予報が来ない空
天象庁に戻ると、
空気はすでに“仕事の顔”に切り替わっていた。
観測塔の上層階では、
魔導灯がすべて点灯し、
術師と研究員が慌ただしく行き交っている。
「各塔、風向データ再送!」
「雲層反応、依然ゼロ!」
「魔力気圧……変化なし!?」
“変化がない”という報告が、
逆に異様だった。
ソーマは廊下を歩きながら、
無意識に耳へ意識を向ける。
(……静かだ)
本当に、何も聞こえない。
ノイズも、
ラジオ調の声も、
予兆すら――ない。
◆
◆観測室
セイル・アルヴェインは、
中央の円卓に立ち、
空中投影された観測図を見つめていた。
「状況をまとめる」
室内が静まる。
「王都上空を含む半径三十区画。
天候・魔力・霊脈、すべて平常値」
ガルムが思わず口を挟む。
「……それで、なんでこんなに騒いでんだ?」
セイルは視線を上げた。
「“平常値しか出ていない”からだ」
セシリアが補足する。
「本来、天候っていうのは
必ず“揺らぎ”があるの。
完全な平衡は、
理論上ほぼ存在しない」
リュミも頷いた。
「……空が……
“止まっています”」
ノアは胸を押さえ、
小さく呟く。
「……前にも見た……
この“止まり方”……」
ソーマは拳を握った。
(予報が来ない。
観測は平常。
空は止まっている……)
セイルは、
ゆっくりソーマを見る。
「相馬颯真。
君の予報は?」
「……完全に沈黙してます」
その言葉に、
室内の温度が一段下がった気がした。
◆
◆“天気のない状態”
セシリアが空中に新しい図を投影する。
そこには、
雲も風も描かれていない、
“空白の空”。
「私たちは、
これを仮に――
天気のない状態と呼んでいる」
ガルムが眉をひそめる。
「天気が……ない?」
「正確には、
天候という概念が、表層に現れていない」
ソーマは、
背筋が冷えるのを感じた。
(それ……
前世で聞いたことがある……)
気象会社の研修。
仮説の話。
“もし、
大気が完全に均質化したら
天気は存在しなくなる”
だがそれは――
机上の空論のはずだった。
リュミが不安そうに言う。
「……空が“何も言っていない”時は……
とても、危険です……」
イサナが短く告げる。
「……世界が、
“決断を先延ばしにしてる”」
「先延ばし?」
ソーマが聞く。
「壊すか、保つか。
その間で……
息を止めてる」
ノアは、
顔色を失っていた。
「……その状態が長く続くと……
“一気に来る”……」
◆
◆王都上空
その瞬間だった。
観測室の外が、
暗くなった。
「――!?」
全員が振り向く。
窓の向こう。
雲はない。
雷も、風もない。
ただ――
光だけが、消えている。
昼なのに、
夕方でも夜でもない。
“影だけの空”。
「日照……ゼロ!?」
セシリアが叫ぶ。
「雲遮蔽なしで!?」
「そんなバカな!」
リュミは息を呑む。
「……空が……
“目を閉じています”……」
ガルムが低く唸る。
「……来たな」
ソーマの耳奥は、
相変わらず――無音。
だが。
胸の奥で、
はっきりとした“圧”を感じた。
(……これは……
予報じゃない……
警告ですらない)
セイルが即断する。
「王都、警戒態勢!
市民の外出制限!
鐘を鳴らせ!」
「ですが、理由が――」
「理由は後だ!
空が沈黙した時点で、十分だ!」
◆
◆ソーマの確信
ソーマは、
ゆっくりと息を吐いた。
(予報が来ない災厄……
本当に来たな)
リュミが、
そっと彼の袖を掴む。
「ソーマさん……
怖いです……」
ソーマは、
小さく頷いた。
「俺もだよ」
それでも、
目を逸らさなかった。
(でも……
逃げるわけにはいかない)
空が、
再び何かを選ぼうとしている。
その時――
ソーマの耳奥で、
ほんの一瞬だけ、
“音にならない何か”が脈打った。
言葉でも、
声でもない。
ただ――
“方向”だけを示す感覚。
(……上……?)
ソーマは、
王都の空を見上げた。
「……来るぞ」
「何が?」
ガルムが問う。
ソーマは、
静かに答えた。
「天候じゃない何かだ」
影だけの空が、
ゆっくりと――
“割れ始めていた”。




