揺れの街で昼食を
王都レウェンの昼下がりは、
三日前までの異常事態が嘘のように穏やかだった。
露店からは焼き串の匂いが漂い、
行商人の声が飛び交い、
子どもたちが路地を駆け回っている。
「……普通に、日常してるな……」
ソーマは人の波を眺めながら、
どこかほっとしたように肩の力を抜いた。
隣でガルムが鼻を鳴らす。
「そりゃあ三日も世界がひっくり返ってたなんて、
普通の奴らは知らねぇからな」
「知らないままでいてほしいけどね……」
セシリアがため息交じりに言う。
リュミは空を見上げて微笑んだ。
「でも……空の揺れが、本当に落ち着いています。
ちゃんと“いつもの王都”です」
イサナは串屋の屋台をじっと見つめていた。
「……あれ、美味しそう」
「ごめん今のは完全に“いつものイサナ”だわ」
ソーマが即座にツッコむ。
青年は一歩だけ後ろからついてきて、
人混みを不思議そうに見回していた。
「……賑やかだね。
僕の世界の最後の頃は、
こんな光景、どこにも残ってなかった」
ソーマは振り返り、笑う。
「だったら、ここでたくさん見てけよ。
日常、今のうちに腹一杯味わっとけ」
ガルムがソーマの肩をがしっと組む。
「まずは腹だ!
肉だ!! 焼き串だ!!!」
「うわっ、引っ張るなって!!」
◆
◆王都名物・揺れ串屋「灰街ホット」
露店の軒先に座った六人は、
それぞれ鉄串に刺さった肉と野菜を受け取っていた。
ガルムは早速ひと口でかぶりつく。
「んぐ……っ!!
おおお!! この焦げ具合、完璧だ!!」
「噛んでから喋りなさいよ」
セシリアが呆れながらも、
自分の串をひと口かじる。
「……ん。
悔しいけど、レシピ知りたいレベルね……」
リュミははふはふと頬張りながら、
幸せそうに目を細めた。
「おいしい……
あ、ソーマさん、ソース垂れてます」
「え、どこ!?
服!? 顔!? どっち!?」
「全部です」
「全部かよ!!!」
イサナはマイペースに、
端っこの焦げをちまちまとかじっている。
「……この焦げ目、いい。
世界がひっくり返っても焦げは美味しい」
「世界基準そこなの!?」
ソーマが思わずツッコむ。
青年は少し緊張した面持ちで串を持ち、
恐る恐るひと口かじった。
「……あ……」
ほんの少し、目が丸くなる。
「どうだ?」
ソーマが尋ねる。
青年は、
ゆっくりと、でも確かに笑った。
「……ちゃんと“今の味”がする。
最後の世界じゃなくて……
ここで生きてる人たちの、今の味が」
リュミの表情も和らぐ。
「それは……よかったです」
ガルムが豪快に笑った。
「気に入ったならもっと食え!!
世界救った報酬だ!!」
「払うのは私なんだけど!」
セシリアが即座に抗議する。
「細かいことは気にすんな!!」
「気にするわよ!!!」
◆
ひとしきり食べて落ち着いたところで、
ソーマはふと青年の方へ向き直った。
「そういえばさ」
「ん?」
「お前のこと、ずっと“青年”って呼んでるけど……
名前、どうすんだ?」
青年はきょとんとした顔をした。
「……そういえば」
セシリアが顎に手を当てる。
「そうね。
記録にも“名無しの揺れ”って残すわけにいかないし。
研究資料がややこしくなる」
「研究資料前提で話さないでくれる?」
ソーマが真顔でツッコむ。
リュミが少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。
「そういえば……私たちも、
まだお名前、聞いてませんでしたね」
青年は視線を落とす。
「……僕の世界での名前は……
もう、あんまり意味を持たないから」
イサナが静かに言った。
「揺れは、場所が変わると名前も変わる。
こっちでの名前は、こっちで決めればいい」
ガルムが食べ終わった串を掲げた。
「よし!!
