村での滞在は思ったより長く、遺跡の調査もしたと書いてある。この辺りからかと、ブランクは読み進める手を緩めた。しかし──、それはすぐに止まった。
「……マルタ」
その単語が、ブランクの目を妙に惹きつけた。一度だけ、ブランクはダザンが寝ている時に、その言葉を聞いたことがある。単なるうわ言ではあったが、寝ている時に、確かにその名を口にしていた。そうだというのに、目覚めた時に聞けばいつもの調子で誰だそれは、と言うのだ。
「ちょっとだけ、読んでみよう。ちょっとだけ……」
ページをすこし遡る。マルタという女性は、どうやら子どもが二人いるらしかった。一人はちょうど今の自分と同い年くらいで、もう一人は乳飲み子のようだった。
「ジャン……え。これジャン!?」
見るに女性のスカートをめくったり、水桶に泥を入れたり、畑の野菜を引っこ抜いたり、どうしようもない悪タレに頭を悩ませると書いてあり、その続きにジャンの名前がある。
「うわぁ……そりゃ村の人と反りが合わないはずだよ……」
ジャンが山中で暮らしている理由を何度聞いてもはぐらかされたが、これはさすがに納得だとブランクは口角を引きつらせた。
「ジャンらしいや」
はははと笑いながら、ページをめくる。さかのぼるとマルタはダザン同様の流れ者らしく、ダザンが面倒を見ることになったらしい。ジャンは擦れた目をしていて──、
「……え?」
ブランクは、目を疑った。
一度本を閉じた。
それから、また開いた。
「……これ……ぼく?」
ブランクの瞳孔が揺れた。日記には、赤枯れ色の髪した赤子について記されてあった。




