イサナの帰還、報せと沈黙
天象庁の簡易宿舎――
そこは新米隊員がよく使う質素な建物だ。
その一室では、
ガルムが風呂から戻り、髪をタオルで拭きながら叫んだ。
「よっしゃぁぁ!!
風呂最高!!!
文明最高!!!」
「ガルムさん、三回目ですよ同じ感想」
リュミが微笑む。
「何度言ってもいいだろ!?
言うほど大事なんだ!!」
「まあ否定はしないけど……」
ソーマも笑う。
「ソーマ、お前も早く入れ。
そのままだと倒れるぞ」
「いやもう倒れかけてる」
ソーマはふらふらだ。
「じゃあ行ってきますね」
リュミがバスタオルを持って静かに部屋を出た。
※女子専用浴室は別棟
「セシリアは?」
「もう入ってる。あの人、疲れると風呂優先になるタイプ」
「あー……なんかわかる」
「お前は倒れながら入るタイプだな」
「やめて? 予言みたいに言わないで?」
◆
ガルムがポイとタオルを放り投げたとき――
コン……。
小さく、扉が叩かれた。
「誰だ?」
ガルムが扉に近づく。
ギィ……。
ゆっくり開いた扉の先に立っていたのは――
「……イサナ?」
「ただいま」
「ただいま!?
出てったの五分前くらいじゃなかった!?
むしろただいまって距離じゃないよ!?」
ソーマが驚く。
「揺れの匂い、確認した」
イサナは淡々と言ったが――
表情が、少しだけ硬かった。
ガルムもすぐに気づく。
「……どうした、イサナ。
なんか顔色悪くないか?」
「悪くない」
「いや悪いだろ!?
お前いつも感情ゼロみたいな顔なのに、
今日は“ゼロの少し下”みたいな顔してんぞ!」
「うるさい」
「ほらソーマ!!
イサナいじめた!!」
「俺!?!?!?
被害者そっちじゃない!?」
イサナの口元がわずかに震えた。
(……何があった?)
ソーマは、
イサナの様子の違いにすぐ気づいた。
◆
「イサナ、どこ行ってたんだ?」
ソーマが静かに問いかける。
少しの沈黙。
(……言う?
言わない?)
イサナは短く息を吸った。
「王都の揺れ……
ひとつ、見つけた」
「!!」
ソーマの背筋に電流が走る。
「どこで?」
ガルムも身構える。
「中央通りの……噴水のところ」
「噴水……あそこ人多い場所だぞ!」
「うん。
だからすぐには消えなかった。
“消え残りの揺れ”があった」
ソーマが顔をしかめる。
「誰かが……そこを通ったってことか?」
「そう」
イサナは視線を落とす。
(“誰か”……
じゃない)
◆
「その揺れ……
“影の匂い”に似てた」
イサナは続けた。
「峠の影と……同じ種類」
「嘘だろ……
もう王都に影が来てるってことか!?」
ソーマが叫ぶ。
「まだ“影じゃない”。
影より……もっと“人間に近い”」
「……人間に近い?」
「うん。
形も、声も、歩き方も、
全部“人”。
でも、揺れが違う」
ガルムが息を呑む。
「そりゃ……
危険すぎるやつじゃねぇか……」
「ソーマを探してた」
イサナが静かに言った。
「――――っ!!」
部屋の空気が一気に凍った。
◆
ソーマは、
失った声をようやく絞り出した。
「……俺を……?」
「名前も知ってた。
匂いも辿ってた。
“境界を閉じた鍵”を、探してた」
「鍵……また鍵って言われてる!!
俺、鍵じゃない!!」
「鍵」
「確定すんなぁ!!」
ガルムが腕組みしながら低く唸る。
「そいつ……
なんなんだ?
影側の奴なのか?」
イサナは首を横に振る。
「“違う”と思う。
影そのものじゃない。
でも……影と同じ“向こう側”の匂い」
「向こう側……」
ソーマの胸が強く脈打つ。
彼の前世世界に繋がる“外側”。
(まさか……
前の世界の残り火……?)
◆
「イサナ……」
ソーマは、
沈んだ声で問う。
「そいつ……何か言ってなかったか……?」
イサナの目が、ほんの少し揺れた。
(言うべき?
言わないべき?)
胸に刺さる言葉が、まだ抜けていない。
――――“すぐに迎えに行く”。
イサナは唇を噛んだ。
「……何も。
大したことは言ってない」
「……そっか」
ソーマはあっさり受け取った。
だがリュミが風呂から帰ってきたら、
その嘘はすぐにバレるだろう。
イサナは、
それが分かっている。
でも――
言えなかった。
(……ソーマを不安にさせたくない)
(今のソーマは“揺れが浅い”……
境界に引っ張られた後だから……)
(もうこれ以上……揺らせない)
◆
イサナはふいに顔をそむけた。
「……今日は、休んだ方がいい。
ソーマも、リュミも。
明日、揺れを探す」
「イサナ、お前も休めよ」
ガルムが優しい声を出した。
「休む」
「どこで?」
ソーマが恐る恐る尋ねる。
「外」
「やっぱり外なんだ!?!?!?」
「風の匂い、必要。
閉じた部屋嫌い」
「でも王都の外って危ないぞ……
泊まっていきなよ」
イサナは、一瞬だけ躊躇したように見えた。
(……ここにいた方が、
ソーマを守れる)
(でも……
眠れない……)
「……近くの屋根で寝る」
イサナは結局、中間案を選んだ。
「屋根!!?」
ソーマとガルムが同時に叫ぶ。
「落ちるぞお前!!」
「落ちない」
「理由は!?」
「……慣れ」
「慣れで全部解決するなぁ!!」
◆
それでもイサナは、
その夜、
宿舎の屋根の上に小さく丸まって眠った。
風の通りは良く、
影の匂いは薄い。
けれど――
胸の奥に、
さっきの青年の言葉がずっと残っていた。
(……“すぐに迎えに行く”)
イサナは、
その呟きを振り払うように
目を閉じた。
(来させない。
絶対に……)