じゃあ俺が決めてやる!!」
「やめろ」
セシリアとソーマとイサナが同時に制止した。
「なんでだ!!」
「ガルムがつけると、
絶対“肉”とか“斧”とか入るでしょ」
ソーマ。
「あるいは“筋”とかね」
セシリア。
「“タンパク”とかもありそう」
イサナ。
「お前ら俺を何だと思ってんだ!?」
「筋肉」
「肉柱」
「脳まで筋」
「言い過ぎだろ!!!」
◆
ソーマは少し考える素振りを見せた。
「じゃあ……
この世界での、お前の名前……」
口にしようとして、
ふと、言葉を飲み込む。
(……俺が勝手に決めていいのか?
こいつは“自分の世界を失った”んだ。
名前まで全部こっちで上書きしたら……
それこそ、あいつの世界を無かったことにするみたいじゃないか)
青年は、
そんなソーマの迷いを察したように笑った。
「ソーマ。
君が決めてもいいよ。
僕は……“ここで生まれ直した”ようなものだから」
ソーマは首を振る。
「いや。
決めるのはお前だ」
青年が瞬きをする。
「え……」
「自分で選べ。
前の世界にいた自分も、
こっちの世界で生きる自分も、
どっちも踏まえてさ」
リュミもそっと言葉を添える。
「“在りたい揺れ”を、
自分で選んでほしいです」
イサナも短く頷く。
「名前は揺れの“芯”だからね」
ガルムは腕を組む。
「いい名前なら、俺が真っ先に覚えてやる」
セシリアが眼鏡を押し上げる。
「そして記録するわ。
天象庁の正式な観測対象として」
「最後の部分だけすごい研究者だった」
ソーマがぼそっと言う。
青年は少し黙り、
ふと、遠く――露店の喧騒の向こうを見つめた。
「……“箱舟”って、知ってる?」
ソーマが一瞬ハッとする。
(……ノアの方舟……
前世の世界で聞いた言葉だ……)
青年は続けた。
「僕の世界の古い話に、
“大きな洪水から人や生き物を守る舟”の話があった。
全部は救えなかったけど……
最後まで“連れて行こうとした舟”」
ソーマは静かにうなずく。
「知ってるよ。
前の世界でも、その話はあった」
青年は少しだけ照れくさそうに笑った。
「――だから。
僕は、“ノア”でいいかな」
リュミが目を丸くする。
「ノア……」
セシリアが小さく息を呑む。
「世界の揺れを“避難”させる器……
意味としては、悪くないわね」
イサナはじっと青年――ノアを見つめた。
「自分で選んだんだね」
ノアは頷いた。
「うん。
僕は……“連れて行きたかった側”だから。
今度は、
この世界で誰も置いていきたくない」
ソーマは笑って、右手を差し出した。
「じゃあ――改めて。
ようこそ、アステリアへ。
“ノア”」
ノアは少しぎこちなく、
しかし大事そうにその手を握り返した。
「うん。
これからよろしく、ソーマ」
ガルムが大声を上げる。
「よし!!
ノアな!! 覚えた!!
ノア!! 肉食うか!? ノア!!」
「ガルムさん、連呼がうるさいです……」
リュミが苦笑する。
セシリアはメモ板にさらさらと書き込んだ。
「《新規観測対象:ノア》……っと」
「タイトルやめろ!!」
ソーマが即ツッコむ。
イサナは串をもう一本追加注文しながら呟いた。
「ノア。
甘いものも食べていくといい」
「……世界基準そこなんだね?」
ノアは少し困ったように笑う。
◆
そんな他愛ない会話がひとしきり続き――
ふと、風が通り抜けた。
ソーマは空を見上げる。
(……揺れは静かだ。
でも、“ノア”って名前が、この世界にちゃんと馴染んだ……)
耳の奥に響くはずの予報は、
今日は不思議と沈黙している。
(……いい。
今日はこのまま、何も聞こえなくていいや)
ソーマは、焼き串の最後の一片をかじった。
日常の味。
普通の、昼食の時間。
その隣に、
新しく名前を持った“元・青年”――ノアがいる。
(世界がどう揺れても。
こいつの名前だけは、
ちゃんと呼び続けよう)
王都の喧騒はいつもと同じ。
だが、その裏で――
王家と神殿と測候院の思惑が、
静かに蠢き始めていた。
それを知るのは、
もう少し先の話。




